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連載 コーポ長谷川16|さよならコーポ長谷川


夜、引越し準備の手を止めたタイミングで、携帯電話が鳴った。


「ゆいっぺ、いい物件見つかったっていうか、思い出したんや」


電話口の向こうで田中さんが「もっと早よう思い出しゃよかったのにな」と、申し訳なさそうに言う。私が働く営業所が立ち上がった当初、近くに単身赴任者が住めるよう会社が用意したアパートがあるという。


「まあまあ古いし、セキュリティもたいしたことないけどな。けど、同じ会社の奴らがちょっとでもおったら、いくらか安心やろ」


一般にも貸し出されていて、今は従業員が二人入居しているらしい。二人とも関東から転勤してきた配送担当のドライバーだ。


ひとりは、あまり会話をしたことがない青野さん。もうひとりは、時々会話はするが“女癖がすごい”という噂があるので、深く関わらないよう気をつけている冴島さんだ。


青野さんという人物については、他のドライバーを通じて紹介されたのだが、なぜか最初の言葉が「あの人、宇宙人なんだよ」だった。最初はよくわからなかったが、色白でスキンヘッドという出立ちや、感情をあまり表に出さず、その空気感は「そこに居る」というより「そこに浮遊している」と表現した方がぴんとくる。どこか“異世界“を感じさせる雰囲気が皆にそう呼ばせているのだろう。配送から戻り、ドライバー同士の会話の中でも、青野さんが担当している車両のことを「青野さんのUFO」と呼んでいても、青野さん本人は何食わぬ顔で受け入れている。そんな穏やかな青野さんがご近所なら、確かに少しは安心だ。


「問題は冴島やな。まぁ、あいつは女たらしだけど、悪いやつやない。でも、油断したらあかんで」


よく焼けた肌と、笑うと対照的に輝く真っ白な歯が印象的な冴島さんは、配送から戻ってくると、


「あー目が痛い。目ガンかも」


とか、


「声が掠れるなぁ。喉ガンかも」


などと言っては、ひとりで「ウシシシ」と笑っている。


「いいなー、ゆいっぺの彼氏が羨ましい!」


——独り言とも呟きとも到底思えない大きな声で、ことあるごとに言ってはくるけれど、直接的な口説きのようなことを受けたことはない。


「まぁ、あいつは配送先の女の子と何やら怪しいから、いつまでここに居れるんかもわからんでな。そう長くないやろうから、安心しー。そのうちおらんようになる」


そう言って、田中さんは笑う。


***


コーポ長谷川よりは手狭な独身寮に、持って行ける家具は限られる。


一樹と一緒に選んだ食器棚やカウンター式のテレビ台。ネットオークションで買った中古のペンダントライトも、備え付けの普通の照明で充分なので処分することにした。


「そんなもん、全部リサイクルや。業者に連絡すれば回収に来るで」


田中さんにそう教えられ、私は連絡を入れた。


引越し準備で忙しく配置換えされる家具や家電のあとを、クロは落ちつきなく追いかけ回る。


「あーあ。コーポ長谷川とはもう、さよならだね」


クロとの思い出が詰まったこの部屋を去るのは、やはり寂しい。


見慣れた光景、聞き慣れた音。目を閉じると、まるで海の底にいるかのような静かな夜の空間。どれも今思うと、愛おしくて、手放しがたい。


そして、たった一年で終わった一樹との生活。親と離れ、初めて自分たちの“お城”を手に入れた——そんな気分だった。日々の暮らしを一から、自分たちの手で築き上げていくことに、私は心からわくわくしていた。


――私は何を間違えたのだろう。


いつから、一樹と出会った頃の私ではなくなってしまったのだろうか。



17へつづく


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