都合の良い矛盾
不気味な廊下に慣れるころには、植物を研究していたらしいこちら側には非常階段が存在しないことが分かった。
「じゃあ菌のところに行くの?」
不安そうにそう尋ねるユリ。
「確かにそれも手なのだが……」
口に出してから、少し考えてみる。
今現在この発電所の電源は完全に落ちているはずであり、脱出できる可能性があるのは非常階段のみ。多くの職員さんは電源の落ちた電子錠に阻まれて各部屋に閉じ込められているはず。狙い通りだ。しかし今すぐ非常階段に向かうと一つ想定されるリスクがある。
すなわち、鉢合わせ。
あさりが想定していたリスクの一つだが、閉じ込められなかった、あるいは閉じ込められたが何らかの方法で部屋から出た職員が非常階段から他の階へ助けを呼びに行く可能性。他の子、特にユリに話せばきっと怖がってしまうだろうからと口止めされている。
停電のことを考えると、あまり悠長に構えていてもいけないし急ぎ過ぎてもいけない。タイミングが重要になると。
「ここらで何か鍵でも探すべきかもしれない」
「鍵?」
「ああ。もしかしたら非常階段には鍵が付いているかもしれない。行ってみてからそれが判明しても仕方がないから、最初に鍵の方からさがそう。カードのような鍵ではなく、普通の鍵だ。あさりがそう予想していた」
非常時に使う階段に内側から開かないような鍵が付いているはずがないし、あさりが予想していたというのも嘘だが、ユリにここへ留まる理由を納得させるには必要だろう。レンは事情が分かっているからか、特に口出しをすることもなく同調してうなずく。
「ユリ。まことの言う通りだ。ボクたちはこの廊下をかなり奥の方まで来ている、もう一度戻ってくるのは手間だよ。鍵を探そう」
「そ、そうなの?えーっと、でもどうやって?」
「……そうか、扉には電子錠が付いているのだったな」
しまった、嘘のつき方を間違えた。ユリの騙し方まで最初から考えておくべきだった。私が何かうまいことを言えないだろうかと黙っているのをみて、レンが助け舟を出してくれた。
「非常階段の鍵なんてものが電子錠で守られている部屋にあるとは考えにくいだろう?ボクらが開けられる場所にある可能性が高い。もしボクらが開けられる部屋になかったら、その時はそのまま非常階段に向かえばいいだけだ。鍵が付いていないことを祈るしかなくなるから、しっかり鍵を探さなくちゃね」
「なるほど。分かった!」
「よし。ありがとうユリ。まこと、ボクらが開けられる部屋を探そう」
「了解だ」
どうにかなったようだ。まあ、きっと部屋の扉が開くことはないだろうから、いくつかの部屋で試すふりをして、十部屋くらい確認したふりをしたら反対側に向かえばいいだろう。友人を欺くことへの罪悪感があることにはあるが、この際仕方のないことだ。
「よし。じゃあまずはそこの扉から確認するよ」
廊下の突き当りにあった他より一回り大きな扉。サイズこそ違うが、どうやら他の扉と同じような鍵が付いているようだ。
「ボクが中に人がいないか確認してみるよ」
「え、どうやるの?」
「こうしてみるのさ」
レンが扉をノックする。
「え?ちょっと、何してるのレン!中に人がいたら……」
「返事が返ってくる。でも向こうは扉を開けられないんだ」
これはレンが考案した策だった。中を覗くことができなくとも、こうすればこの非常事態だ、中に居れば助けを求めて返事をしてくれるはず。
「ほら、返事がない。だから中には誰もいないようだね」
「へ、へー……。レンもすごいね」
「そうれほどでもないさ。さ、確認するよ」
レンが開かないと分かっている扉の、取っ手に手をかけて横に引く。
「開かないな」
当然だ。
「えー、じゃあこの部屋は探せないってこと?」
「そうだね。他の部屋を当たってみようよ」
そうして部屋を奥から順に確かめていく。もちろんその扉のすべてが開かないことが分かる。いくらやっても結果は同じだろう。
結果として、十分な時間が稼げた。
「ううん。ここも開かない。となると、もう非常階段に向かった方がいいかもね」
十番目の扉を確認し終えて、レンがユリへと呼びかける。
「ええっ!?もし鍵がかかっていたらどうするの?」
「大丈夫だよ。きっとかかっていないから」
「で、でもさ……」
ここでユリを説得しなくてはならないのが難関だ。最近のユリは些細なことで怒りだしてしまうことがある。不安が強すぎるのだろう。私が今抱えているような感覚を、ユリはかなり早い段階から持っていたのかもしれない。そうなればますます外に出たいであろうし、失敗をするわけにもいかないと思っているはずだ。
「ユリ。大丈夫だ。あさりもあくまで可能性の一つとして述べただけで……」
私が説得に加勢した、その時だった。
「だいたい、本当に開かないの?ホラ、私さっき気が付いたんだけど、ここに手のマークがあるじゃん。触ったら開くかもしれないよ」
突然ユリは扉に近づき、誰も止めることができないまま、おそらく掌をかざして開けるタイプの電子錠に自分の掌を合わせた。
通電していないから、反応するはずがない。
もし停電していないとしても、ユリの手で扉が開くはずがない。
そう。
開くはずが無かったのに。
ピーっという突然の甲高い電子音に、全身が強張る。
なぜだ。
なぜ?
