第十話
日が沈みきってからほどなくして、凛っと、葉一の腰につけた鈴の音が鳴る。怪奇現象の始まりを告げる合図だ。
その直後に、ギギっと扉が開かれた。どうやら来たようだ。
入ってきたのは、映像に映っていた姿と同じ——着物姿の女と寝巻の少女。着物の女は歳は三十くらいの落ち着いた感じの美女。長い髪の毛が顔の右半分を隠していた。寝巻の少女は歳は十に届かないくらい、黒く長いさらさら髪には、美しい櫛が挿されており、また腕には枕が抱かれていた。
「来ました。映像で見た限りでは、あの着物の女性は『割れた手鏡』、枕を持つさらさら髪の少女は『櫛』でしたよね?」
ロビーの端の椅子に座り、様子を伺う葉一と氷室の様子を気にすることなく、二柱の付喪神は、受付を済ま、受付の女性から部屋の鍵を渡された。
「ありがとう。お邪魔するわね……」
着物の女性が微笑みながら鍵を受け取り、案内された部屋にゆっくりと向かっていた。宿帳には、着物女性が「キキョウ」、櫛の少女が「ツクシ」と記されていた。
次に入ってきたのは、お酒を呑んでいそうな顔ら顔の恰幅のよい男性と、その正反対で青白い顔に、 貧相な僧侶のような恰好をした背の高い男性。後者の衣にはところどこに煤がついていた。
「恰幅の良い男性が『錆びた銚子』で、背の高い男性が『煤けた行灯』ですね」
「バラエティー豊かだな」
受付を済ませて、鍵を渡されると、赤ら顔の男が「今晩もよろしくなー」と陽気にいいながら、ずかずかと廊下を進んでいった。背の高い男は無言のまま、その後ろを静かに追っていった。
宿帳には赤ら顔の男が「ノンベエ」、背の高い男が「ススビ」と記載されていた。
最後に 長い羽織を来たひげの老人。防犯カメラには映っていなかった神だ(もう神で間違いないだろう)。
「今回見せてもらった防犯カメラには映っていなかったですね。長羽織の付喪神でしょうか」
「そうなんじゃないか」
老人は宿帳は「オキナ」と記して、部屋に向かっていった。それから二人はしばらく待ったが、今晩はこれ以上の客は訪れなかった。
葉一、氷室、江島の3人は、今後の方針について話し合うため、さきほどビデオを見た事務室に集った。
「…………」
葉一は、顎に手を当て、黙したまま考え込んでいた。沈黙を破ったのは氷室だった。
「共鳴振動針『ぶるぶる君』で図った数値上では、怪異は危険域には達していませんでした」
「『ぶるった君』な」
「それに……うまくは言えませんが、付喪神の方々に悪意のようなものは感じませんでした。ただ純粋に、この宿と温泉を楽しみに来ているだけのように思えます」
氷室が話し終えると、今度は江島が口を開いた。
「悩みましたが、私も氷室さんとと同じ意見です。正直、最初は恐怖のほうが大きかったのですが、危険がないとさえわかればもう大丈夫です。事情を話せば、出ていった従業員も帰ってきてくれるでしょう。それに、せっかく温泉に入りに来てくださっているのですから、心ゆくまで当ホテルを楽しんでいただきたい、というのが当ホテルのオーナーとしてそう思います」
「うーむ……」
江島も氷室の意見に同意をしめしたが、なおも葉一だけは、どこか腑に落ちない様子だった。
「なんかしっくりこないんだよなー」
「どういうことですか?」
氷室が問い交わしたが、葉一は答える代わりに、手をパンとたたき、椅子から立ち上がった。
「よし、温泉に入るぞ!」
「は?」
唐突な行動に、氷室は理解が追いつかず、思わず声が漏れた。
「俺もおおむね氷室に同意見だ。彼らに危険はなく、ここの温泉で、英気——いや、神気を養っているだけ……ということだろう」
「はい」
「とすれば、もう温泉に入るしかないだろう?」
――決まりだな、と温泉に向かおうとする葉一に、だが二人は未だに意図を理解できずにいた。
「ちょ、ちょっと待ってください。なんで今の流れで温泉に入ることになるんですか?」
「実際、彼らがこのホテルでどう過ごしているのか確かめるんだよ。それを踏まえたうえで、結論を出しても遅くはないだろう」
「そんなの非効率です。データ上、危険がないとわかっているんですから、すぐに報告書をまとめるべきです」
「わかってないな」
葉一はにやりと笑った。
「いつも言ってるだろう。データは嘘はつかないが、それだけで全てを把握することは出来ない。温泉に来て、温泉に入らずして、真実はつかめない!」
「温泉に入りたいだけでは?」
「報告書が今日から明日になるだけだ。問題ない!」
「否定はしないんですね……」
二人のやりとりを聞いていた江島は口を挟んだ。
「わかりました。では、今夜はどうぞごゆっくりお過ごしください。すぐにお食事をお部屋にご用意いたします」
「おお!楽しみだ。腹も減ったし、温泉は飯食ったあとにいくかー」
「……あまり羽目を外さないで下さいね」
呆れたように言う氷室に対し、葉一は伸びをしながら自室へと向かって行った。氷室は「やれやれ」といった様子でゆっくりとその後を追った。




