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連載 コーポ長谷川5 |緊張と緩和の“緩和“の回かと思いきややっぱり“緊張“




新聞受けに無言で放り込まれた茶封筒の中から紙幣を取り出し、「何、これ」とひとりごつ。



「何それ、気持ちわる」


翌日出勤すると、管理職の田中さんが休憩室で缶コーヒーを飲んでいたので、私も腰掛け、昨夜の出来事を話した。


「ゆいっぺも買ってき」と差し出された小銭を受け取り「ありがとう」と言って外の自動販売機へ、コーヒーを買いに行く。


今朝の天気予報では、昼間は暑くなると言っていたが、まだ朝は涼しく、“温か〜い”か“冷た〜い”か、どちらにするか迷う。


朝の清々しい空気を吸い込みながら、「やっぱりまだホットだな」と、赤い背の缶コーヒーを選び休憩室に戻ると、田中さんはタバコをふかしながら言った。


「それ、あれじゃないの。出て行った彼氏じゃないの?」


「うん、多分そうだと思うんだけど……」


考え込む私に、田中さんが「なに」と訊く。身の回りで起きている奇妙な出来事を手短に話し、先日送られてきた顔写真付きのメールを田中に見せた。


私から携帯を受け取り、画面を凝視して言う。


「わぁ、ブスやん」


「どこがいいん? この女の。ゆいっぺの方がずっと可愛えぇで?『お前は暇人か』って送ったれ」


田中さんは、私がこの会社に入社して半年ほど後に転勤してきた。鹿児島と沖縄の間にある沖永良部という小さな島で生まれ育ったらしい。


島独特の、ゆったりした口調やイントネーションと、長く住んだという大阪訛りが合わさり、なんとも言えないホッとするような、そんな話し方をする人だ。


「ゆいっぺの膝、まぁるくて綺麗だね」などと、独特な視点のセクハラまがいの発言も、あの口調で言われると不思議と気持ち悪さを感じない。


先日、田中さんに誘われて、二人で仕事後にカレーを食べに行ったが、上司としてはおろか、男性としても全く意識をさせないこの人は一体なんなんだろうと、そう思うことがある。


私は笑いながら「送り先、わからんっつーの」と言った。


最初の顔写真が添えられたメールは、一樹の携帯から送られたものだった。次に送られてきた“シネ”の二文字が連なったものは、どこの端末からなのか。本人の携帯なのだろうか。


「でもさ、彼氏盗られたのゆいっぺなのに、なんであっちが恨むかね。彼氏、不良品だったんじゃないの? こんなもんよこしやがって!って怒ってるんとちゃう?」


言って、田中さんは声をあげて笑う。


「“よこした”覚えはないけどね。勝手に持ってったじゃん」


「次の彼氏には“ノークレーム、ノーリターンでお願いします”って貼っときーや」


「そうするわ」

乾いた笑いが事務所に響いた。



数日が経ち、また月末がやってきた。


各締めの作業で大忙しのこの時期は、定時で帰れることはまずない。今日も例のごとくガチガチになった肩を片手で摩りながら、パソコンに向かって作業を行う。


ちらりと横目で窓に目をやると、外はすっかり薄暗い闇に飲み込まれていた。


「あと少しなら明日にしたら? もう暗いし、クロもお腹空いてるやろ」


田中さんに言われ、時計を見上げると七時を回っていた。


帰り支度をしながら、まだパソコンに向かっている田中さんに訊く。


「田中さんはまだ帰らないの?」


「うん。帰ってもだぁれも俺と話してくれへんもん。女同士で結託してさぁ。肩身せまいせまい」


田中さんは肩をすくめながら言い、パソコンのソリティアに視線を戻したまま「気ぃつけて帰りー」と手を振る。


気遣いに感謝して、私は帰ることにした。



——————



住民たちの帰宅ラッシュも落ち着き、静まり返っているはずのコーポ長谷川から、猛り立つ犬の声が響き渡っている。


共同廊下を進むにつれて大きくなる声に、クロだと確信する。


扉を開くと、玄関から少し離れた場所で、低く唸るように喉を鳴らしていたクロが、私の姿に気づいても一歩も動かない。


四本の脚を突っ張らせたまま、私の背後の扉にじっと視線を向けている。


「クロ、遅くなっちゃったね。ごめんね、おいで」


と呼ぶと、ようやく安心したように尻尾をゆらゆらと振り出し、駆け寄ってくる。


私はクロを撫でながら、「早く確かめなければ」と思う。


振り返り、新聞受けに手を伸ばす。


「やっぱり……!」


「まだ近くにいるかも」


そうクロに言って、玄関を飛び出す。ストッキング足に、慌てて履いたサンダルが滑って、うまく走れない。


探すが、遅かったようだ。


茶封筒が投入されて、ちょうど一ヶ月。


息を切らせながら、しんと静まった暗闇に向かって呟く。


「毎月持ってくる気なの、一樹……」


ふと気がつくと、路肩には見覚えのない車が一台停まっている。


暗闇でよく見えないが、月に照らされた運転席には、誰かが乗っているようだ。


白く小柄なシルエットが、運転席にじっと収まっている。 


月の明かりのせいだろうか。僅かにシルエットの“顔の部分“がこちらを見ているような気がしてしまう。



まるでそこにずっと居たかのような静けさに、背筋がすっと冷えた。


一樹ではないことだけは、確かだ。


焦燥感が、部屋へ戻る私の足を早める。


二重ロックを回し、へたりと座り込む。

改めて、茶封筒の中身を確認する。


その額は、前回同様――コーポ長谷川の一ヶ月分の家賃代だ。


「ごめん また来るね」


と、懐かしい文字で弱々しく書かれたメモが添えられている。


【6】へつづく







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