第一話 会社の先輩に振られました
前髪を切った。
わけて耳にかけられるほどの長さだったのに、いまは眉が見えるか見えないかのあたりで短くまっすぐに切り揃えてある。その見た目は、もはや日本の古くからある木製の人形のよう。……なにって、決まってるでしょう。こけしよ、こけし。びっくりするくらいそっくりなんだから。
わたしだって切りたくて切ったわけじゃない。ほんとうはもうちょっと伸ばしたかった。
じゃあどうしてこんなふうにいきなり切ってしまったのかと言われれば、答えは簡単。
失恋したのだ。
どうやら女子というのは、失恋をしたら髪の毛を切る生き物らしい。わたしの恋愛マニュアルは、幼いころから読んでいる少女漫画だ。それに出てくるヒロインは、みんな失恋したら髪をばっさり切っていた。だからわたしも同じようにそうした。本音を言えば若干後悔しているけれど、もう後の祭りだ。いくら嘆いても切った髪は戻らないのだからしかたない。
この前髪を見た友達は、不思議そうに首をかしげた。「失恋したのなら普通は前髪ではなく後ろのほうを切るべきでは?」だって。うん、たしかにそうかもしれない。ていうか、絶対そう。わたしにだってわかってる。失恋して前髪を切るなんて話、聞いたことがないもん。
でも、この髪を切るなんてことはわたしにはできなかった。
胸よりちょっと下ほどの、特別長いってわけじゃないこの髪。それでも、わたしにとってはとても大切なものなのだ。以前、好きなひとに「髪、綺麗だね」って褒められたことがある。たったそれだけで、わたしはこの髪が大切な宝物になった。
だから切れない。
たとえ失恋したって切れない。
いくら勇気を振り絞ったって、前髪だけで精一杯だった。
「前髪、切ったんだ。かわいいね」
後ろから声をかけられる。やわらかくて、あたたかくて、やさしげな声だった。
ああ、もう。いったいなんだっていうのよ。かわいいなんてよく言うよ。ほんと、ひとの気も知らないで。
頬をふくらませながらゆっくりと振り返る。まるで春の太陽みたいな、おだやかな笑顔がそこにはあった。
「分けてるのもいいけど、ぱっつんもなかなか似合うね。あ、でもちょっと幼くなったかなあ。さらにちっちゃく見えるね」
かわいいかわいい、と大きな手がわたしの頭を撫でまわす。前髪を切ったせいで子ども扱いされている。いや、まあ、前からされてはいたけれど。以前にも増して子ども扱いされている気がする。さらにちっちゃく見えるってどういうことなの。だいたいわたしは小さくないし。あなたが大きいだけだし。
「この前髪、誰のせいだと思ってるんですか」
キッと睨みつけて言う。やさしげなたれ目がわたしを見おろす。
「誰のせい?」
「あなたのせいですよ」
即答。
「え、俺? ……どうして」
自分のせいだと言われたことが意外だったのか、目をしばたたかせる彼。わかっているくせに知らないふりをする気なの?
そう。わたし、瀬埜依美佳は恋をしている。
相手は同じ会社に勤める先輩。いまわたしの目の前にいる、このひと。
藤郷凛太郎さんだ。
凛太郎先輩はいつもおだやかで、やさしくて、一緒にいるだけで自然と笑顔になれちゃうようなひと。隣にいると、心がじんわりとあたたかくなる。わたしはそんな彼のことが大好きだった。
入社して一年。
片思いして一年。
勤続年数がわたしの彼への片思い歴。
いままでいろんな方法を使ってわたしのこの気持ちに気づいてもらおうと努力してきたのだけれど、凛太郎先輩ったらものすごく鈍感。全然気づいてくれないんだから。まあ、それなりにかわいがってはくれるけれど、でもそれって好きな子に対する態度というより、妹に対する態度みたい。
それでもどうにかして振り向いてもらいたかったから、やれることならなんでもやった。必死に女を磨いて、必死にアピールして、必死にわたしの想いを伝えようとしていた。
……なのに、そんな矢先に振られてしまったというわけ。こんなことってありえる?
「『どうして』なんてひどいです。傷をえぐるみたいなこと言って」
「どういうことなの」
「とぼけないでください。わたしのことを振ったくせに」
泣いてしまいそうになる気持ちを、くちびるを噛んでぐっとこらえる。凛太郎先輩は目を丸くした。
「振ったって、誰が?」
「あなたが」
「誰を?」
「わたしを」
「……振った?」
「そうです!」
何度も言わせるな、ばかー!
