第五話
隣に目をやると、氷室が老婆の方を視線を向けたまま、葉一の腕を強く掴んでいた。
「は、葉山さん。これは幻覚です。私の祖母は死にました。こんなの全部、偽物です……」
前を見据えたまま、必死に呟く氷室の手には痛いほど力込められていた。
(頭では分かっていても、心が追いつかない。こいつなりに、自分の中の葛藤と戦っているのか……)
葉一の経験上、初めて怪異を目の当たりにした新人の反応は二つに一つだ。パニックを起こして逃げ出すか、あるいは一瞬で怪異に飲み込まれてしまうか。特に後者は、助ける側からすれば足手まとい以外の何物でもない。
だが、今回の新人はそのどちらでもなかった。未熟ゆえに危うさはあるものの、彼女は彼女なりに、必死に怪異へと抗っていたのだ。
(予想が外れたな……)
後輩の保護を後回しにし、怪異の分析を優先させた自分を、葉一はわずかに恥じた
そして、大きく息を吐き、葉一の腕を掴んでいる氷室の手に、自分の手を添えた。
「ああ、その通りだ、氷室。よく言った。死者が蘇ることはない!」
氷室は頷いた。葉一は逆の手で懐から袋を出し、中身を前方に勢いよく撒いた。塩だ。
塩を浴びた“老婆”と“零士”の姿は、まるで水面に映った影のように揺らぎ始めた。
「霊山で特別に清められた塩、『祓う君』だ。大人しく祓われてろ」
——ニィと顔を歪めたあと、二つの影は霞みのように消えていった。
どうやら効果があり、内心ほっとする。葉一は、まだ腕を掴んだまま荒い息をしている氷室を見た。
「大丈夫か?」
荒い呼吸のまま氷室に頷き、そして自分の手に葉一の手が添えられているのを見て、はっとして腕を離した。
「ちょっ、気安く触らないでください。セ、セクハラです」
「その調子なら大丈夫そうだな」
いつもの様子に葉一は安堵した。あのまま囚われていれば、行方不明者と同じ運命を辿った可能性があったからだ。
兄と祖母の姿をした怪異。あれらの姿や会話の内容から、対象の思考を読み、最も印象深い人物の幻覚を見せて、誘い込む類の怪奇現象だと推測できた。幻覚は本人しか知りえない思い出を語り、より強く本物と錯覚させる。
これが今回の《《死者が蘇る》》怪奇現象の正体。もっとも葉一の兄、零士に関しては行方不明であり、生死は不明のままだが。
「私、もう少し冷静に対処できると思っていました……。ですが、いざ祖母の姿を見たら取り乱してしまいました」
「すみません」と頭を下げる氷室に対し、葉一は首を横に振る。
「いや、初めてにしては上出来だ。よく頑張ったな」
「き、急にほめないで下さい!」
氷室はなぜか慌てたように早口で言い、足を早めた。そして少し進んだところで、葉一の方を振り返った。
「ほら、行きますよ。まだ調査は終わってないんですから!」
(忙しい奴だな……)と葉一は思ったが、めんどくさそうなので口には出さなかった。
それから小一時間ほど、周辺を確認した結果、かつてそこに、祠があったことがわかった。だがニュータウン開発に伴い、すでに破壊されていた。
おそらく祀られていた土地神が、祠を破壊されたことをきっかけに『狂い神』となったのだろう。突然、家を壊されれば、誰だって怒る。
もう日が沈み、周囲は街灯だけがほんのりと光をおとしていた。葉一と氷室は祠のあった場所に、仮の御神体を据えた。
この御神体は、狂い神の仮の住まいとなる。どれほど効果があるかどうかはわからないが、少しでも神が平静を取り戻し、怪奇現象が収まることを祈り、二人は手を合わせた。




