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◆プロローグ ――終焉の魔王、玉座を降りる

新作を始めました。異世界ファンタジーものです。

最凶と言われた暴虐魔王が保育園で園長先生をするスローライフのお話です。

皆様に楽しんで頂けると幸いです。宜しくお願いします。

◆プロローグ

――終焉の魔王、玉座を降りる



 魔王の名を知らぬ者はいない。


 ルシフェル・ヴァルディア。


 魔界を統一し、七十二の魔族国家を屈服させ、三代の勇者を葬り去った存在。


 人間達は彼をこう呼ぶ。


 ――最凶の暴虐魔王。




 魔界の中心。


 黒き岩山が幾重にも連なり、瘴気を孕んだ風が絶えず吹き荒れる死の大地。その最奥、空を裂くようにそびえ立つ巨大な魔城があった。


 黒天魔城ノクス=カストル。


 魔界統一の象徴にして、世界最大最悪の魔王城。


 漆黒の外壁はまるで闇そのものを削り出したように鈍く光り、無数の尖塔は夜空へ向かって牙のように突き出している。城壁には古き魔族文字で刻まれた呪紋が脈動し、門を守る魔導灯は青白い炎を揺らしながら、訪れる者すべてを拒絶していた。


 その威容は城というより、世界そのものに突き刺さる巨大な災厄のようだった。


 そして、その最奥。


 歴代魔王だけが足を踏み入れることを許された玉座の間には、魔界の頂点に立つ者達が集っていた。


 広大な広間だった。


 磨き上げられた黒曜石の床は鏡のように淡く光り、その上を薄い魔力の霧が這うように流れている。左右に並ぶ巨大な柱は、どれも竜の胴ほども太く、表面には戦乱の歴史と魔王の支配を讃える紋様が深々と刻まれていた。天井は遥か高く、見上げても暗闇に溶けて先が見えない。壁には巨大な魔導灯が等間隔に灯されているが、その青黒い光は広間全体を照らし切るには足りず、かえって陰影を濃くし、この空間をより禍々しく際立たせていた。


 空気は重い。


 冷たいのではない。重いのだ。


 呼吸をひとつするだけで肺が圧迫され、立っているだけで膝を折りたくなるような、圧倒的な魔力が空間そのものに満ちている。


 この場に立つこと自体が、選ばれた強者にしか許されない。


 その玉座の間に、魔王軍の最高幹部達が一堂に会していた。




 魔王軍四天王。


 魔王軍最強の側近達。



 魔将軍

 バルゼリオン。


 巨躯を黒き鎧で包んだ古代魔竜族の将。立っているだけで一軍を威圧するような剛の気配を纏っている。



 魔導大公

 セレフィア。


 紫紺の長衣を優雅に揺らす高位悪魔族の美女。沈着冷静な瞳の奥に、深淵の魔導を宿していた。



 影王

 ゼルヴァ。


 影に溶けるような漆黒の衣を纏う暗殺の王。気配は薄いのに、その存在だけが逆に異様なまでに際立っている。



 魔獣王

 ガルム。


 荒々しい獣気を全身から滲ませる魔狼族の王。黄金の瞳は獲物を探す猛獣のように鋭い。




 さらにその後方には、魔王軍将軍――七つの大罪が並んでいた。



 傲慢。


 アウレリウス・インペリア。


 漆黒の王衣を纏う魔族の貴公子。王族のような威厳と、すべてを見下すような冷たい瞳を持つ。



 憤怒。


 ヴォルカン・ラグナロス。


 燃えるような紅髪を逆立てた巨躯の戦士。常に怒気を纏い、その一振りの斧で都市を砕くと噂される破壊の将。



 嫉妬。


 リリス・ヴェノム。


 妖艶な笑みを浮かべる魔族の美女。毒と呪術を操る暗黒の魔女であり、他者の才能すら奪うと恐れられている。



 強欲。


 マモン・ゴールドバーグ。


 黄金の装飾を全身に纏った魔族の紳士。魔界の財と資源の大半を掌握する、恐るべき契約と富の支配者。



 暴食。


 ベヒモス・グラ。


 山のような巨体を誇る怪物魔族。あらゆるものを喰らう捕食者であり、戦場では軍すら飲み込むと言われている。



 色欲。


 アスモデウス・ベル。


 甘い笑みを浮かべる美貌の魔族。魅了と幻惑を操る妖魔であり、多くの王や英雄を堕落させた誘惑の魔将。



 怠惰。


 ソムニア・ドミナ。


 眠たげな瞳をした少女の姿の魔族。だがその頭脳は魔界随一とも言われ、戦場では恐ろしい魔導兵器を生み出す天才。



 いずれも単独で国家を滅ぼせる、化け物じみた力を持つ魔王軍の将達だった。


 そして。


 魔王軍宰相。


 アステリア・ルクシオン。


 政治、経済、外交、そのすべてを掌握する魔界の頭脳。銀紫の髪を静かに揺らす知性の化身は、誰よりも冷静な顔で玉座を見上げていた。


 魔界を支配する最高幹部達が。


 今。


 一人の男の前に、跪いていた。




 玉座の上。


 数十段の階段の先、黒き王座に腰を下ろしているのは、魔界の王。


 ルシフェル・ヴァルディア。


 膝まで届く漆黒の長髪が、玉座の背から黒い滝のように流れ落ちている。灰白色の肌は人のそれとかけ離れた冷たさを宿し、血のように赤い魔眼は、見つめられただけで魂を凍りつかせるほど深く鋭い。