殴りたくなる気持ちを抑え、両手をぐーにしてぶんぶんと振る。凛太郎先輩はそんなわたしを見たあとに、まぶたを閉じて腕を組み、なにやらうんうんとうなりはじめた。手を振り回すのをやめ、その様子をじっと見つめていると、再びぱちりと開いた瞳と目が合う。そして彼は神妙な顔で言った。
「……身に憶えがない」
はあっ?
最初は呆れたけれど、だんだんと悲しくなってきて、言われた言葉に涙がじわりとにじんで目の前が白く霞む。なんなの、ひどすぎるよ。声が勝手に震えてしまう。
「さ、最低。しらを切るつもりですか」
「違う違う。ほんとうに知らないんだよ。それ、いつの話?」
「つい昨日の話ですよ!」
思わず大声を出してしまう。はっとして、口もとを押さえて事務所中を見回した。何人かこっちをちらちらと見ているひとがいる。部長に至っては訝った様子でまじまじと見てくる。
まずいまずい、いまは勤務中だった。急いで凛太郎先輩の腕を引き、キャビネットの陰に隠れる。ここからなら見られない。
背伸びをして耳打ちする仕草をすると、彼はそっと腰をかがめてくれた。
「……ほんとうに憶えてないんですか」
「うん、憶えてないよ」
「なんにも?」
「なんにも」
うう、悔しい。悔しいし、ショック。わたし、無意識に振られてたんだ。あんなに好きだったのに。あんなにアプローチしてたのに。わたしの気持ちは先輩の記憶の欠片にも残ってなかったんだ。屈辱……。
「なんのことだか俺にはさっぱりだ」
「今度はとぼけるつもりですか」
「とぼけるわけじゃないよ。だいたい俺、瀬埜さんのこと振ってないよ」
絶対とぼけてる。なによ、振ってないって。
あのね、いいですか。そんな取り繕ったような言葉をこのわたしが信じるとでも、
「……へ?」
顔を上げる。至近距離で視線が交わる。
え、ちょっと待って。いま凛太郎先輩はなんて言ったの? それこそ聞き間違いじゃないよね。そうじゃなければ、先輩はわたしのことを……。
「……振って、ない?」
「うん。振ってない」
凛太郎先輩が笑う。いつもたれている彼の目が、さらにふにゃりとたれる。か、かわいい。胸がきゅんと音を立てて、その顔をぼうっと眺めてしまう。
……って、いやいやいや。だめよ、わたし。しっかりしなさい。そんなふうにほほえまれたって、騙されないんだから!
「うそつき。凛太郎先輩の大うそつき!」
「ううん。なんだかものすごい勘違いをされていそうだなあ。これ以上誤解されたくないから訊くけど、どういうことだか説明してくれる?」
ふんだ。誤解も勘違いもなにもないのよ、どうせ。
「ごまかそうっていったって、そうはいかないんですからね。だってわたし、この耳でしっかり聞いたんですから」
「なにを?」
「凛太郎先輩の言葉です。誰と話してたんだか知りませんけど、喫煙ルームでの会話が丸聞こえでしたよ。……先輩、言いましたよね。『瀬埜さんは俺の妹と同じだ』って」
「……は?」
聞き間違いなんかじゃない。わたしが凛太郎先輩の言葉を聞き間違えるはずがないもの。俺の妹と同じって、わたしはしょせん凛太郎先輩の妹的存在だってことでしょう。恋愛対象外ってことでしょう。そんなの、振られたようなものじゃない。いまさら「それは違う」なんて言っても信じられるわけがないんだから!
