1.9 人工天使
「ユリアさまに……?」
ちょっと理解が追いつかない、という顔で、アンリは言う。
「今思いつく範囲で、こいつを読めるのは多分彼女だけだ」
そう返すと、アンリは目を閉じて、何か考え込むような仕草を見せる。
「えーっと、っていうことは……つまり……」
彼女はぎりぎり聞き取れないくらいの声であれこれ呟く。
何か伝え忘れていた前提があっただろうか?
ああ、そういえば言ってなかったかもしれないな。
口をひらこうとした途端、
「ユリアさまって、ムカイの文明が創ったってこと!?」
たーんと手を叩いて、アンリが叫んだ。
「ご明察。伝え忘れていたな」
—
人工重力装置を応用した飛行、天使の輪を模した大気センサー、背中の羽根型ソーラーパネル。
生態系の維持という役目と、各地の天候操作装置の制御権限。
知識欲というスイッチが入ってしまったアンリに、知っている範囲でユリア―彼女の言葉を借りるなら『蒼穹の天使ユリア』とはどんな存在か教えた。
聞いてみたところ、どうやらアンリは、というかこの文明の人間は、ユリアを「天災」以後に舞い降りた、いわゆる神に近しい存在で、信仰心の大小はあれど、この世界のほぼ全ての住民が信仰対象として認識しているらしい。
信仰やら宗教といった概念は、クレイオからの伝え聞きしか知らないから、いまいち共感しにくい。
科学的合理性ベースのゆるやかな無神論が浸透しきっていて、神がどうとか言って仕舞えば白い目で見られるのがオチ……そんな時代だった。
しかし、記憶喪失の直後に、どうやってかは知らないが人工太陽を再起動したり、天候操作で人類に協力したと考えれば、信仰対象として崇められるのも無理はない、かもしれない。
……ユリアはヒト同等の人格を持つ。
数百年の時を経て崇められるようになった彼女は、今何を思うのだろうか。
一通り話し終え、そんな益体もないことを考えていると、アンリはぽつりと言う。
「でも、会いに行くっていうのは難しいかも」
なんとなく、想像していた通りの答えだった。
「まあ、簡単にはいかないよな。一応、理由を聞かせてくれ」
アンリは頷いて、壁に掛けてあるコロニー全図——『世界地図』を指差しながら言う。
「まず、今のユリアさまは世界をあちこち飛び回ってるから、そもそも接触が難しいの」
「飛び回ってるのか?天候制御は遠隔でやるものだと思っていたが」
「ユリアさまはこの数百年間、世界各地のモノリス、多分ムカイが言う天候操作装置付近で目撃されたって記録が残ってて、世界中で信仰されてるのもそれが理由のひとつ。もしかしたら、『天災』の時にその、遠隔制御?っていうのは出来なくなったんじゃないかな?」
「ううむ、なるほど」
「それだけじゃなくて、仮にこの辺に来たとしても、ミュトス派の特に信仰心の強い層が接近を防いでいたりするから……」
突如、アンリの声を遮るような、重々しい鐘の音が窓の外から聞こえてくる。万一の事態かと思い、立ち上がって暗くなった窓の外を覗くと、遠くに見える時計台らしき建物が発した音であることに気づく。
「もうこんな時間かあ、9時だよ」
アンリはあくび混じりにそう言うと、おもむろに立ち上がる。
「今日はこんなところにして、続きは明日にしない?部屋はこっちで用意するね」
「あ、ああ。わかった」
承諾したが、俯瞰して考えてみると、貴族令嬢?のところに居候と言うのは少し思うところがある。しかし今のところは他にアテもないし、こうする他あるまい。
ただ、自身で稼ぐ手段は早いうちに見つけておいた方がいいな。あとで聞いてみるとしよう。
—
思い返してみると、日中は毎時ごとに静かな旋律が流れていた。
それなのに、なぜ夜9時に鐘を鳴らすのかとアンリに聞いてみたところ、アレティアは5時に城門が開き、9時に閉じるという規則になっており、そのタイミングで鐘を鳴らすらしい。曰く、他の都市では日の出日の入りをざっくりと基準にするが、ココの時計技術を舐めてもらっては困る、だそうだ。
特に商人にとっては、時間が明確だからと好評とのことだ。
ちなみに、緊急時には時間関係なく鐘を連打するらしい。
それはともかく。
アンリに連れられ、魔導ランプと呼ばれるらしい灯りに照らされた通りをしばらく歩き、入り組んだ道に入り込むと、突如として彼女が立ち止まった。
「確か、この辺だったかなー」
アンリが、ある建物の煉瓦壁を指でなぞりながらつぶやく。
「お、あったあった」
彼女はそう言うと、周囲をきょろきょろ見回し、頷いたかと思えば、並ぶレンガのうち一箇所を人差し指一本で押し込んだ。
すると、レンガが下に引っ込むように消えて、扉が現れる。
「おお……」
押し込む瞬間に僅か赤橙の光が指からレンガに流れ込んでいるように見えた。
おそらく、何かしらの高度な認証システムなのだろう。
アンリは現れた扉を開け、急かすようにこちらを手招く。
二人とも部屋に入ると、アンリがドアを閉めた。
「私のセーフハウスの一つよ。どう?ロマンあるでしょ」
アンリは自慢げにそう言う。
「俺が知っても良かったのか?」
そう聞くと、アンリは、「文化的にも技術的にも、多分今、研究上一番重要なのはムカイだよ?万一失われたらって考えると、ね」と当然のように返し、「クレイオさまの友達ってことなら、なおさらね」と付け加えた。
「何から何まで、すまないな。ただ、金も住まいも提供されてしまうのは申し訳ない。何か、稼ぐ手段を教えてもらえると助かるんだが……」
アンリは少しだけ驚いた様子を見せたが、それはすぐに共感の色が混じった頷きに変わった。
「それなら、明日はギルドにでも行ってみる?モノリスがある東部大森林の方で採れるモノの採取依頼でも受ければ、寄り道ついでに稼げると思うな」
「わかった、そうしようか」
「うん。あとは、そうだ、お風呂はあのドアの先ね。部屋着と、今の時代らしい着替えも用意してもらってるよ」
いかにも中世というような街の人々に、ただ一人紺色の軍用ジャケットというのはあまりにも目立つ。
コレの防弾素材には目を見張るものがあるが、ここでは「目立つ」という予測し難いリスクを抱えている。
今日でさえ街中でかなり視線を集めた気がする。ここはありがたく服を頂戴するのが無難だろう。
「確かに、この格好かなり浮いてたしな」
アンリは頷くと、「それじゃあ、私はお先に。ムカイ、また明日!」と言い残して上り階段の向こうに消えていった。
「ああ、おやすみ」
—
下手したら『天災』前よりも高品質なベッドと、幸いなことに未だ生き残っていた風呂文化のおかげで、驚くほどによく眠れた。
朝5時を示すのであろう鐘の音と共に目が覚め、立ち上がって窓を覗き込むと、その瞬間。
空色の細い影が、窓を横切って、消え——
その鐘が、激しく、繰り返して打ち鳴らされていることに気づいた。
更新遅れました。試験があったもので……




