プロローグ
風に揺れる木々の間を、ソレは少し硬い足音を立てて歩いている。
人々にはとうに忘れ去られたその道は、すっかり緑に覆われていた。
久々の来客に驚いたのだろうか、道端に集まる鳥たちは飛び立ち、どこかへ飛んでいってしまった。
機械天使——ユリアは、透き通る青空のような目で鳥たちを見送ると、再び歩みを進める。
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記録開始。
あの日から134,519日——368年と少し。
今日はこの森林の環境調査のため、まずは定点気象観測装置のログをチェックする予定でした。
しかし、木々が以前の来訪時の予想よりも大きく成長してしまったので上空から見つけることは叶わず、なんとか古い道を辿って向かっています。
頭上に浮かぶリング型センサーによると、気温は16.8℃、湿度は50%、気圧は1020hPa。
つまりは完璧に調整された、春の晴れた朝。
教会の人々は空に祈りを捧げている頃でしょうか。
その空が人工物だと知っているのはもう私だけだと思うと、少し寂しい気もします。
それにしてもこの数十年、特に成長速度が予想を逸脱するような天候設定はしていないはずですが、なぜこんなにも成長が早いのでしょうか。
どの木も通常考えられる上限ほどに大きく、一部の個体は通常見られないような大きさにまで成長しています。
この体は環境や生態系の観測や調整まで可能な万能仕様ですが、この広く閉ざされた世界で私だけでは全てをカバーしきれないので、正確に気候を測るには定点観測をする他ありません。
各地の情報収集も、本当は無線通信に頼ることができれば良いのですが、無いものねだりをしても仕方ありません。
たしかに不便で非効率ですが、この世界を飛び回って観測や調整を続けることは嫌いではありません。
実際にここに息巻く動植物たちと触れ合うことで、私がやってることは無駄ではないと思えるような気がしていますから。
さて、そろそろ見えてくる筈なのですが……
「右に避けろ!」
どこか懐かしい声が、私の聴覚センサーに響く。
反射的にその命令は実行され、右に数メートル飛んだ。
するとその刹那、私が居た所のそばに立っていた、直径2メートルほどの大きなブナの木に、赤黒い影がぶつかり——
それは真っ二つに、へし折れた。
大木が一撃で?あの声は一体?
赤黒い影を慌てて分析にかける。
推定体重は250キロ、赤黒い剛毛、金属質な長い半月型の牙。
体表には血管のような筋が浮かび、血紅の光が脈打っている。
ぶつかった衝撃で少し動きが鈍っているが、まだ生きている様子。
どうやら、漏出したエネルギー……人々が魔力と形容するものによって変異してしまった猪の一種のようで——
「おい!大丈夫か!」
懐かしい声、でも記憶より少し若い声の持ち主は、いつの間にかそばに来ていたようです。
「は、はい!」
人と話すのはいつぶりでしょうか、少し言葉が詰まってしまいました。
「話は後だ、今はアイツをどうにかしよう」
彼が言い、私が頷いた時、後ろからもうひとつの声が聞こえました。
「ちょちょちょ、置いてかないでよ〜!」
亜麻色の髪の少女が、苦しそうに呼吸をしながら駆け寄って来ます。
「って、え!?天使サマ?」
背中の羽根、ソーラーパネルで構成されたそれに気づいたのでしょうか、彼女はそう驚いて、次の一歩を踏み違えました。
「うわぁ!」
ひっくり返るように転んだ彼女が蹴飛ばした小石は、見事に猪の眼球に直撃した。
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西暦2725年、あるいは新暦368年の04月20日、06時30分頃、コロニー033東部E-12"大森林"。
この日、この場所、この出来事が、新たな時代を歩いて行くための最初の一歩でした。
これは、忘れ去られた生命の方舟が、再び星彩の彼方を目指す物語。
本日より毎週水曜日に更新していく予定です。
初めて小説を書くので、生暖かい目で見てくださると幸いです。




