第八話
江島は重い口を開き、最近の出来事を語り始めた。
私どもは町から少し離れ場所で「月影亭」というホテルを営んでおります。もともとは料亭でしたが、私の祖母の代で温泉が湧き出し、温泉旅館へと姿を変えました。そして、父の代で建替えし、現在のホテルとなりました。
そのホテルに、ときどき不思議なお客様がご利用されております。これは私の感ですが、その方々は、
——人間ではなさそうなのです。
長い髪で顔の半分が隠れた着物の女性、まくらを持った寝巻の少女、僧侶の恰好をした背の高い男性など、見た目こそ少々変わってはいますが、人の姿をしています。ですが、たくさんのお客様を見てきた私は、そのお客様方から、以前から違和感を感じておりました。
もちろん奇妙なのは、見た目や雰囲気だけではありません。彼らは予約なしに現れます。 もっとも私どものホテルはいつも閑古鳥が鳴いておりまして、部屋は空いておりますが……。近頃、観光地に大きくて立派なホテルが次々と建ち、私どものような古びたホテルでは、なかなか経営が厳し状況でございまして。おっと、話が脱線してしまいましたね。
彼らは夕方の遅い時間にお越しになり、チェックインを済ませると、温泉に向かわれます。しかし食事も取られず部屋に戻られ、翌朝、チェックアウトの時間になっても姿を見せられません。従業員が部屋を確かめに行くと、お代だけがきちんと置かれており、既にお客様の姿はありませんでした。部屋の備品なども使われた様子はありません。これが一度きりならともかく、毎回同じなのです。
気になった私は、防犯カメラを確認致しました。失礼は承知ですが、私には、宿と従業員を守る責務がございますので。すると、とても奇妙なことが判明しました。
ロビーの防犯カメラには、チェックインされるときの姿は確かに記録されているのに、出ていく様子が映っていないのです。一体、いつお帰りになられているのか、まったくわかりません。
気味が悪くなった私は、こうしてご相談に上がったという次第です。私どものホテルは怪異に憑りつかれてしまったのでしょうか。調査をお願いできませんか。
オーナーは、今までため込んだ不安を吐き出すように、これまでの出来事を一気に語った。神域調査課の三人は口を挟むことなく静かに聞いていた。
メモを取り終えた氷室は、葉一の反応を待つ。葉一は何かを考え込んでいるようだ。
そしておもむろに呟いた。
「……温泉か、悪くないな」
「いや、仕事に行くんですよ」
呆れたようにつっこむ氷室に、わかってるよと軽く肩をすくめた。だがどこかウキウキした様子の葉一に不安を覚える氷室であった。
「よし、決まりだな。今回の調査は、葉山と氷室の二人に頼むとしよう」
「よろしくお願いします」
「了解です」
新しい任務に氷室は力強く答えた。
「ここか。思ったよりきれいなホテルじゃないか」
「ええ。森の静けさと趣のある建物の外観が見事に調和していて、日常を離れた特別な感じがします」
二人が訪れた月影亭は、町から少し離れた山奥にひっそりと佇んでいた。もともと旅館だったものを建て替えたとのことだが、どっしりとした洋館のような外観で、老舗の風格を漂わせていた。
二人がロビーに足を踏み入れると、豪華とは言えないものの、隅々まで掃除が行き届いた、静かで落ち着いた空気が満ちていた。壁にかかっている大きな古時計が歴史を感じさせた。どこか懐かしさを感じさせる空間が広がっていた。
「どうだ?」
手元の測定器のぞき込む氷室に、葉一が尋ねた。前回の調査でも使った共鳴振動針だ。
「ほんの少しですが、反応がありますね。神域化……とまではいえないようですが」
「ふむ、かすかだが神気が残っている……」
二人が話をしていると、ロビーの奥から中肉中背の男性が姿を現した。仕立ての良い服に身を包み、落ち着いた雰囲気で二人を出迎える。オーナーの江島だ。
「ようこそ、月影亭へ。汚いところですが、よくお越しくださいました」
江島は深く頭を下げ、穏やかな笑みを浮かべた。
「すばらしいホテルですね。近代建築と森との雰囲気が調和しており、厳かでありながら、廃れないどこか懐かしい雰囲気を醸し出していますよ」
氷室が感嘆の声を漏らすと、江島は照れたように肩をすくめた。
「ありがとうございます。父はかなりこだわりが強い人でした。建替えの際、祖母とは随分と揉めました。結局、本館はすべて建て替えしましたが、温泉と別館は当時のまま残しています」
江島は思い出すように語った。当時、子供だった江島には、普段優しかった父と祖母の口論は記憶に残っているのだろう。
「では、さっそくだが施設の案内をしてほしい。夜までに建物を一通り見ておきたい」
他人のごたごたにあまり興味のない葉一が、さっそく調査の開始を申し出るが、江島は両手を軽く上げて精した。
「そうしたいのはやまやまなのですが、このあと修理の業者が来る予定でして。何分、古い建物ですから。すぐ終わると思いますので、ロビーで少しお待ちいただけますか?」
申し訳なさそうに問いかける江島。どうやら折悪く、業者の来る時間と重なったらしい。
「しかたない。待たせてもらう」
葉一と氷室はロビーの椅子に腰を下ろした。静かな空間に古時計の針の音が響いた。ほどなくして藤乃という年配の女性が二人のもとへやってきた。彼女はここの従業員で、先代のころから働いているらしい。
「オーナーの江島に代わりまして、ご案内致します。どうぞこちらへ」
「ありがとうございます」
藤乃に導かれて、二人は月影亭を見回ることとなった。




