第十九話
「えっ?ここは?」
状況を理解できない二人は周囲に目をやる。二人は大学の講義室のような場所、いや、『ような』ではなく、大学の講義室にいた。
教壇では講師が黒板に向かって、判別できない文字で延々と何かを書き続けている。そして氷香の周囲には学生たちは、一心不乱でそれをノートに書き写していた。その中にはミオとあかねの姿を見つけた。
「ミオ、あかね!ちょっとしっかりして」
「氷香、何言っているの?授業中だよ。静かにして……」
二人は特に慌てるようすもなく、逆に氷香を注意してきた。彼女たちの目もどこか虚ろで、焦点が合っていなかった。
「二人ともなんで?」
「二人、操られてる。私たち映画の中に入れられた」
「そういえば、ここ……さっき観てた『資料室の死霊』の舞台だ」
「そこっ!静かにしなさい」
その時、教壇の方から甲高い声が聞こえた。そちらに目を向けると、教授がこちらを鋭く睨んでいた。服装こそ違うが、まぎれもなく魘魅が扮した姿だった。
「授業を真面目に受けない子には罰を与えなくてはならんな」
魘魅の声に呼応するように、学生たちが一斉に氷香たちへ視線を向けた。どの学生の目にも生気は宿っておらず、死んだ魚のような目をしていた。
「そうだなぁ。資料室に閉じ込めて、たっぷりと反省文を書いてもらおうか」
魘魅は両手を高く掲げて、芝居がかった口調で声を張り上げた。
「さあ、そいつらを捕まえた者には、単位をやろう。みんな、気張り給え」
「うおー!」
学生たちは一斉に歓声を上げ、椅子を蹴って立ち上がり、氷香たちへ雪崩のように迫ってくる。
(ここが映画の中だとしたら、資料室にはあの死霊がいる。捕まるわけにはいかない!)
「ツクシちゃん、逃げるよ」
氷香はツクシの手を引き、間一髪、講義室を飛び出した。
だがそこに広がっていたのは、予想とはまるで違う景色であった。
煌めくネオン、行き交う人々、夜の街、繁華街だ。
「何よこれ!」
「他の映画とも繋がって、世界がめちゃくちゃになってる。とにかく急がないと追いつかれる」
「そ、そうね」
繁華街には絶え間なく、人の波が行き交っていた。氷香とツクシは、その雑踏を掻き分けながら、必死に駆け抜ける。
「どっちに行った」
「こっちだ」
追手の声が背後から迫る。だが、学生たちの声はかなり後方へと薄れていた。このままなら、なんとか逃げきれそうだ。
「いたいた、あの子らじゃね?」
突然、すぐ近くから男の声がした。
「えっ、めちゃかわいくね?」「小さい子も可愛いね。大きくなったら美人になるぞ」「お巡りさん、こっちでーす」「ぎゃはははは」
ふざけた声の方へ目を向けると、黒いスーツを来た派手めの男たちが数人、こちらを指していた。彼らはぞろぞろと氷香とツクシに近づいてくる。
「何ですか、あなたたちは?」
「いや、俺らホストなんすよ」
そこで氷香は気が付いた。
いまいる世界はあかねが観たがっていた『六本木の恋人たち』の舞台だ。
そして目の前にいるスーツ姿のホストたちはおそらく登場人物だろう。有名な役者が揃っているせいか、あまりテレビを観ない氷香でもどこかで見たような顔が混ざっている。
だが今はそんなことを考えている場合ではない。なぜ彼らが、氷香とツクシを取り囲んでいるのかということだ。
「そのホストが、私たちに何かようですか?」
「君らを捕まえたら、オーナーがボーナス出すって。ねぇ、オーナー?」
ホストたちの後ろから、豪奢なスーツに身を包んだ小柄な男が現れた。
「ほほほ、そうですよ。最初に捕まえた人には、特別ボーナスを差し上げましょう!」
「よっしゃー」
ホストの一人がツクシの肩を掴もうと腕を伸ばす。
氷香はその手をはらいのけ、間髪を入れずに蹴りあげた。
「触るな!」
「ぐぇ」
急所に蹴りを貰ったホストが声もだせずにうずくまる。
「いくよ、ツクシちゃん」
「ん!」
「待ちやがれ!」「てめーよくもやりやがったな」「もう容赦しねーぞ」
背後から飛んでくる怒声を振り切り、二人は再び繁華街を駆け抜けた。ランニングを日課としている氷香はまだ余裕があるが、ツクシの呼吸は明らかに苦しそうだ。このままでは逃げきれない。
氷香は周囲を見回し、近くの雑居ビルの扉に手を掛けた。扉を押し開き、中に滑り込む。しばらく身を潜めるしかない。
「はぁ、はぁ」
ゆっくりと息を整えながら、外の様子を伺う。追手の声は聞こえない。うまく撒けたようだ。
「おや、依頼人……ではなさそうだな」
——不意に二人の後ろから声が聞こえた。




