第四話
葉一は、寄せられた目撃証言を振り返りながら、氷室に話しかけた。
「今回の怪奇現象で、本当に死者が蘇っているのかどうかは、調査してみないとわからない。ただ神話の時代から死者が蘇る類の話は多く残っている」
「それなら分かります。例えば、平安時代末期に書かれたといわれている今昔物語集にも書生が一度死んで冥界にいき、のちに戻って蘇った話があります。あと、上方落語の地獄八景亡者戯も鯖の刺身にあたって死んだ男が、仲間を引き連れて地獄の名所を巡り大暴れする旅噺があります。結末は演者によって趣向が異なりますが、地獄から追い出されて蘇るっていう話もあります」
氷室はそこまで一気に説明したあと、ふふんっと、胸を張って葉一を見た。どこか誇らしげだ。
「そ、そうだな。よく知っていて偉いな」
葉一は空気を読み、とりあえず褒めた。
「この程度は常識ですよ!それより、これって単なるおとぎ話ですよね」
「そうだ。単なるおとぎ話だ。死者が蘇ることはない決してない」
そこまで言って、葉一は氷室に向き直り、いつもより低い声で釘を刺した。
「肝に銘じておいてくれ」
「わ、わかってますよ。あ、このあたりじゃないですか?」
話ながら歩いているうちに、どうやら目的地の近くまで来たようだ。
葉一の手には小さなガラス管が握られていた。両端は金属のキャップがついた、ヒューズのような形状だ。中には小さい黒い針が一本、入っており、僅かに振動しているのが見えた。
「それは、神域調査で使う共鳴振動針『ぶるぶる君』!研修で習いました」
「『ぶるった君』な」
「黒曜石で作られた針が、神域が生み出す特殊な波を感知し、振動するものですよね。神域の発生を判定するための道具ですよね」
「ああ。今からこれを使って、神域の境界を割り出していく」
二人は、その針の振動した場所で立ち止まり、地図に印を付けていった。根気のいる作業だが、これを繰り返すことで、神域の全容が見えてくる
突然、二人の腰に付けた鈴がりんっと鳴った。怪奇現象の発生を知らせる護身具だ。風がなくても鳴ることから無風鈴と呼ばれている。正式名称は『りんりんちゃん』。その音色は怪奇現象の始まりを告げた。
周囲に突然濃い霧が立ち込めた。数メートル先すら見えない。
「えっ、霧?なんで……」
「落ち着け、氷室。慌てるな。俺のそばから離れるなよ」
葉一は氷室の位置を確かめながら声を掛けた。
「……おばあちゃん?」
霧の向こうに、一人の年配の女性の姿が浮かび上がった。人の好さそうな笑顔を浮かべるその老婆は、どうやら氷室の祖母のようだ。老婆が語りかけるてきた。
「氷香、おおきくなったね。おばあちゃんだよ。元気にしていたかい?」
氷室は信じられないといった表情を浮かべた。氷室の祖母は、彼女が中学校に上がる前に亡くなっていた。当時、おばあちゃん子だった氷室は、しばらく塞ぎこんでいた。
「氷室、話を聞くな。あれはお前の祖母じゃない」
「葉一……なのか?」
その時霧の中から、別の男の声が聞こえ、葉一は息を呑んだ。
あの日以来、片時も忘れたことのなかった声であった。
「兄貴?」
霧の中に立っていたのは、特徴のあるくせ毛の黒髪、細身の長身、よれたスーツ姿の男。葉一の兄、葉山零士であった。葉一の前からいなくなったあの日の姿のまま、何も変わっていなかった。
「そうだよ、葉一。随分たくましくなったな。長いこと留守にしてすまなかった。母さんは元気にしているか」
零士が笑顔を浮かべて、葉一に話かけてきた。葉一は黙ってその様子を見つめていた。
「 その腕時計も、まだ使ってくれているんだな……」
零士の視線は、葉一の付けている腕時計に向けられていた。この腕時計は、葉一が十五歳の誕生日に零士から贈られたもので、葉一のお気に入りだ。零士がいなくなった今も、肌身離さず着けていた。
「どうした、葉一?なんで黙っている?」
(最後に兄貴を見たのは、俺が高校のときだ。今、目の前にいるこいつは、あのときの兄貴より少し老けている。時間的な矛盾はない。声も、話し方も同じ。そして何より、この腕時計のことを知っている人間もごくわずか。とすれば、導きだされる答えは一つ……)
葉一は、静かに目の前の怪異を分析していた。しかし、外から見れば、葉一が怪異に取り込まれかけているようにしか見えなかっただろう。
そのとき誰かが葉一の腕を掴んだ。




