閑話 ガングード・アルフィリア公
ガングードとしては、愛娘であるシンシアが『勇者候補』としてやる気を出しているのを微妙な心境で見守っていた。
本人にやる気がある。
家としても、娘が『勇者』に選ばれたならこの上ない名誉となるだろう。さらにそのうえ魔王を倒しでもしたら……。
だが、危険からはなるべく遠ざけたいという親心があったし、『せっかく王太子の婚約者にねじ込んだのに』と惜しんでいる自分もいた。
そんな中、妻のために薬草採集をしていたシンシアが山賊を撃退したという報告が騎士団から上げられた。なんでも10人もの山賊を『ハイエルフ』と共に退治したのだという。
――ハイエルフ。
伝説上の存在だ。
神話の時代から神々や古代竜と共存し、今を生きるエルフの祖となり、この大地に種を蒔き緑を広げたのだという。大聖教の連中はハイエルフこそが人間の元になったのだという教えを今も守っている。
そんなハイエルフが人間の生存圏近くに現れ、娘を救ってくれた。
神々に匹敵する聖なる力を持ち、人間たちに愛想を尽かし姿を消した存在。一説には人間たちのエルフ狩りを恨んでいるという。
一体何の目的があるのか。愛娘が何かに巻き込まれているのではないか。不安が不安を呼び、恐ろしくて仕方がないガングードであった。
◇
屋敷にやって来たハイエルフ――エリカフィアーネはずいぶんと気安い存在であった。
見た目で判断すれば普通の少女にしか思えない。いや彫像のような美しさであるし、その耳は人間ではあり得ないほど横に長く伸びているのだが、纏っている雰囲気は見た目相応の少女でしかなかった。
ガングードには鑑定眼などないが、宰相として活躍した経験から人を見る目は鍛えてきたつもりだ。そんな彼の直感が、この少女の中身は平凡であると判断した。
先ほど娘から聞いた『ブラッディベアを一撃で倒した』とか『山賊に触れることなく、呪文詠唱もすることなく首を刎ねた』という説明は疑って掛かるしかなかった。平凡な少女がそんなことを出来るはずがないからだ。
何かトリックがあるのではないかと警戒しながらエリカフィアーネとやり取りをするガングード。
平凡な少女は、平凡であるがゆえに『公爵』という地位を理解せず、タメ口でやり取りをしてきた。平凡であるからこそ、ガングードから発せられる威圧を感じ取れず『ガンちゃん』などという若者特有の可笑しなあだ名を付けてきた。
平凡であるはずだ。
ガングードの経験が、間違いないと主張していた。
だが。
そんな愚かな予測は、彼の妻の治療場面で完全に覆された。
「――千里眼」
彼女が使ったのは、もはや物語の中にしか存在しないはずの『神の瞳』だった。
さらには。唱え始めたのは最上級浄化魔法。大聖教に代々伝えられ、今となっては多くの物語に登場するのだが……歴代の法王も、聖女も、呪文を唱えてもその真なる効果を発揮できなかった『神の御業』だ。
「聖なる祈りを、今ここに
|聖者は森を進みゆく《grøne skog, fekk》
|彼の喉は渇きたり《skade på sin》
|彼の足は傷を負う《eigen hestefot》
|神よ、神よ《Bein i bein》
|人は大地へ《kjøt i kjøt》
大地は神へ
|偉大なる創造主の《Alt med Guds》|慈悲を賜らん《ord og aimen》」
エリカフィアーネの周囲に光が満ち溢れ、穏やかな風に銀糸の髪が揺れ動く。
これは現実かとガングードは自らの目を疑った。
美しい。
美しいが、同時に恐ろしい。
何が平凡な少女か。
平凡なのではない。ガングード程度の目では、神に等しき存在を見極めることなどできなかっただけなのだ。
「――道を知れ。|神の奇跡を、今ここに《dis Bingensis》」
エリカフィアーネが最後の一小節を唱え終えると、ひときわ強い光が部屋に充満した。あまりの眩しさにガングードが思わず目を閉じると、
「ぐっ、ぐあぁああぁああぁああっ!?」
ガングードが最も信頼する男・セバスの絶叫が響き渡った。
「セバス!? どうしたというのだ!?」
いつも平然とした態度を崩さぬセバスが苦悶の表情を浮かべ、激しく悶え苦しんでいた。その身体からは黒い『モヤ』が漏れ出し、人の形を作っていく。
≪――ゲゲッ! まさか本当に『大聖女』だとはな!≫
下品な高笑いを浮かべながら。セバスから何かが出現した。
宰相であったころ大聖教絡みの仕事をすることの多かったガングードには、それが何かすぐに理解できた。何度も何度も、神官から教えられ絵画などで目にしてきた存在――
――魔族。
魔王グルグラスト13世の眷属にして、人を越える筋力と魔力を有する怪物。魔王軍の指揮官であり、人に絶望と死をもたらすもの……。
だが。
そんな恐ろしいはずの魔族は、満身創痍であった。
そうか。と、ガングードは納得する。あの最上級浄化魔法が効果を発し、すでに魔族は致命傷を負っていたのだと。
まさかあれだけの呪文詠唱で、騎士団すら壊滅しかねないと恐れられる魔族を倒しかけているとは……。それはまさしく、魔族の言うとおり『大聖女』の御業ではないか!
