付き合ってまだ日が浅いのにクリスマスなんて迎えるからこんなことになる
クリスマスまでに伊口さんと付き合えているといいな――
――馬鹿だった。焦る必要なかった。クリスマスが過ぎてから告白しておけばよかった。そうしたら自分たちのペースで進んでいけたのに。今日がクリスマスイブなんて、どうしてもイロイロ意識してしまうじゃないか。クリスマスイブの今日が伊口さんとの記念すべき初デートになったわけだけど、いくらなんでも無茶だった。
公園のベンチで僕はしこたま後悔した。
十二月二十四日の夜。初デートも終盤に差しかかり、僕は伊口さんと夕食を共にしていた。場所はイタリアン。相場は、まぁ僕たち大学生的に普通だと思うし、妥当な選択だろう。いきなり気合いを入れて高級レストランに誘うのはよほど自分に自信がない限り自殺行為だ。僕なら引く。付き合いだした男女が始めに(無言で)確認することは金銭感覚のすり合わせだと僕は思う。牛丼屋は論外としても、互いに誤差はある。それを修正していくこともデートの大事な役目じゃなかろうか。違うのかもしれないけど、少なくとも僕はそう信じてる。
ろくに話も進んでいないが話をいきなり脇道に逸らす。
イタリアンのこの店でパスタを食べていて思った。
僕はパスタという呼び名に未だに馴れない。いつからスパゲッティと呼ばなくなってしまったのだろう。子どもの頃「好きな食べ物は?」と聞かれたときは堂々と「スパゲッティ」と答えていたのに、今では何だか恥ずかしい単語を発したかのように感じるようになってしまった。どうしてだろう、一体いつスパゲッティはパスタに占拠されてしまったのだろう。理由を僕は知らない。知りたい気持ちは少なからずある。だけど別に自ら調べようとは思わない。ちょっと残念なだけだ。おそらく「ズボン」が「パンツ」になったのと同じ感じなのだろう。
「どうかした?」
「えっ?」
「どうかしたの?ぼんやりしてたけど」
「ごめん、どうでもいいことに逸れてた。ごめん、何だっけ?」
「だから……この後どうする?」
「あ、そうだね。どうしよっか」
伊口さんが小さくなったのはしょうがないと思う。夕食の後どうするかなんて
さんのような大人し目の女の子が言うには勇気がいることだっただろう。本来なら僕が言うべき台詞だった、失敗だ。だけど照れている伊口さんを見れたのは収穫だ、かわいい。……不謹慎か。
パスタが盛り付けられた皿はほとんど空になりかけだし、次のことを決めないとマジでこのままサヨナラコースになる。それだけは回避しなければならない。日なんて暮れなければいいのに。
お開きになる最大の要因、「話題が尽きての気まずい沈黙」が降りる事態はまだ起きていない。というより趣味に関しての話は相性抜群だ。まぁ、だからこそ僕は告白したんだけれども。
「映画とか?」
まずは提案。だけど別れ難く二人で次の行き先について話しをするのは正直たまらない。彼女としたいことランキングなら、五指には食い込むんじゃないだろうか。
「それじゃお喋りできないよ。それとも観たい映画何かあるの?」
お喋りできないよ?伊口さんは僕のツボを心得ているのか!惚れるぞ!今以上に!