「……ああ、それね。たしかにそんなことを言った気もするなあ」
「ほら!」
やっぱりそうなんだ。わたしは妹みたいだとしか思われていないんだ。
「……凛太郎先輩」
「うん?」
「わたしがあなたを好きだってことは知ってますよね」
一瞬、先輩の目が大きく見開かれる。けれど、またすぐにいつものおだやかな表情に戻る。
「うん、知ってるよ。瀬埜さん、いつも俺のことを好きだって言ってくれるからね」
……そうだよ。わたし、いつも「凛太郎先輩のことが好き」って伝えてる。あれだけ何度も言っているのに、知らないはずなんかない。
彼を見上げ、じっと見つめて数秒。わたしは小さく溜め息をつき、しょんぼりと肩を落とした。
「知ってるくせに、わたしがちゃんと告白する前に振るなんて……。凛太郎先輩はひどいです……」
じわじわと涙がにじんで、鼻をすすりながら必死に泣きたい気持ちを我慢する。すると、突然頭の上にぽんとあたたかな手のひらが乗せられた。再び凛太郎先輩を見上げる。
「なにを言っても信じてくれないと思うけど、このまま放っておくのもかわいそうだから言うね。……それ、瀬埜さんの勘違いだよ」
勘違い? 勘違いって、どういうことよ。だってわたしははっきりこの耳で聞いたのよ。それなのに、勘違いだなんて。……そんなわけないのに。
「……なにをどう勘違いしてるって言うんですか」
「瀬埜さん、俺の誕生日は知ってる?」
突然そんなことを訊かれる。いきなりどうして誕生日なんて。……いや、まあ、もちろん知ってるけれど。
「1988年4月23日の日曜日、午前5時34分生まれ。身長47.3センチの体重2850グラムですよね」
「うわあ……、時刻や身長体重まで把握してるんだ。すごいね。さすが瀬埜さんだ」
「先輩のことならなんでも知ってますから」
カーディガンの袖で涙を拭う。ちょっと引かれている気がしなくもないけれど、気にしない。凛太郎先輩はわたしを見てふわりと笑った。
「じゃあ、俺の血液型は? 住所は? 趣味は? 特技は? 家族構成も知ってたりするのかな」
なによ、いきなり。次々と出される質問に、わたしはむっと顔をしかめた。
「なにを言ってるんですか。そんなの知ってて当たり前です。どうしてそんなことを聞くんですか。わたしが凛太郎先輩についてなにか知らないことがあるとでも?」
「ごめんごめん、そうだよね」
凛太郎先輩がうなずく。
言っておきますけれど、わたしは凛太郎先輩に関することならなんだって知ってるんですからね。藤郷凛太郎の文字さえあれば、たとえ火の中水の中。どこにだって駆けつけちゃうんだから。そんなわたしの電光石火のごとき行動力と情報収集能力をなめてもらっちゃ困る。わたしがどれだけあなたを好きかわかるでしょう。
「それなら、俺の家族の誕生日や年齢も知ってそうだね」
「もちろん。それはこの『りんたろうノート』にしっかりと記載してあります」
「そう。あとでそのノート見せてね」
ポケットにしのばせておいたノートを出して見せると、凛太郎先輩はにっこりと笑った。まずいまずい。奪われる危険を感じて、またすぐにノートをポケットの中へとしまう。
りんたろうノートっていうのは、わたしが必死に集めた彼に関する情報がたくさん書いてあるノートのこと。プロフィールはもちろん、大きな声じゃ言えないようなこともいろいろ書いてあったりする。だから、たとえ凛太郎先輩でも、これは見せられない。先輩が知らない先輩の情報だっていっぱい載っているから。
「じゃあ聞くけれど」
はい、なんでしょう。
「俺の妹の年齢は何歳?」
その質問に、わたしはゆるりと首をかしげて腕を組む。
ええと、それはですねえ、たしか……。
「凛太郎先輩の妹さんは、23歳。わたしと同い年です」
「そう。そのとおり」
すごいすごい、なんて言いながらパチパチと手を叩く凛太郎先輩。わたしは組んでいた腕を解いて、むう、とくちびるをとがらせた。
「もう、なんなんですか、さっきから。わたしはべつにクイズ大会なんてしたくありませんよ。凛太郎先輩の妹さんの年齢とわたしが振られたこと、なんの関係があるんですか」
「関係あるよ。大ありだよ。あと、振ってないからね」
正面からじっと睨みつけるように見る。そんなことを言われたって、信用できない。しっかりこの耳で聞いちゃったんだもの、もう言い訳しようがないじゃない。
「俺はべつに瀬埜さんのことを妹みたいだと思っているわけじゃないよ。俺が言ったのは、『妹と同じだ』ってこと」
「……だからそれは、わたしは凛太郎先輩にとって妹みたいな存在で」
「ちがう。全然ちがう」
ゆるゆるとかぶりを振った凛太郎先輩は、わたしを見つめてにっこりと笑った。
「瀬埜さんは、俺の妹と同じ年齢なんだって話をしてただけ」
……え?
目をしばたたかせる。わたしは先輩の顔をまじまじと見つめた。
「……あの、それじゃあ」
「うん」
「わたしは振られたわけじゃない……んですか?」
「そうだよ」
「わたしにもまだチャンスはあるってことですか?」
「もちろん」
凛太郎先輩が深くうなずく。それから困ったような笑みを浮かべて、「だからさっきからそう言ってるんだけどなあ」なんて言いながら頬をかいた。
うそ……!