 背には六枚の漆黒の翼。


 その一枚一枚は夜よりも暗く、空間を切り裂く刃のように鋭く、ゆるやかに広がっているだけで絶対的な威圧を放っていた。翼の羽根の隙間から溢れ出る膨大な魔力は黒い靄となって周囲に滲み、玉座の間の床を這い、柱を軋ませ、広間そのものをわずかに震わせている。


 ただそこに存在するだけで。


 空気が震え、

 空間が軋み、

 魔力の流れが歪む。


 この場にいる者達は、誰よりもよく理解していた。


 この男こそが。


 世界で最も恐ろしい存在であると。




 やがて。


 低い声が、静かに響いた。


「……勇者はどうなった」


 それは決して大きな声ではなかった。


 だが、その一言だけで玉座の間の空気がさらに張り詰める。


 影王ゼルヴァが頭を下げたまま答える。


「三代目勇者アルトリウス。

 聖剣を破壊。

 戦死を確認しました」


 続いて、魔将軍バルゼリオンが報告する。


「神聖王国軍も壊滅。

 人間側に再侵攻の余力はありません。

 この戦争は、我ら魔王軍の完全勝利です」


 つまり。


 長く続いた戦争は、ここに終わった。


 人間達は、完全に敗北したのだ。


 普通なら、この場は勝利の熱に沸いていてもおかしくない。

 だが、玉座の間を支配していたのは歓喜ではなく、異様な静けさだけだった。


 なぜなら。


 玉座の上の魔王は、微塵も笑っていなかったからだ。


 深紅の魔眼は、誰の顔も見ていない。

 戦果にも、勝利にも、玉座の間に並ぶ幹部達にも向けられていない。


 遠く。


 どこか別の場所を見ている。


 やがて。


 ルシフェルは静かに言った。


「……そうか」


 その一言の後。


 玉座の間に、重い沈黙が落ちた。


 魔導灯の炎がわずかに揺れる音すら、やけに大きく聞こえるほどの静寂だった。


 やがて、魔導大公セレフィアが口を開く。


「魔王様。

 人間の戦力は壊滅しました。

 この機に神聖王国へ侵攻すれば、世界統一も夢ではありません」


 その言葉を。


 ルシフェルは静かに遮った。


「必要ない」


 空気が凍る。


 七つの大罪でさえ、息を呑んだ。


 ルシフェルは、ゆっくりと玉座から立ち上がる。


 その瞬間。


 膨大な魔力が城全体を震わせた。


 柱に刻まれた呪紋が一斉に脈打ち、床を流れていた魔力の霧がざわめき、魔導灯の炎が激しく揺らぐ。


「侵攻は終わりだ」


 静かな声だった。


 だが。


 誰も逆らえない。


「戦争も終わりにする」


 バルゼリオンが顔を上げる。


「……何を仰っているのです、魔王様」


 ルシフェルは、ゆっくりと答えた。


「俺は――」


 そして。


 この場にいる誰もが想像しなかった言葉を、口にした。


「魔王を辞める」


 空気が止まった。


 四天王も。


 七つの大罪も。


 宰相ですら。


 理解できなかった。


「……は?」


 魔獣王ガルムが、呟いた。


「辞める……だと?」


 ルシフェルは、頭に戴いていた王冠に手を伸ばす。


 それは、魔界の支配者の証。


 千年続く魔王の象徴。


 その王冠を。


 床に置いた。


 カツン。


 小さな音が、やけに大きく玉座の間に響いた。


「俺は守る」


 ルシフェルは言った。


「今度は

 別の方法で」


 沈黙。


 誰も言葉を出せない。


 ただ一人。


 宰相アステリアだけが、静かに尋ねた。


「……どこへ行かれるのですか」


 ルシフェルは振り返らない。


 ただ。


 一言だけ答えた。


「世界を見てくる」


 そして。


 魔王は、玉座の間を後にした。


 重々しい扉が開き、その向こうに広がるのは、黒雲に覆われた魔界の夜。

 吹き込んだ風が、王の長い髪と黒翼を揺らす。


 その日。


 世界最凶の暴虐魔王。


 ルシフェル・ヴァルディアは、玉座を捨てた。


 そして――


 世界から、姿を消した。

プロローグはここまでです。

第1話は今日の夕方に投稿予定です。

基本、投稿日は毎日。1日に投稿1本と考えています。初日のみ2本となっています。

是非第1話もご覧下さい。

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