「ごめん、言ってみただけ。観たい映画も別にないし、何より人で溢れ返ってそうだしね」
ああだこうだと話しているうちに食事はすっかり終わり、店員に必殺の「お水のおかわりは?」を聞かれてしまい、僕と伊口さんは次の目的地が決まらぬまま仕方なく店を出る羽目になってしまった。イブの書き入れ時の店に水だけで粘るなんてみっともない真似はしたくない。
「どうしよっか?」
「どうしようね?」
めぼしい場所はどこも人で溢れていることは一目瞭然で、僕たちは当てもなくぶらぶら街をさまよういしかなかった。だけど嫌じゃない。会話が全く途切れなかいことが嬉しい。それも頭をひねって思いついた話題でなく、自然にポンポンと浮かんでくる。
どうしよう、僕、伊口さんをどんどん好きになってきてる。
「あそこは?」
伊口さんの視線をたどると、そこには公園があった。この街で一番の大きさを誇る公園でもある。なるほど、確かに穴場かも。この寒い中、公園を選ぶ奴らはさすがに少ないだろう。
「僕は大丈夫だけど伊口さんは?寒くない?」
「自販機で缶コーヒー買えば大丈夫。――決まりね、行こっ」
人が少ないなんて思った僕はきっと馬鹿なんだろう。うんざりするほど公園は恋人たちで溢れていた。寒いことを言い訳にして、恋人たちの距離は近い。近い以前に接着剤を付けたようにピタリくっつき離れそうにない。
自販機であったか~いコーヒーを買い、空いたベンチに腰掛けたときには僕はさっそく後悔に駆られていた。尻込みして引き返せばよかったんだ。
あれほど元気だった伊口さんはどこにいってしまったんだろう。空気でも漏れたのだろうか、みるみる萎んで小さくなってしまった。
僕たちは無言でコーヒーをちびちびと啜るだけ。ポツリポツリ一言二言交わしただけで、話しはすぐに終了する始末だ。
うわっ。迎えのカップル、キスしてら。首を振り左右を見渡すと、そこかしこで同じ行為が頻発していた。……何これ?僕たちもしなきゃいけないの?
だけどまだ僕たちは今日が初デートなわけだし、早いよな。いや待て、もしかしたら伊口さんはそのつもりで公園に僕を誘ったのかもしれない……いやいや!伊口さんの反応見てみろ。予想外だったとしか思えないじゃないか。いやでも……。駄目だ。一度考え出すと変に意識する。だけど今更意識止めろと言われても無理な話だ。しょうがないでしょ、僕だって伊口さんとあんなことやこんなことをしたいさ。――好きなんだから。
「……さい」
サイ?邪な考えが感情のコップを満たそうとしたとき、隣から囁くような声が聞こえた。しかし、何で突然動物ネタなんだ?……ああ、あれか。気まずい雰囲気になったときに当たり障りのない会話に戻してやりすごすパターンか。わかった、それに乗りましょう。
「知ってた?サイって天然記念物なんだよ。強そうなのに何でだろうな」
「は?何言ってるの?」
「え、違うの?じゃあ……どのサイ?」
「全然違うよ。『ごめんなさい』って言ったの」
「あ~、『ごめんなさい』か。そうだよな、動物のサイなわけないな。ごめん、僕どうかしてた」
本当にどうかしていた。僕も相当テンパッていた証拠だ。
しかしサイはうまい作用を予想外にもたらしてくれた。伊口さんは僕のサイをこの状況下での渾身のボケと受け取ってくれたらしく「おもしろかった」と一気に肩の力を抜いてくれ、場の空気は嘘のように明るくなってくれた。
「でもさ、なんで『ごめんなさい』だったの?別に伊口さん悪いことしてないよね」
そこまで言って、あることが頭をよぎった。もしかしてあれは伊口さんのいろいろなことに対する拒絶の言葉だったのかもしれない。そう思うと背筋が冷たくなった。
待って、やっぱり理由は言わなくていい。そう言う前に伊口さんは口を開いてしまった。
「あの『ごめんなさい』はね、こんな場所に連れてきてごめんなさいって意味。妙な雰囲気になっちゃったでしょ?そんなつもりは微塵もなかったの」
下心のある奴と捉えられるの嫌だったらしい。
微塵もなかった、という部分がどうも引っかかるが、あのとき雰囲気に呑まれて行動に移せなかった自分が幸いした。危うく関係が破綻するところだった。
「それで『ごめんなさい』か。たしかに公園の恋人たちは予想外だった。クリスマスイブだからって、もう少し自重してほしいよな~まったく」
「そうだよね、どうせなら人目のつかない場所ですればいいのに。私ならそうしたいな」
あの、伊口さん?それってどう受け取るのが正解なんでしょうか。……人目がつかない場所ならオーケーということ?
