第十一話
部屋での食事を終えた葉一は、廊下の椅子に腰を下ろし、酒で火照った身体を休めていた。
夕食は牡丹鍋をメインとした和食のコース。素材の良さが引き出されており、とても美味しかった。さすが元々料亭といったところだろう——。ついつい酒が進むのも無理はない。調査が終わってもいないのに、酒を飲み過ぎだと、氷室には怒られたが。
そこへ一人の女性が近づいてきた。先ほど、館内を案内してくれた従業員、藤乃だった。
「こんばんわ、葉山さま」
「お疲れ様です。こんな時間までご苦労さまですね」
「いえ。そちらの調査は無事終わりましたか?」
「あと少しと言ったところですね」
「それは良かったです」
藤乃は不思議な笑みを浮かべて微笑んだ。
「温泉でしたら、今がいいですよ。露天風呂から綺麗なお月さまが見えます」
「それはいいですね。ぜひ」
もう少し後で入ろうと考えていたが、藤乃のすすめで今から温泉に入ることにした葉一。脱衣所を抜けると、湯気が視界を覆いつくし、温泉の熱気が一気に押し寄せてきた。
身体を洗い、露天風呂に向かう。——余談だが、湯舟に入る前に全身を洗うのが、葉一の癖であった。
露天風呂にはすでに先客がいた。あの不思議な客であった。
赤ら顔の酔っ払いの男——『錆びた銚子』のノンベエ。
背の高い男——『煤けた行灯』のススビ。
髭の老人——『長羽織』のオキナ。もっともいまは脱いでいるが。
葉一はとくに気にする様子もなく湯舟に入る。熱すぎず、ぬるすぎず、身体の芯から温まるいいお湯だった。確かにここから見える月は絶景だ。
「いい湯じゃろう?」
そう話しかけてきたのは、オキナであった。
「ええ、なかなかいい湯だ」
「そうじゃろう。お主、なかなか分かっているな。この温泉には神の力を取り戻す効能があるんじゃ」
「神の力……ね」
その言葉に、葉一はオキナに対する警戒心を高めた。自分から神を名乗るということは、こちらの正体がばれているということだ。だが老人はその様子を気にも留めずに語り続けた。
「隠さんでもよい。わしらが月影亭に入ったときからずっと見ておったじゃろう。大方、わしらを調査にきた調査員といったところか。名はなんという」
「初めからばれていたか。俺は葉山葉一だ」
「ワシはオキナという。そこの酔っ払いがノンベエで、背の高いのがススビじゃ。まあもう知っておるじゃろうが。心配せんでも、主らを害する気などない。ワシらはただ、この温泉さえ楽しめればよいのじゃ」
「俺は酒が呑めたらなお良い!」
「ノンベエ殿はいつも呑んでおるではないか。たまにはだいえっとでもしたらどうじゃ」
「ススビはやせすぎじゃい。お主こそもっと酒と食を楽しむべきだと思うぞ」
「ほほほ……」
三柱の和気あいあいとしたやりとり取りが続いた。
「聞いておろうが、この温泉はな、小彦名命が湧かせたものじゃ。人間にも神にもとても良く効く。当時は一度湯に浸かれば、十年分の神力が回復したものじゃが、近頃は、毎日入らねば神力が保てなくなってきておる」
オキナは昔を思いだしながらしみじみと語った。
「近頃、急に効力を失ってきておる。まあこの温泉に限らず、日本のどこも同じような現象が起こっておるがな。そうじゃな……ここも近い将来、ただの温泉となるか、最悪は枯れてしまうかもしれん」
——こんな温泉にまで影響が及んでいるのだろうか。もし本当に枯れてしまったら、この神たちは、どうなるのだろうか。
「そうなると俺らはどこで神気を養えばいいんやら。酒だけでは足りん」
「拙僧もそれは困る。どうしたものやら」
「まあ、今はこの温泉を楽しもうぞ。ほほほ」
温泉の湯は葉一の疲れを確実に癒していた。しかし付喪神たちの会話で、葉一の感じていた違和感は確信に変わった。
——ちょうどそのころ
氷室はキキョウ——手鏡の付喪神と、ツクシ——櫛の付喪神と三人(一人と二柱)でお茶会を開いていた。
「氷香ちゃん、誘ってくれてありがとう。私もこの子も甘いもんが大好きなのよ。ね、ツクシ」
「ん」
「こちらこそ突然誘ってごめんなさい。従業員の藤乃さんからお菓子を頂いたんですけど、一人で食べるのはもったいなくて」
座敷の真ん中に置かれた丸い机を囲むように座り、箱に入った個包装のお菓子をつまみながら、ポットで淹れたお茶を口にしていた。
「このお菓子って人気店でしか買えないやつでしょ。私たち、人が多いところは苦手だから、あまり買いにいけないのよね。こうして普段食べられないものを食べられるのは嬉しいわ」
「そう」
キキョウとツクシは自分たちが付喪神であることをすでに氷室に打ち明けていた。
氷室がただの宿泊客でないことに、とっくに気づいていた二柱。初めこそ氷室を警戒していたのだが、彼女が自分が調査員であることを正直に話し、さらに害意がないことを知ると、自然と心を開いた。そこからざっくばらんな女子会のような会話に花が咲いていた。
やがて話題は温泉へと移った。
「昔から、ここには温泉に入りに来るのよ。お肌にもいいしね」
「ん、でも最近ちょっと変。昔ほど効果ない」
「そうなんですか?何が原因なのでしょう」
「わからない。でも最近、黒いもやもやが出る——」
ツクシの周囲から黒いもやのようなもの出て、周囲が揺らめいた。
「ツクシ!」
キキョウの声に、ツクシはハッとなり、身体を両手で抱きかかえるようにした。すると黒いもやのようなものは、すぐに収まっていった。
「……っ、ごめんなさい」
「ごめんなさい。今日はここまでにしましょう。氷香ちゃん、またお茶会しましょうね」
唖然とする氷室に、キキョウはそう告げて、ツクシを連れて静かに部屋に戻って行った。座敷には湯呑と食べかけの菓子が残されていた。氷室の胸には得体のしれない不安がじわじわと膨らんでいった。




