第二十一話
「先生、誰か来ましたね。ずいぶんと無作法な客人のようです」
「どうやら見つかってしまったようだね。短い時間だったが、興味深い話を聞けてよかったよ」
「あなたたちを巻き込んでしまってごめんなさい」
氷香は二人に申し訳なさそうに頭を下げる。しかし綾小路に気にした素振りもなく、むしろ楽しそうであった。
「君たちは『映画が実体化』していると言ったね。だが、それは間違いだ。もし本当に映画が実体化しているのなら、映画化されていない僕らは存在しないはずだからね」
「た、たしかに……」
「理屈はわからないが、人の想像力がこの世界を創り出しているらしい。魘魅とやらはそのきっかけを与えているにすぎない。つまり僕と厳島君も、原作小説を知っている誰かの想像力によって形を得ている……と考えるのが僕の考えだ」
綾小路はここで一息つき、もうとっくに冷えてしまっている珈琲を口にする。
「そして最も重要なことだが、そのトリガーとなっているのが……」
パチンと指を軽く弾く。
「『扉』だ!」
「扉?」
氷香とツクシは顔を見合わせる。
「考えてみたまえ。君たちがここに来るまでに、すでに三度、世界の形成を経験しているはずだ。一度目は魘魅が創り出した大学の講義室。これはみんなが直前まで観ていた映画の影響が大きいだろう。しかしあとの二度はどうだ?」
綾小路の説明に氷香は思い当たる節がある。
「二度目は繁華街。そして三度目はこの探偵事務所ね」
「その通りだ。そしてその際、必ず扉を通って移動してきただろう?つまり扉が別の世界の入口となり、扉を開ける人物の思考や想像を読み取り、次の世界を形成している」
氷香はここまでの道のりを思い返す。
「講義室の出口を開けたとき、あかねの薦めていた映画の舞台が現れるかもしれないと思った。そしてこの部屋に入る直前は……追手から逃げる方法、この世界から抜け出す方法、推理小説の探偵みたいに糸口を見つけられれば、と考えていたわ」
「そういうことだ。扉を開ける瞬間の思考が次の道に繋がる鍵さ。事務所の奥に裏へ抜ける扉がある。そこから先の世界に進むといい」
「でも……、どうすればこの世界を出られるのか、答えが見つからない。想像が続く限り、また別の世界に繋がるだけ……」
「 ゆく川の水の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず……」
綾小路は有名な方丈記の冒頭の一文を口にする。
「川の水を手で止めようとしても、水は形を変えて、流れ続ける。この世界も同じさ。僕なら、水源を止めるね」
その言葉で、氷香は何かに気が付いた。
「……そうか。そういうことだったのね。この世界を出る方法がようやくわかったわ」
「理解が早くて助かるよ。しかし急いだほうがいい。扉を破られるのも時間の問題だろう。すぐにでも大勢が押し寄せてくる」
二人の会話の間も扉を叩く音はさらに激しくなり、外からは怒声が響き始めた。
「ツクシちゃん、行こう。綾小路さんたちも一緒に!」
「いや、遠慮しておくよ。僕らはここの住民だ。僕らがいなくなったら、物語が終わってしまうからね。……まぁ、足止めくらいはしてやろう」
「でも」
「先生なら大丈夫ですよ。私もついておりますから」
綾小路の隣に立つ厳島は、この程度の状況はなんでもないといったふうに微笑む。
「そういうことだ。さあ、行きたまえ」
「ありがとうございます!」
「また会おう。今度は小説の中でね」
綾小路が最後の言葉を背に、氷香たちは扉を開け、光の中へと消えていった。
残された二人は、外の騒がしさとはまったく正反対の落ち着いた様子であった。
「面白い連中だったな」
「ええ。またお会いしたいですね。それより先生、もうすぐ扉が破られますが、どうなさるおつもりですか」
「ふふん、僕に考えがある」
「まさか、『あれ』を使うつもりで?」
「厳島くん、これは人助けだ。しかたがないんだよ」
「その割には試したくて、うずうずしているようですが」
「 ふふふ、とりもちを従来の二倍に増やしてある。しびれ効果のある新しい成分も配合済みだ。人で実験が出来る機会など、めったにないからね」
「はぁ、掃除が大変そうですね……」
その後、事務所からは、男性の笑い声と大勢の悲鳴が聞こえたという……