≪ぐっ、せめて、『大聖女』だけでも道連れにしてくれる!≫
そう叫んだ魔族は――懐から発破筒を取り出した。
恐ろしき魔族の道具だ。その威力は砦の壁を崩し、騎士中隊を壊滅させうるという……。
「……あ、やば」
ア、ヤバ。
それはきっとエルフ族の呪文詠唱に違いない。エリカフィアーネの詠唱によって出現した防御結界によって、ガングードたちにはケガ一つなかった。
だが周囲には惨状が広がっていた。
貴族の邸宅とは、他の貴族との抗争や農民の反乱に備えて頑丈に作られているものだ。公爵であるアルフィリア家であればなおのこと。いざとなれば簡易な砦として戦争に用いることすらできるものなのだ。
そんな屋敷の壁が、いとも簡単に破壊されていた。何とも恐ろしきは魔族の用いる発破筒か。
けれど、そんな大爆発をあんな短縮呪文で防いでみせたエリカフィアーネは……いったいどれだけ『上』の存在なのであろうか。もはや手が震えるのを隠せぬガングードであった。
◇
エリカフィアーネの力によりガングードたちは無事であったし、致命傷を負ったはずのセバスまでもが生還した。しかも若返りという副作用まで付随して。
ガングードは理解する。あれだけの大やけどを負った以上、セバスには相応の強い薬を使うしかなかったのだろうと。それこそ皮膚の老化すら『治療』してしまうほどの……。むしろそのような貴重な薬を出会ったばかりの使用人に使ってくれたことに、もはや信仰にも似た感謝の念を抱くガングードであった。
そうして。
応接間に腰を落ち着けたエリカフィアーネは、少し困ったような顔で語り始めた。
「人間的には占いというか、未来予知とでも言うのかしらね?」
説明に困る気持ちは分かる。あれだけのポーションや浄化魔法、結界を用いるハイエルフの知恵を、人間程度が理解できるはずがないのだ。
「私としても胡散臭いなーとは思っていたし、たまには人間の社会を見物するのもいいかなー程度の軽い気持ちだったのよ。で、まさかまさかの大当たりってわけ」
軽い口調なのはガングードたちが混乱しないように気を使っているのだろう。なぜなら今の状況はそれだけ重大だからだ。
あの魔族は叫んだ。『偉大なる魔王猊下、万歳!』と。それが意味しているのは――魔王の復活だ。
ガングードの妻を狙ったのは、妻の介助のためにガングードを宰相の職から引きはがずために違いない。
勇者学校を設立し、勇者候補を鍛えよという神託。
急に国中で活発化した魔物。
突如として人間界に現れたハイエルフ。
そして、魔王の信者であろう魔族の暗躍。
それら全ての出来事が一つの結論へと繋がる。
――とうとう、魔王との戦いが始まるのだ。
この戦いに負ければ人類は滅ぼされるか、永遠に魔族の奴隷として生きるハメになるだろう。そしてそれはエルフであっても同じはず。
あれだけの力を持っているエリカフィアーネでも魔王は難敵なのか、ずいぶんと難しい顔をしている。
ここは覚悟を決めろ、とガングードは自らを奮い立たせる。ハイエルフが持つ力には遠く及ばないが、だからといって世界と人類の危機を黙って見ていることなどできないのだ。貴族であるがゆえに。そしてなにより、誇りある人間であるがゆえに。
「――エリカ様。これはもはや国家的……いいえ、人類の危機であると邪推いたします」
「え、えぇ」
ガングードの目から決意の深さを察したのだろう。エリカフィアーネは戸惑っていた。それもそうだ。自分の足元にも及ばないような『弱い』存在が、一丁前に覚悟を決めた瞳をしているのだから。
たしかにガングードには戦うことなどできないし、戦おうとしても足手まといになるだけだろう。
だが、彼には彼でできることがある。
まずは王都へ連絡し、勇者候補の訓練を即座に開始してもらう。世界の危機なのだ、この際予算を気にするわけにはいかないだろう。むろん公爵家からも寄付という形で資金援助をするつもりだ。
あとは勇者を鍛える『指南役』をどうするかが問題だ。なにせ勇者候補とは『候補』の時点で常人を圧倒する実力を持っている。エリカフィアーネの助力無しで5人もの山賊を叩き切ったシンシアが良い例だ。
そんな勇者候補を教え導くとなれば、勇者候補を越える実力がなければいけないが……。
(やはり、エリカフィアーネ様にご助力を賜るしかないか)
エリカフィアーネの実力であれば魔王すら倒せるかもしれない。
だが、彼女は一人しかいないのだ。大陸中で発生する魔物・魔族による被害から人々を守るには、やはり複数の『勇者』が必要となってしまう。
ただし、エリカフィアーネに『大いなる目的』がある以上、そう簡単に指南役を引き受けてはくれないだろう。
だからこそ、ガングードは『利益』を与えなければならない。エリカフィアーネ自身が動くより、ガングードたちに協力した方が結果的に早く魔王を倒せると判断できるような利益を……。
その利益とはやはり、情報となるだろう。
エリカフィアーネの力は絶大だが、彼女は人間世界の常識に疎いし、あの外見では内密に行動することも不可能だろう。そこにガングードが自身の価値をねじ込む隙間がある。
「我々もできうる限り協力いたします。つきましてはエリカ様が行動しやすいよう身分証の発行と、拠点としてこの屋敷の一室を提供いたします。何か必要なものがありましたらお気軽に申しつけください」
「あ、はい。ありがとうございます?」
弱い存在がやる気を出している訳が理解できないのか、首をかしげるエリカフィアーネだった。きっと今までその圧倒的な力で誰からの協力を得ることもなく戦ってきたのだろう。弱き者を守り続けて……。
だが、弱者にも弱者なりの誇りがある。
守られてばかりでは、いつまで経っても赤子から抜け出せないではないか。
この命と権力を懸けて、必ずやエリカフィアーネのお役に立ってみせる。
ガングードは、固く決意した。




