第十二話
次の日の朝、氷室は従業員室に向かった。ホテルの朝は早い。すでに何人もの従業員が掃除や朝食の準備でせくせくと働いていた。そんな中、帳簿をつける江島を見つけた。
「江島さん、昨日の付喪神様たちはまだいらっしゃいますか?」
「いいえ、私も気になって朝一番にお部屋を訪ねましたが、皆様すでにお帰りになっていました」
「そうですか……、わかりました」
やはり聞いていた通り、付喪神たちは翌日の朝には姿を消していた。
その後、食堂で葉一と氷室はレストランで朝食をとった。食パン、バター、目玉焼きに珈琲とシンプルながら満足のいく内容であったが、二人とも昨日のことが気にかかり、言葉少なに食事を終えた。
それから二人は帰り支度を整え、ロビーに出ると、江島が見送りに来ていた。ずっと何かを考えていた様子の氷室は、意を決したように重い口を開いた。
「すみません。みなさん、お話があります」
「わかった」
葉一は、氷室が何を話したいのかすでに察している様子であった。
そして昨日の付喪神たちの様子について、江島を交えて情報を整理する。昔より温泉の効力が下がっていること、ツクシの身体から黒いもやのようなものが見えたこと。
「葉山さんの感じたとおり、この件まだ終わりじゃありません」
「ああ、俺も同じ考えだ。このままだと遅かれ早かれ彼らが『狂い神』となる可能性がある」
二人の話を聞いた江島は思わず声を詰まらせた。
「そんな……」
「少し話を整理するぞ」
ポイントは3つだ……と葉一は指を立てながら語った。一つ、付喪神たちは、江島が気がつくよりずっと昔——祖母の時代からこの温泉で神気を養っていた。二つ、温泉の効力が昔から、かなり下がっている。直接的な原因は不明ではあるが、近年、日本各地で怪奇現象が発生している要因と同じであると考えられる。三つ、このまま温泉の効力が下がり続ければ、いずれ温泉が枯れる可能性がある。そうなれば温泉を利用している付喪神たちは『狂い神』化する可能性がある。
「温泉の効力を回復する方法、何かないでしょうか?」
江島の呟きに、氷室は首をかしげた。
「なぜ小彦名命はこの宿に温泉を沸かしたのでしょうか。単に温泉の神様だから?何かそこにヒントがありそうな気がするのですが」
氷室の言葉に、葉一ははっと目を見開いた。彼の脳裏には、昨夜の温泉でオキナの語った言葉、そして氷室が見たというツクシの周囲の黒いゆらめき。
――そうか。原因は、ただ温泉の「効力が落ちた」のではない。
葉一は勢いよく立ち上がり、江島に向き直った。
「江島さん、確認したいことがある!別館に連れて行ってくれ」
「べ、別館ですか? あそこはもう道具の置き場としてしか、使われていませんが……」
「だからこそだ。答えはそこにあるはずだ」
「わ、わかりました」
江島は観念したようにうなずいた。三人は立ち上がり、ロビーを抜けて別館に繋がる廊下を進んだ。
「……こちらです」
江島が鍵を差し込み、重い扉を押し開ける。中からは、古びた畳と湿った木の匂いが漂ってきた。
その瞬間、葉一は確信した。
江島に連れられた葉一と氷室は別館の物置部屋に足を踏み入れていた。そこには、笛、太鼓、衣装など、祭事に使われる道具が、ひっそりと保管されていた。
「父が建替えのときに、もう使わないだろうと、ここにまとめて保管していたものです」
「やはりそうだったか」
「情けないことに今まですっかり忘れていました。当時、ここで祭事も行われていたことを……」
「えっと、どういうことでしょう?」
一人、理解の追い付けていない氷室が二人に確認した。
「簡単なことだ。オーナーの祖母が経営していた時代、ここでは神々を祀る祭事が行われていたんだ。おそらくここに集う付喪神たちだけでなく、この温泉を湧かせた小彦名命も祀られていたのだろう。定期的に舞や祈りを捧げることで、この温泉は『神域』として保たれ、神々も神気を養えていた……ということだ。宿の経営が次の世代に移り、祭事が途絶えてしまったことで、長い間、穢れが祓われていなかったのだろう。ツクシの身体から黒いもやが漏れたという話を聞いて、ピンときた」
「……そういうことだったのですね」
葉一の説明に、氷室は小さくうなずいた。
「で、ここでは、どんな祭事が行われていたのですか?江島さん!」
「……すみません。そこまではわかりません」
江島は申し訳なさそうに答える。「「え?」」と葉一と氷室の間の抜けた声が重なった。
「ここで祭事が行われていたことは記憶しているのですが、まだ子供でしたもので、どんな祭事だったかまでは、わかりません」
申し訳ないと謝罪する江島。
しかたがない……と、葉一は棚に置かれた品々を一つひとつ確かめるように手に取った。
「この笛は……神楽笛だな。祭囃子や神事の舞の演奏に用いられるものだ」
氷室は、布に包まれた衣装をそっと広げた。
「これ見てください。この衣装、袖口に鈴を縫い付けてある。これは舞の所作に合わせて音を鳴らすものですよ。普通の祭り装束ではなく、神楽舞の衣ですよ」
「つまり、ここで舞われていたのは――」
「神楽です。おそらく、月影亭が料亭であった頃、神を迎えるための舞が行われていたのでしょう」
江島は驚いたように目を瞬かせた。
「……さすがお二人。確かに幼い頃に笛の音がして、白い衣の人影が舞っていたのを覚えています」
「再現しましょう。私たちでその神楽を……」
「いや、すぐには難しいだろう。だいたい誰が舞うんだ。楽器の演者もいないだろ?」
「それは……」
呆れたように言う葉一に、氷室は言葉を失った。
しかし、その視線がふと部屋の端におかれた机に留まった。
そこには古い宿帳が置かれていた。氷室はそれを丁寧に開き、指先で何頁かめくっていった。そしてある頁で指がとまり、そしておもむろに口を開いた。
「……出来ますよ。『神楽』の再現!」
氷室の手元の開かれた古い帳簿には「キキョウ」「ツクシ」の名が記されていた。