目の前がぱあっと明るくなる。まるでお花畑の中心にいるみたいにしあわせな気持ちになる。空気を胸いっぱいに吸い込んだ。うれしくて、うれしくて、心の底から安心して。わたしは凛太郎先輩にタックルするように抱きついた。
「わあい! よかったあ! 凛太郎先輩、大好きです! 愛してます!」
「はいはい、ありがとう」
くすりと笑いながら、先輩は大きな手のひらでわたしの頭をよしよしと撫でてくれる。
えへへ、よかった。振られたって思ったときは絶望のどん底に突き落とされたような気分だったのに、凛太郎先輩が誤解をといてくれた瞬間、今度は空も飛べそうな気分になっちゃう。
凛太郎先輩ってほんとうにすごい。やっぱりわたし、先輩のことが大好きだ。
「それにしても」
その声に体を離し、彼を見上げる。先輩は不思議そうにわたしの髪をまじまじと見つめた。
「どうして前髪を切ったの? 失恋したら、ふつうは後ろを切るんじゃないの?」
ああ、やっぱりここでも言われたか。友達に言われたときには「誰でもそう思うんだなあ」なんて思っていたけれど、まさか凛太郎先輩にまで言われるとは。
わたしは手で前髪を隠しながら、照れ隠しにへらへらと笑ってみせた。
「ええと、これは、その……。勇気がなかったんです」
「勇気?」
首をこてんとかたむけた先輩に、わたしは頬を赤く染めながら上目遣いでその瞳をじっと見つめ、言った。
「……前に、好きなひとから言われたことがあるんです。『髪、綺麗だね』って」
そっと落ちる沈黙。心臓がどきどきと鼓動する。互いを見つめ合ったまま数秒間。
凛太郎先輩はふうんと鼻を鳴らした。
「そうなんだ」
……それだけっ?
お得意のおとぼけかあ。それとも、ほんとうに忘れちゃってるの? まあ、先輩らしいといえばらしいけど。でもやっぱり信じられない。わたしはこうしてずっと胸の中に残っているのに。
……ねえ、先輩。それを言ってくれたのは凛太郎先輩――あなたですよ?
「よし。それじゃあ、誤解もとけたことだし」
凛太郎先輩がぱちんと手を叩く。
「そのノート、渡してもらえるかな」
はっ!
先輩が満面の笑みで手を差し出す。わたしはノートが入ったポケットをぎゅっと押さえた。だめだめ、渡すもんか。
「い、嫌です」
「どうして?」
「……渡したらもう二度と返ってこない気がする」
「なに言ってるの。ちゃんと返すよ。人聞き悪いなあ」
ほらほら、と手をひらめかせる凛太郎先輩。
ううん……ほんとうにちゃんと返してくれるのかな。返してくれても、何枚かページを破り捨てられる可能性だってあるわけで。
疑いの眼差しを向けると、さわやかな笑みで返される。くそう、かっこいいな。
「……ちょっとだけですよ?」
「うん」
「すぐに返してくださいよ?」
「うん」
返事だけはいいんだから。
しかたないなあ。
わたしはポケットから手のひらサイズの小さなノートを取り出した。表紙には「りんたろうノート」の文字。中には、彼に関する情報がびっしり。ああ、これを本人に見せる日が来るなんて。
そっと差し出すと、凛太郎先輩はノートを受け取り、中を開いた。黙ったままページをぺらぺらとめくっていく。
見てる、見てる。表情は変わらないけれど、思うことはきっとあるはず。これを見て嫌われちゃうなんてことはないよね? なんだか心配になってきた。うう、やっぱり見せなければよかったかなあ……。
数分間眺めてから、先輩はそっとノートを閉じた。恐る恐るその目を見つめる。
「……あの、先輩?」
「いやあ、驚いた。結構踏み込んだ情報まで書いてあるんだね」
もちろん。必死に集めた情報ですから。
よかった、いつもの先輩だ。安堵の息をはき、胸を撫でおろす。
「これ、誰に聞いたの?」
「ええと、先輩のお友達とか、先輩の恩師とか、先輩の家のご近所さんとかですね。あ、先輩のご両親とコンタクトをとったこともあります。そのときはたしか宅配便スタッフになりすましました」
「……は?」
怪しまれないために宅配会社の制服を着込んでいったのだけど、これがまた大変だった。宅配会社のコスプレ服ってなかなかないもので、どこを探しても全然見つからなかった。ネットショッピングじゃきっと納得できないし。だから結局自分で作るはめになって、最近じゃ裁縫が特技になりつつある。腕もだいぶ上がったし。その作った制服があまりにもいい出来だったせいで、通りがかりのおじいさんに遠方への荷物を渡されて途方に暮れてしまったりもしたけれど、まあ、いまとなってはそれもいい思い出だ。
ふと顔を上げると、凛太郎先輩がほほえんでいた。……でも、なんだか目が笑ってないように見えるのはなぜだろう。気のせいかな。
「そんなことしてたんだ。全然知らなかった」
「そりゃあ教えてませんから」
「なにもそこまでしなくても」
「だってわたし、凛太郎先輩のことならなんでも知りたいんです」
「そうは言ってもねえ」
先輩が頬を掻いた。それから小さく息をついて言う。
「ていうか、そんな無茶をしなくたって、最初から俺に聞いてくれればいいのに」
……ん? 最初から先輩に?
