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連載 コーポ長谷川15|ナイフみたいに尖ってますnow and then 〜今も昔も、傷つけずにはいられなかった〜

マキの姿が、硝子戸の向こうに近づいてくる。

車から降りたそのまま、鬼のような目で私を射抜いていた。


「田中さん……」


声をかけると、彼も無言で立ち上がった。


「……おぉ」


包帯を巻いた右手をだらりと下げたまま、マキは無言で戸を開けて入ってくる。


「何しに来たの」


私が呟くと、マキの唇がわずかに歪んだ。


「ねえ。まだ、ここにいるの?」


「……帰って」


「何も終わってないのに、帰れってどういうこと?」


その言葉に、田中さんが一歩前に出る。


「お嬢ちゃん。今日はそれぐらいにしとき。ちょっと頭冷やしてな」


「おっさんには関係ない」


「関係あるで。うちの職場に乗り込んで来とるんやからな」


マキが一瞬、田中さんを睨み、けれどすぐに私へ視線を戻した。


「……あたしの友だち、暴力団の組員だからね」


「え?」


「お前、調子のってんじゃないよ。一樹さんの家族も、友達も、お前よりあたしの方がお似合いだって、言ってた」


思い出す。

幼かった頃、クラスにいた。マキのような子が。

満たされない気持ちを、他人を攻撃して傷つけることで、無理やり埋めようとする、あのタイプ。


小説やドラマなら、きっとこう描かれるだろう。

実はマキと私は幼い頃の同級生で、私が知らず知らずのうちに彼女を傷つけ――そして、今こそ復讐の瞬間。

読者が納得できるような因縁と辻褄。

でも、現実にはそんなドラマチックな理由なんてない。

ただただ、理不尽な不快と衝動。それだけだ。


「そっか。よかったじゃないですか。私も、そう思いますよ。幸せになってくださいね」


曖昧に笑みを浮かべ私がそう言うと、マキは舌打ちし、田中さんを睨みつける。


「なに見てんの、あんた。不細工なツラしてさ。喋り方も田舎くさいし、あっち行けよ」


田中さんはポケットに手を突っ込んだまま、無言でマキを見下ろしていた。


マキの目は濁っていた。

あの日、私の部屋の窓を割って入ってきたときと同じ――いや、それ以上の色だった。


「昔から、お前みたいな女が大嫌い。人のこと見下して、馬鹿にして。自分ばっかり得してさ」


田中さんが、短く息を吸ったのがわかった。


「なあ、お嬢ちゃん」


彼が、少し声を低くして話しかける。


「それは……自分自身の問題や。本当に恨んでるのはこの子やのうて、その、馬鹿にしてきた誰かのことやろ」


マキは一瞬だけ、田中さんを睨んだ。でもすぐに顔を逸らす。


「……ずっと黙ってた、あたし。黙って見てた。

お前が、当たり前みたいに一樹さんの隣にいて。笑って、安心して、あぐらかいてるの、ずっと。

一樹さんのこと、大切にしてなかったでしょ? あたしは気づいてたよ」


次々に放たれるマキの言葉が、矢のように私を貫いた。

古傷を抉られるようで、私はマキを直視できなかった。


「あたしが一樹さんを救ったの。だから、あんた、消えてよ」


そう吐き捨て、背を向ける。


田中さんも追いはしない。ただ、ゆっくりと肩の力を抜いた。


車のドアが閉まる音。

砂利を踏むタイヤの音が遠ざかっていく。


「……ゆいっぺ。大丈夫か」


私は、小さく頷いた。


いつからだったか。一樹を、ちゃんと見ていなかった。

マキは、その“隙間”を見逃さなかったのだ。


その日私は、マキの満たされぬ承認欲求の、サンドバッグ代わりになった。

そして田中さんは、とばっちりを受けたのだった。


田中さんは、小さくため息をついてから呟いた。


「ああいう子、どっかで止まってもうたんやな」


その声に、私は顔を上げることができなかった。


「止まってしまった」――その言葉が、胸の奥で、じんわりと染みていく。

まるで時間が止まったままのマキの心の中に、今の彼女が閉じ込められているように思えた。


子どもの頃に傷ついたまま、大人になっても癒されることなく、

優しさに飢えて、愛情に渇いて、その空洞を埋める手段が人を傷つけることしかなかったとしたら。


私が出会ったマキは、“悪い人”というより、どこか壊れてしまった人だった。


けれど、だからといって、受けた言葉の棘が消えるわけじゃない。

言い返すことも、許すことも、今はまだできそうになかった。



「……誰も止めてくれなかったのかな」


自分の足元を見つめながら呟くと

田中さんは何も言わず、空を仰いだ。

夕暮れの光が、事務所の庇の端に赤く滲んでいた。


私は、コーポ長谷川に引っ越してしばらく経ったある日のことを思い出していた。


「会社にさ、緊急連絡先を出し直してくれって言われたんだ」


クロの餌を用意していた私の背中に向かって、一樹が言った。私は「うん」とだけ返す。


「固定電話で繋がるところが、昼間は不在がちな親戚宅しかないなら、同棲中の彼女さんの携帯とか、会社の方が連絡つくんじゃないですか?って、総務の子に言われたから。それにしておいたけど、いいよね?」


嬉しそうに餌を頬張るクロを眺めながら、私は言った。


「……大丈夫だよ」




遠くの方で、カラスが一羽、鳴いていた。


16へつづく


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