閑話 戦い・3
転移魔法。
補助系魔法の最上位。個人で実行できる人間はこの国でも数人しかおらず、国からの厳しい規制がかかっているほどの大魔術。
そんな転移魔法をいとも簡単に使用したエリカは、まず真っ先にバケモノを目にしたようだ。二体が合体し、身体強化の二重掛けでも傷一つ追わせることのできなかった強敵を。
「――やだ、キモい」
うへぇ、っと顔をしかめるエリカだった。たしかにブツブツと不均等に盛り上がった筋肉や浮かび上がった血管、さらには首から上がない状態は気持ち悪いが、あのバケモノを目にした感想の第一が『キモい』でいいのだろうか? この場の真剣度が5段階くらい下がった気がするのだが……。
……きっといいのだろう。
なにせ、エリカにとってはあのバケモノすらも雑魚でしかないのだろうから。
それを証明するかのようにバケモノは動きを止めている。――おそらくは、察しているのだ。目の前のハイエルフは自分程度で敵う相手ではないと。
その場に縫い付けられたように動けなくなり、立ち向かうことも、逃げることもできないバケモノ。そんなバケモノは敵にすらならないと判断しているのか、エリカは同時に転移してきたティナに視線を向けた。
「なにあれ、キモい」
『エリカ様。ハイエルフがそんな雑な言葉を使ってはなりません』
「えー、でもキモいしー。キモくなーい?」
『……歳を考えろアラ三千』
「そんな歳取ってないわよ!?」
こんな時でもいつも通りのやり取りをしてから、エリカは同意を求めるようにシンシアとフレヤの方を向いた。
「ねぇあれヤバいわよね――わっ!? フレヤちゃん凄いケガじゃない!?」
ここでやっと虫の息のフレヤに気づいたようだ。先ほどよりも呼吸は落ち着いているが、まだまだ自動回復による完治にはほど遠いのだろう。
「生きてるわよね? じゃあ回復してみましょうか。なんかヤバそうだから一番効果が高いやつで~っと」
なにやら手元で操作したエリカが、フレヤに右手を差し向けた。
「――聖なる祈りを、今ここに
|聖者は森を進みゆく《grøne skog, fekk》
|彼の喉は渇きたり《skade på sin》
|彼の足は傷を負う《eigen hestefot》
|神よ、神よ《Bein i bein》
|人は大地へ《kjøt i kjøt》
大地は神へ
|偉大なる創造主の《Alt med Guds》|慈悲を賜らん《ord og aimen》
「――道を知れ。|神の奇跡を、今ここに《gard von Bingen》」
エリカの呪文詠唱と同時に――光が満ち溢れた。
腰まである銀髪は穏やかな魔力風によって静かに揺れ。彼女の周辺には光の粒子が舞い踊り。その光に照らされたエリカの顔はゾッとするほどに美しかった。
人が近づいていいものではない。
人が安易に語っていいものではない。
ただそれだけで場が浄化され。
ただそれだけで人々が自然と口を噤む。
――最上級回復魔法。
あらゆるケガを治し。
あらゆる病を治療し。
神話の時代には死した神すら蘇らせたという、奇跡の御業。
呪文自体はこの時代にまで伝えられている。
物語や演劇においても頻繁に用いられている。
しかし、伝承とまったく同じ呪文詠唱を行っても、誰一人として奇跡の御業を再現できなかったはずだ。現代の聖女はもちろんのこと、歴代聖女の誰一人として。
そんな奇跡は、過つことなく顕現した。
人知を越えた美しさと共にもたらされた奇跡は、フレヤだけでなくシンシアの傷すらも完璧に癒やしてみせた。
……いいや。二人だけではない。
癒やされたのは――ケガや死すらもなかったことにされたのは、シンシアとフレヤだけではなかった。
「……あれ? 私……」
呆然とした声がシンシアの耳にまで届いた。
勇敢なる女性騎士。
あのバケモノに対して果敢に斬りかかり、羽虫のように叩き潰されたはずの彼女が、まるで何事もなかったかのように訓練場で尻餅をついていたのだ。
確かに潰されたはず。
飛び散った鮮血も。バケモノの拳に残された血痕や肉片も。シンシアは確かに目にしたはずだ。
だというのに。
騎士は、生きていた。
それだけではなく、騎士の手元には折られた剣すらも傷一つない状態で修復されていた。
――道を知れ。|神の奇跡を、今ここに《gard von Bingen》。
まさしく、神の奇跡であった。
死者蘇生など神話の時代に語られる程度。だというのに、こうまで簡単に実行してしまうとは……。
憧れを通り越して恐怖すら感じてしまうシンシアとフレヤ。
そんな彼女たちの気持ちなど知りもしないでエリカが自らの手と手を合わせた。この国にはない所作だが、おそらくはエルフ流の謝罪だろうとシンシアは察する。
「遅くなってごめんね? なんかねー、ドラゴンをボコってたら緊急クエストでボスイベント戦が発生したというじゃない? これは急いで戻らないとって思ったのよ」