どうして、電子錠のLEDランプが緑色に点灯しているのだ?
どうして、ユリはやすやすと扉を開け、自慢げな表情なのだ?
頭の中が真っ白になるーーー
漂う感覚。
ふわふわとして、辺りはすべて真っ白だが、不思議とどこが上でどこが下かはわかる。
誰かに話しかけられている。
誰だろう?
知らない声。私のものではない名前を呼んでいる。
いや、私の名前なのか?
まこと、とは聞き取れない名前。しかし自分のものとして違和感はない。
状況が呑み込めない。
「どうだ!開いたよホラ!」
「えっ!?ちょっと、ユリ?どうやったんだい!?開いたの?えっ、嘘でしょ……」
我に返ると、そんなに時間は経っていないようだった。何だったのだろう、今のは。一瞬だけ気絶したのか?停電を起こすときにやったことを考えれば、今の一瞬私からは発電する能力が無くなっていたのだろうが……いや、そんなことは関係ない。
どうして扉が開いた?分からない。理屈が通らない。あり得るのか?
「レン。落ち着いてよ」
「で、でもまこと!これって……」
「私もわからない」
だけど。
「だけど今はとりあえず進むしかないだろう。まだ電機は消えているし、職員さんの気配もない。ユリが開けてくれた部屋に入ってみよう。これは幸運と考えるべきかもしれない。何か外に繋がる情報とか、あるいはそうだな。ここの地図なんかが、あるかもしれない。映画ではそうだった」
ありったけの情報をぶつけて、レンを無理やりにでも冷静に戻す。正直、理解不能だ。この状況で理解が追い付いているのはおそらくユリだけだ。ユリからしたら、誰も試していない方法を試したら、扉が開いたというだけなのだから。
「二人とも!はやくはやく!なんかすごいよ、この部屋」
ユリに急かされ、レンの背中を押すように部屋へと入る。部屋の名前はB4012研究室。
「これは……」
部屋の中に入って最初に目についたのはガラス窓の外に見える大きな部屋。暗くて細部はよくわからないが、大きな木があるように見える。右から順番に三、四本ほどあるようだ。
「植物を研究するってこんなに大きい植物も研究しているんだね、新発見だ」
なんだか場違いなことをこぼすレン。かなり動揺しているようだ。そんなレンを見て、ユリがやや怒りながら言う。
「レン!今私たちが探すべきなのは非常階段の鍵でしょ、よそ見していないで探そうよ!」
「あ、うん。ごめんユリ。ユリはじゃあ、そっちの扉のそばを探してみてよ。ボクはこの辺りを探しておくから」
「了解っ!」
ユリは部屋の奥の方、おそらくガラスの向こうに繋がっているであろう扉のそばを探し始めた。レンが助けを求めるような顔でこちらを見る。私だってどうするのが正解なのか分からないのだが。
「レン。君も少しユリを手伝ってあげてくれないか?私が今、この状況をどうにか整理しておくから」
「……分かった」
レンが横長の長方形のようなこの部屋に並べられた機械のうち、中央付近にある一つを調べ始めた。私も何か状況を整理できる手がかりを探すべきかもしれないが、今はとりあえず頭の中にあるものだけで考える。
まず、この発電所の電源は落ちている。これは確かなはずだ。次に、職員の閉じ込めもおおむね成功していると考えていいだろう。この二つが、まだ比較的理解できる部分だ。ここを下地に考えないことには、論理も何もあったものではない。
よくわからないのが今、私たちがこの部屋にいること。本来は入ることができないはずの部屋に入れてしまったのは、ユリが電子錠の開錠に成功したからだ。映画で見たような、針金を通して開くような鍵じゃない。だとしたら、電子錠が間違いを起こしているのか?それもない。電子錠の電源が入っていない以上、そもそも反応さえしないはずだ。それこそ、職員さんでもそれができないから閉じ込めが成功しているのだから。ならば、電子錠用に他に予備電源があったのか?それなら少しは納得できるが、あり得るのか?たまたま電源が入って、たまたま誤作動して、たまたま扉が開いたと?
