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連載 コーポ長谷川3 |サスペンス劇場








住む場所をなくした一樹一家は、唯一頼れる親戚の家にしばらく居候することになった。

一樹の家は、七人家族というなかなかの大所帯だったので、長男である一樹は、これを機に二人で暮らそうかと私に提案してきたのだ。


免許証も車のキーも、手持ちの現金やカードもすべてなくした私に、一樹の両親は「ごめんね」と、新しい免許証の発行などの手続きに付き添ってくれた。


コーポ長谷川は、一樹の友人の親が大家だったこともあり、すぐに手配は済んだ。

悲惨な出来事がきっかけの同棲となったが、二人で新たな生活を始められることは、私にとっては幸せ以外のなにものでもなかった。


お気に入りの家具に囲まれ、新しい家族として迎えたミニチュアダックスが愛らしく駆け回る空間は、これまでに感じたことのない居心地の良さと安らぎを私に与えてくれた。


しかし、そんな生活の終わりは一年を過ぎた頃、突然訪れた。



「ゆいに、謝らなきゃいけないことがある」


出張から帰宅し、シャワーを済ませた一樹が、意を決したように息を吸い、言った。


「本当は、昨日出張なんかじゃなかったんだ」


「……? どういうこと?」


一度も交わされない視線に、不安が募る。


「仕事先の、女の子と……いた」


ほんの一瞬、頭をよぎった嫌な予感が、的中してしまった。

しかし受け入れられずにいると、彼は続けて言った。


「それで……その子に、“ゆいか自分か、どっちを選ぶの?”って迫られて……。俺、もうどうしていいか……わかんなくて……」


体操座りした自分の膝に顔をうずめ、一樹は泣き出す。

状況を把握した私の心臓の鼓動は一気に高鳴り、呼吸が苦しくなった。


「昨日、その子と泊まった……ってこと?」


「うん。最初は……最初は軽い気持ちだったんだ。ゆいのことは好きだけど、なんか、ごめん……」



付き合って四年。

最初は高校生だった私が、初めて付き合ったのが一樹だった。


一緒にいるのが心地よくて、デートの後はいつも離れるのが辛くてたまらなかった。

だから、帰る場所が一緒になり、離れる必要がなくなったことが私は嬉しかった。


けれどそれも当たり前となり、少しずつ何かが変わっていった。


私は、沸き起こる得体の知れない苛立ちを一樹にぶつけ、彼は黙った。

そんな夜が何度あっただろう。

きっとそんな日常に嫌気がさし、息抜きをしたかったのだ。


「どうしたいの? 私と別れたいってこと?」


別れたくない、そう一樹も当然思っていると思い込んでいた。

しかし彼は、自分の腕に顔をうずめたまま、何も言わない。


想像もしていなかった“別れ”がよぎると、胸が詰まり、熱い感情が込み上げてくる。


「私も……最近きつく当たったりしてたよね。ごめん……。ちゃんとやり直そう?」


すがる私の方を見ることもなく、一樹はうつ伏せた顔を横に振って、絞り出すように言う。


「ごめん……無理だ。本当は……もうゆいのこと好きか、よくわからないんだ……」


「今日は、親戚のところに行くよ」と彼はそのまま出て行ってしまった。


辛くて想像すらできなかった一樹との別れ。

それは突如、現実のものとなった。


———引き裂かれた胸の痛いところは、時間の波に押し流され、そこには空虚な空間だけが残った。




あんなにすがり、生きていけないと思っていたのに、一週間も経てば淡々と仕事をしている自分がいる。


すがっても泣いても戻ってこないものは戻ってこない。


まだ時々、思い出す度に込み上げてくる寂しさはあるが、裏切りに対する怒りの方が勝ったのだ。


私の勤める会社は大手ファミレスチェーン店の子会社で、各自仕事をこなせば後は何をしていようと干渉されることはない。

もちろん携帯電話のメールのやりとりも自由だ。



一樹が出て行ってから、私は彼の荷物をまとめ、外に出しておいた。

貴重品は彼の両親が身を置く親戚宅に預けた。


その旨を伝える短いメールだけを送ったが、一樹からの返事は未だにない。

外に置かれた荷物は私が仕事に出ている間に持って行ったようだ。


今ごろ一樹はどこでどうしているのだろう。

当てつけに、いつもより丁寧にアイロンをかけたシャツに袖を通しただろうか。

シャツに残る香りに私を思い出し、胸を痛めていたらいいと、思わず願う。



ぼんやりと思っていると、メールを知らせる着信音が鳴る。


携帯の画面に視線を落とす。


落とされた視線は、画面に釘付けになり、微動だにできない。

送り主不明のメールにはただ、一言が執拗に繰り返されている。


「シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ………」


しばらく唖然として、画面を見つめる。


こんな、稚拙なメッセージに恐怖など感じない。

しかしそれは、気味の悪いこの出来事が“初めて”のものであれば、の話だ。


——思い当たる記憶がひとつある。


あの夜。一樹と別れた夜。

頭が混乱して眠れず、ただ天井を見つめていたあの夜中。

一樹の携帯から、一通のメールが届いた。


開いた瞬間、視界に飛び込んできたのは、知らない女の顔写真だった。

自撮りのようだった。顔の角度は計算されていて、それでいて口元には、何かを勝ち誇ったような、挑発的な笑み。


本文には、ただ短くこう書かれていた。


「〇〇です。はじめまして。」


名前に聞き覚えはない。


そして翌日。

呼び鈴が鳴って、覗き穴から覗いたその時。


あの女が、そこに立っていた。


開かないドアに、しばらくその場に立っていた彼女は諦め、何も言わずに帰っていった。


目の前の画面一杯に広がる異様な光景と、あの女の顔。

何者かの悪意が私の行く先を阻もうとしている。

そんな不穏な予感が、胸いっぱいに広がる。


——これは、単なる嫉妬や嫌がらせなんかじゃない。

もっと深い、どこか狂気じみた“何か”が始まろうとしていた。




【4】へつづく




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