見覚え
≪――ガァアアァアアアァアッ!≫
「おおう!?」
マップを頼りに森を進んでいる最中。木々を揺らしそうなほどの咆吼が響いてきてビクッとしてしまう私だった。
これ、もしかしてかなり大きな敵じゃない? 赤い点だけだと大きさまで分からないからなぁ……。
そして青い点は一つだけなので、まだ見ぬ味方(?)はたった一人で大きな敵と戦っているらしい。これは急いだ方がいいかな?
『そもそも、顔も知らない赤の他人を助ける理由はなんですか?』
「? 人を助けるのは当たり前じゃないの?」
『…………』
なぜかジトッとした目を向けられてしまう私だった。
ティナの態度も気になるけど、今優先すべきは青い点だ。茂みをかき分けながら早足で進んでいくと――見えた。
体長3メートルは超えそうなクマ。
そして、そんな熊の前には右腕から血を流し、地面に片足を突く人間が。
――これはマズい。
考える前に私は駆けだしていた。
「ちょっと待てぇえええぇえいっ!」
クマに向けて叫びつつ、装備したままだった操糸手袋を起動。指先からわずかに魔力の糸が伸びてくる。
≪ガァアアアァアアアァアッ!≫
私の存在に気づいたクマが、こちらに突進してきた。どうやら私を先に食べるつもりらしい。
前世におけるクマは自動車ほどのスピードで走れたという。目の前のクマも巨体に似合わぬほどの速さで私に急接近し、衝突する寸前で立ち上がった。
クマが左腕を振り上げ、私の顔目掛けて振り下ろてくる。
鉈のように大きく鋭い爪。
私は反射的に右手で顔を庇い、クマの一撃を受け止めた。
「ぐぅうううぅうっ!?」
先ほどオオカミの牙を防いだように、私の『自動防御』はクマの爪すら防御してみせた。痛みはないし傷ついてもいない。
しかし衝撃は殺しきれなかったようで、私の身体はいとも簡単に吹き飛ばされてしまったのだった。
≪ガァアアアァアアッ!≫
地面を転がった私に容赦することなく、クマは脇腹に噛みついてきた。生物としての急所。普通の人間であれば腹の肉を食い破られ内臓が飛び出ていたはずだ。
ただしそれは普通の人間だった場合のこと。
「こっ、なく、そぉおっ!」
もはや反射的に、私は右手でクマを引っ掻いた。――そう、操糸手袋をして、指先から魔力の糸が垂れている右手で。
すぱーん。という効果音がしそうなほどあっさりと。クマが斬れた。
輪切りという表現が一番合っていると思う。腕を振り抜いたことにより遠心力で魔力の糸が伸び――まさしく、すぱーんと。見事なまでに一撃で輪切りになってしまったのだ。クマが。体長3メートルほどのクマが。
もちろん、そんなことをしたら血が飛び散るわけであり。
「――――っ!?」
生臭い血が全身に降り注ぎ、もはや叫び声すら上げられない私だった。口を開けたら入ってくる! 生臭ぁい血が!
◇
「はぁー……」
血で濡れて額に張り付いた前髪を掻き上げる私。臭い。そして生温かい。今の私、すごいしかめ面していると思う。
『ブラッディベアを倒しました。レベルが5上昇しました』
いきなりそんなことを口にするティナだった。え? そういうのって自動音声とか文字表示じゃないの? いちいちティナが教えてくれるの? 目立ちすぎない?
『操糸のレベルが上昇しました』
え? もう? 敵を一体倒しただけなのに?
『自動防御のレベルが上昇しました。スキル・自動防御結界を獲得しました』
なんか、簡単にスキル獲得しすぎじゃない? ……あ、でもブラッディベアって言ったっけ? 原作ゲームと一緒ならランクBの魔物。
冒険者がソロで倒すのは不可能とされていて、第一章のボスという扱いだった魔物だ。並みの武器では歯が立たず、その俊敏さで数多のプレイヤーを屠ってきた初心者殺し。
そう考えるとむしろ『え? ボスを倒してレベルが5しか上がらないの?』って感じてしまう私だった。ちょっと運営さーん。経験値テーブル渋くないですかー?
「――あ、」
と、私でもティナでもない声が。
振り向くと、先ほどクマの前で片膝を突いていた人間の姿を視界に収めることができた。
(……あれ?)
助けに入ったときは外見とか気にしてる余裕がなかったけど……まさか、と思い目を見開く私。
後ろで一つに纏められた長い金髪。
まるで夏の日の青空のように清涼感ある青い瞳。
虫も殺したことがないんじゃないかと思いたくなるほど優しげな風貌。
生身の人間であるはずなのに、人の手で作られた彫刻ではないかと疑ってしまうほど整った顔つき。
さらに言えばゲーム風というかファンタジー風というか、実戦的とは思えない胸部と手足だけを守る金属鎧。
見覚えがある。
めっちゃある。
なぜなら『夢幻のアレクサンドリア』のホーム画面のお気に入りキャラに設定し、毎日のように拝んでいたご尊顔だったから。
ついでに言えば実装されたときには貯めていたガチャ石を全て使い果たし、それでも引けなくて、最終的に家賃程度の課金をしてまで手に入れた努力(?)の結晶であるがゆえに。忘れられるはずがないのだ。
――シンシア・アルフィリア。