な、なるほど!
「その手があったか!」
目からうろこだ。ぽんと手を鳴らすと、凛太郎先輩は苦笑した。
そうか、最初から先輩に聞けばよかったんだ。そうすれば話す機会も増えるし、もっと仲よくなれるだろうし、いいことずくめじゃないか!
これからはそうしよう。なんでも先輩に聞こう。
「他に聞きたいことは?」
「え?」
突然の言葉に首をかしげると、先輩はくすりと笑う。
「俺のこと。聞きたいことは他になにかある?」
……答えてくれるの? いま?
はっとして、わたしはいそいで先輩が持つノートのページをめくった。
「え、ええと、ええと……! そ、それじゃあ、好きな女性のタイプはっ?」
真顔で真剣に問うと、凛太郎先輩は突然ぶっと吹き出す。
え、なになに。わたし、そんなに変なこと言っちゃった?
「あ、あの……?」
「ああ、ごめんごめん。なんだかおかしくて」
くつくつと喉を鳴らして笑う先輩を、わたしは不安げに見つめる。彼はひとしきり笑うと、わたしにそっと手を差し出した。
「好きな女性のタイプね。了解。ペンは持ってる?」
「あ、はいっ」
持っていたボールペンを渡す。凛太郎先輩は壁にノートを押し当てると、さらさらとペンを走らせはじめた。なにを書いているのか覗こうとしても、背が高いせいでノートを掲げる位置が高すぎてなにも見えない。うー、気になる。
……でも、文字を書いているときの真剣な目つきの凛太郎先輩のほうが、もっと気になる。みとれちゃう。
「はい、書けた」
数秒後、ノートを閉じて渡される。惚けていたわたしははっとして、急いで受け取ってそれを胸に抱え、ぺこりと頭を下げた。
「あ、ありがとうございますっ」
「どういたしまして。またなにか聞きたいことがあったら言ってね」
ぽん、と頭を撫でられる。そのまま凛太郎先輩は自分のデスクへと戻っていった。わたしは彼に撫でられた頭を手でそっと押さえ、ぼうっとその背中を見つめた。
「……なに書いたんだろ」
ぼそりとつぶやき、ノートに視線を落とす。ぱらぱらとページをめくっていって、最後のページで手を止めた。そこにはわたしの書く字とはまた違う、まるで女の子が書いたような丸い文字が並んでいた。似合わない、けどそれがまたかわいいと思う。
一行にまとめられた、その文章。指でなぞって心の中で読む。
『妹と同い年の、自分の早とちりで髪を切っちゃうような女の子』
……ふむ、なるほど。小さくうなずく。これが凛太郎先輩の好きな女の子のタイプかあ。顔を上げ、まぶたを閉じてその少女を想像する。
……ん? ちょっと待てよ。
ぱちりとまぶたを開き、もう一度その文字を目で追った。そしてふと気がついて眉をしかめる。
ノートをそっと閉じ、わたしはぽつりとつぶやいた。
「妹と同い年って……」
わたしの思い過ごしかもしれない。また勘違いをしているのかもしれない。それでも、どう考えても、やっぱり思ってしまうのはひとつのことで。
ねえ、どうしよう。もしこの考えが合っているのなら、わたし驚いちゃうよ。だって、もしかして凛太郎先輩って。
「……極度のシスコン?」
恋のライバルが彼の実の妹だなんて。
ああ、神様。わたしの恋が実るのは、まだまだ先になりそうです。