それはないだろう。
「ユリ、レン。扉について確認したいことがあるから、私はいったん部屋の外に出る。すぐ終わるから心配しないでくれ」
はーい、と返事が返ってくるのを確認して、再び廊下に出る。スライド式の扉には万が一を考えて手をかけて開けたままだ。
電子錠が付いているのは扉の取っ手の側の壁であるため、容易に手が届く。
ユリがやったように手を重ねてみるが、反応はない。
それどころか、電源が入っている様子もない。
やはり奇妙だ。
「ユリ、レン。すまないが、一瞬外に出てくれないか」
思い切って、一度扉を完全に閉める。そして、再び手をかざしてみる。
やはり反応はない。扉は開いたままだ。通電していたら、再び施錠される可能性もあった。
二人には再び中に入ってもらった。
廊下でしばしボーっとしてみる。頭が燃えそうだった。
そうしているとふと、思いついたことがあった。
しかし、でも。そんなことがあっていいのだろうか。
反対側の部屋の扉を見やる。先ほど確認したときは気にもしなかったが、同じタイプの電子錠が付いている。
その電子錠に恐る恐る近づいて、手をかざしてみる。
ピーっという電子音。
開錠された。
今度は慌てず、電子錠をしばらく眺めてみる。すると、点灯していたLEDはすぐに消えた。だが取っ手に手をかけて確認してみると、扉は依然開いたままだ。
少し歩き、隣の扉も試してみる。
電子音、そして開錠。
どうやら原因は不明だが、現在この階の、少なくとも同じタイプの電子錠は手をかざすだけで開けることができるらしい。しかもその後は開きっぱなし。
このことを報告するべきか迷いながら、B4012研究室へと戻る。
「ねえ、まこと。この部屋に鍵は無いみたいだ」
戻るなり、レンがユリにも聞こえるように声を大きくしてそう言った。この部屋を移動しよう、ということを言いたいのだろう。ユリの方もユリの方で、鍵探しに飽きてしまっているようだった。
「ねえ、まこと。鍵は見つからなかったんだけど、あそこの扉の向こうはまだ探していないの。でも開かなくて……」
ユリが指し示す扉は、先ほどユリが探していた付近にあったあの扉である。
近づいて見てみると、数字を入力するパネルが付いていて、試しにいくつか数字を押すが手ごたえはない。本来、あの電子錠もこんなふうに、電源が入っていなければ無反応のはずなのだ。
「大丈夫だろう、ユリ。この先にはあのガラスの向こうに見える植物があるんだ。そんなところに鍵を置いたりはしないよ」
「そう……なら他の部屋も探そうよ。鍵が開くか分からないけれど」
「いや」
ユリの言葉を上書きするように答える。やはり、隠していても仕方がない。どうせユリが試せば同じことが判明するだけだ。
「扉は開く。さっき私が試してきた」
「えっ、それって……」
「ああ。私たちはここらの扉は大体開けることができそうだ」
「そんな……本当なのかい」
レンは最初程ではないが、やはり驚いた。
だが私と同じで、この信じがたい状況を受け入れることにしたようである。
「じゃあ、移動するよ」
そういって入り口に向き直るとき、妙なことに気が付いた。
まず、この部屋の機械には、LEDランプや印字こそ見えるものの、レバーやスイッチの類が一切見当たらない。こういう場所の機械は本来こういうものなのかもしれないが、まるでこの部屋の人が手動で操作することを考えていないようだ。
そして、扉。内側には鍵が付いている様子がない。内側から鍵をかけることはできないし、内側からは開けられないのだ。職員さんの閉じ込めに成功しているという確証のためにはよい材料だが、こんなことがあり得るのだろうか。
あり得ないこと続きだ。私の知識不足のせい、とも考えられるが、やはり何かが変だ。
「この発電所はいったい、何なんだ……」
あり得ないことを受け入れる、という決心がぐらつく。
「それを確かめに外に行くんでしょ。もしかしてまことも緊張しているの?大丈夫?」
思わず発した独り言を拾ったユリからねぎらいの言葉が投げかけられた。
緊張、ねぇ。
「大丈夫だよ。すまないな、心配をかけて。少し頭の中を整理していたんだ」
「ならいいわ。さ、他の部屋でも鍵を探すよ!」
ユリが私の横をすり抜けて、率先して部屋を出る。
考えすぎて、いろいろ考えられていないこともありそうだ。
しかし、今は先に進む彼女についていくしかなかろう。
レンと目が合う。レンはもう完全に覚悟が決まったようだ。
よし。私も前に進む。再々決心だ。
何があっても、とりあえず前に進もう。
電源の復旧も、いつあるのか分からないのだから。