喋ることができず固まってしまった僕に対して伊口さんは訝しげにのぞき込んだ。そこでようやく自身の発言に大いに問題があったことに気がついてくれたようだった。伊口さんも僕同様に固まってしまい、またしても辺りに気まずい沈黙が訪れた。
そのときだ。すぐ後ろで「パァン」と何かが破裂したような音が響き、僕らはベンチから飛び上がった。飛び上がった体からさらに口から心臓が飛び出しそうなほど驚いた。
死ぬほど驚いて動けずにいると、後ろの音が鳴った茂みから「走れ!」という声が上がり、それに併せて男が二人茂みから飛び出してきた。
先に出た大男は何の躊躇もなく走り去っていったが、後に続くほうは明らかに動揺しながら走っていた。一度はこちらを振り返ったが、おかしな笑い声を上げそのまま去っていった。
残された僕らはただただ呆然とするほかなかった。何だ?もしかして何かのドッキリ?
男たちが走り去った方向を僕がポカンと眺めていると、伊口さんが僕のコートを引っ張ってきた。
「ねぇ……」
「もしかしなくても、あれってイタズラだったのかな?」
「それはいいから、ちょっと……」
伊口さんはコソッと目を周りにやった。
それに習って目をやると、思わず口からうめき声が漏れた。――周囲全ての目が僕たち二人に突き刺さっているではないか。
こっちじゃないだろ、目立つべきはさっきの男たちだろ?こちらに一切の非はないのに無性に恥ずかしくなり、やっとの思いで伊口さんに向けた言葉は「出よっか」の一言が限界だった。
「うん」
伊口さんもそれしか口を開かず、僕たちはコソコソと公園から退散した。
帰りの駅までの道は、謎の恥ずかしさでほとんど会話は生まれなかった。それでもあの角を曲がれば駅というところになって、沈黙はようやく破られた。
「これでよかったのかもしれないね」
破ったの僕ではなくは伊口さんのほうだった。
「どうして?こんな目にあったのに」
「たしかに驚いたけど、別に怪我をしたわけじゃないし。犬に吠えられたと思えば案外大したことなかったよ。あの人たちにも何か事情があったんじゃない?」
犬か、そう考えると怒りもあまり沸いてこない。しかし伊口さんは聖母なのか。クリスマスにあんなアホなことをする奴らに大した事情になんてあるわけないのに。
「犬なのはわかったけど、一体全体どうしてそれがよかったことになるわけ?犬に吠えられるなんて災難でしかないよ」
「災難には変わりないけどね、あのときの私たち変な空気になってたでしょ?まぁあんな発言した私のせいなんだけど。……それを壊してくれたじゃない」
「それは……あるな。ホントぶち壊しにしてくれた」
僕は肩を落として見せた。
「何その言い方、あのとき何かするつもりだったの?」
「ちょっとだけ」
「スケベ。サイテー」
変なことしたら別れるから。とは怖いことを言いつつも伊口さんは笑っていた。あのときの気まずさが今はもう笑い話なっている。――なるほど、これでよかったのかも。
「だからあれは私たちにとってよかったことなんだよ。付き合いたてなんだから、別にクリスマスで焦る必要なんて全くないよね」
「あれあれ?一体何に焦るんですか?」
「バカ!」
加減なしで腹にパンチ。伊口さんにこんな一面もあったのか。……しかしだ、この娘失言が意外と多いぞ。天然ちゃんなのか?計算だとしたら怖いぞ。
お互いに知らない顔はまだまだあるだろう。
「今日からだ」と改めて感じる。
僕たちは始まったばかりだ。
「それにしてもあの二人は何者だったんだろう。僕たちにとってはよかったけどさ、他の人には迷惑な存在でしかないでしょ」
「私たち二人で満足してくれたんじゃない?ああいうことは一度したら十分でしょ」
「イブに野郎二人だからな。やけを起こさなきゃいいけど」
トラブルでも起きたなら目覚めも悪い。
「サンタさんに安否を祈ってあげよっか」
「安否って……そこまでの悲劇は起きないでしょ。それにサンタの守備範囲でもない」
「しないよりマシでしょ。それにサンタさんもプレゼントあげてばっかりだから、たまにはこういう願いでもあると刺激になるんじゃない?」
「すっげー発想だな」
とにかく僕たちは空に向かって手のひらを合わせた。クリスマスイブに野郎二人は確かに同情を禁じえない。願わくば、あの二人が幸せになりますように。それと――ちょっぴり災いを。
最後まで読んでくださってありがとうございました。