くえすと。
ぼすいべんと。
何のことかは分からないが、おそらくこれもエルフ語だろうとシンシアは理解する。
「となると……あのキモいのがボスなのかしら?」
「ぼす、というのがよく分かりませんけど、強敵です。刃は通りませんしすぐに回復してしまいます」
「ふぅん?」
興味深そうな声を上げたエリカが、僅かに右手人差し指を動かした。黒い手袋に包まれた細指。その動きが処刑そのものであることをシンシアは知っている。
「ひえっ」
目の前に広がった光景に思わず引きつった声を出してしまうシンシア。あれだけ固かったバケモノが、一瞬で輪切りにされてしまったのだ。一体何が起こったのかまるで理解できないが、やはりエリカの方が遥かに格上であることは確かなようだ。
しかし、輪切りにされてもなお、あのバケモノは生きていた。
『『お、おぉおおおぉお』』
力なく叫びながら。
やはり粘土細工のように合体し、再び人の型になろうとする肉塊。
「うへぇ、気持ち悪ぅい」
エリカが心底嫌そうに眉をひそめ、
『どうやら超回復を有しているようですね。ですが、このまま輪切りにし続ければいずれ力尽きるでしょう』
こんな時でも冷静に分析をするティナだった。
あの謎の技で輪切りをし続ければ勝てる。なんとも単純明快な理論なのだが、エリカはご不満なようだ。
「無理。気持ち悪い」
『いや無理って』
「だって糸を通じて『ぐちょり』って感触が伝わってくるのよ? 輪切りにしたときに。なんかこう、素手で内臓を握りしめるみたいな? アレを何度もやれと?」
『……ブラッディベアやアース・ドラゴンの心臓を輪切りにした女が、今さらでは?』
「あれは一回で終わるじゃない。でもあの肉塊は何度も何度も『ぐちょり』をしなきゃいけないのでしょう? いとキモし」
『はぁ。では、直接触れなければよろしいのでは?』
「……それもそうね」
エリカがバケモノに右手を向け、指をパチンと鳴らす。
途端に雷鳴轟き、バケモノに向け雷光が撃ち込まれた。
『『おぉおおおおぉおおおっ!?』』
激しく感電し絶叫するバケモノ。心臓が停止したのかそのまま地面に倒れ込む。
訓練場に人の焼けたニオイが充満する。
だが、やはりバケモノは死ななかった。焼けただれた表皮もゆっくりと回復していく。
「んじゃ、もう一発」
再び指を鳴らし、雷を落とすエリカ。無詠唱でやっているが、おそらくは中級攻撃魔法――いや、もしかしたら上級攻撃魔法並みの威力があるかもしれない。
二発目の雷を受けてもバケモノは死ななかった。だが、先ほどよりも明らかに回復が遅くなっている。
このまま攻めればいける。
シンシアとしては勝利を確信したのだが……エリカとしてはまだまだご不満のようだ。
「うへぇ。タンパク質の焼けたようなニオイが……気持ち悪くなってきた……」
『このワガママハイエルフが』
「辛辣ぅ。むしろなんでティナは平気なの? すっごく臭くない、これ?」
『完璧なメイドはいついかなる時も表情を崩さないのです』
「あ、臭くはあるのね……。うーん、敵のHPとMP的にもこのまま押せば勝てそうだけど。もうちょっと見た目とニオイが気持ち悪くない勝ち方はないものか……」
『ワガハイ』
「それはワガママハイエルフの略称かしら……?」
『もう面倒くさいのでなにか重いもので押しつぶしてしまえばいいのでは? そうすれば継続ダメージで死にますし。見た目もキモくありません』
「あ、なるほど」
『ご理解いただけたようで何より。そうですね、この場合は土魔法で巨大な岩を錬成して――』
「ちょうどいいものがあるから、使っちゃいましょう」
エリカが空間収納に手を伸ばし、『ちょうどいいもの』を引っ張り出した。
尻尾。
太さだけで人の身長を越えるほどの、尻尾。
そんな尻尾から繋がる胴体。
短い首。
どう考えても空間収納に収まっていい大きさではなく、どう考えても片手で引っ張り出せる重量ではない。だというのにエリカはそれを――アース・ドラゴンの死体を空間収納から片手で引っ張り出してしまった。
胴体だけでも見上げるほどの巨体。爪一本ですら人間が両腕で抱えることはできなさそうだ。その鱗一枚で人間を丸ごと隠せる大盾を作製することができるだろう。
そんなアース・ドラゴンを。
エリカは、叩きつけた。
未だに雷撃のダメージから回復し切れていないバケモノに。
エリカ風に言えば『一本背負い』で。軽々と。物理法則を完全に無視しながら。
地面が揺れる。
土埃が訓練場全体を覆い隠す。
なんということだろう。
いったいどこの世界にアース・ドラゴンを戦鎚のように使う人間がいるというのか。
(こ、これがハイエルフ……これが真なる勇者……)
勝利を確信したせいか。今までのダメージが大きすぎたのか。あるいは目の前の光景を脳が処理することを拒否したのか。シンシアは自らの意識が遠のいていくのを感じたのだった。




