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連載 コーポ長谷川12|恋?愛?もはや発情

一樹と初めて会ったのは、高校三年の春。バイト先のコンビニだった。




品出しをしていた背中に、入口のチャイムが鳴る。


「いらっしゃいませ」と振り返ると、男の人が一人、まっすぐレジへ向かっていく。


慌ててカゴを置き、私もレジの内側へ回り込んだ。




「キャメル、ください」




煙草を指さしながら、落ち着いた声でそう言う。


セブンスターやラーク、よく出る銘柄の場所なら体が自然と動くようになっていたけれど、「キャメル」はまだ馴染みがなく、どこだっけ……と目と指を泳がせていた。




「キャメル、キャメル……」




小声で呟きながら探していると、彼が小さく笑って言った。




「もうちょい右。そうそう、そこ」




「あっ、はい!」




やっと見つけて彼のほうを振り返ると、柔らかく微笑んでいた。


整った顔立ちで、でも気取った感じはなくて、その笑顔に、少しだけ胸の奥がざわついた。




会計を済ませた彼は、すぐには帰らず、雑誌コーナーで立ち読みを始めた。


レジ業務に追われながらも、ちらちらと彼の背中が視界に入ってくる。


長くいるな、とは思ったけれど、特に気に留めることもなく時間は過ぎていった。




レジの列が一段落して、もう一人のスタッフ、いくちゃんと並んで小声でおしゃべりをしていたそのとき。


彼が再びレジにやってきた。今度は商品を何も持たずに。




「バイト、何時に終わる?」




いきなりの言葉に戸惑い、隣のいくちゃんを見ると、彼女はニヤニヤしながら視線を私と彼の間に泳がせている。




「え、あ……9時ですけど」




思わず正直に答えてしまった。




「そっか。終わってから、忙しい?」




目でいくちゃんに助けを求めると、彼女はニヤけたまま、そっとバックヤードに逃げ込んだ。




「ちょっと……忙しいです」




そう言って愛想笑いを浮かべると、彼は少しだけ残念そうな顔をして、「わかった、ごめんね」とだけ言って帰っていった。




次の日からだった。


彼が、毎日私のバイト先に顔を出すようになったのは。




いつも同じ時間帯に現れて、タバコか缶コーヒーを買う。


そしてしばらく店内をうろうろしてから、特に用もないように帰っていく。




そのさりげなさが逆に目立って、いくちゃんなんて「ちょっとちょっと、あの人また来たよ」と毎回肘で小突いてきた。




「顔も整ってるし、背も高いし、なにより優しそう。いいなぁ」




と、いくちゃんは心底うらやましがっていた。




でも私はというと、まだ半信半疑だった。


ナンパしてきたという事実が、やっぱりどこか引っかかる。




でも、あの笑顔や、缶コーヒーを片手に立っている姿を見るたびに、心がふっと柔らかくなるのも事実だった。




数日後、いつものように缶コーヒーを二本持ってレジに来た彼は、支払いを済ませると、そのうち一本を私に差し出した。




「一本はゆいちゃんに。どうぞ」




「え、あ……」と自分の名札を見下ろし、「はい」と受け取る。


受け取る手が、なんだか少し震える。




袋の中には、缶コーヒーの隣に小さく折り畳まれたメモが入っていた。


そこには、電話番号とメールアドレスが、黒のボールペンで丁寧に書かれていた。




「連絡、待ってるね」




それを最後に、彼はふっと、姿を見せなくなった。


まるで、「釣った魚にエサはやらない」とでも言いたげな、あっけない消え方だった。




でも、私はもう、気になって仕方がなかった。


駆け引きかもしれない。試されているのかもしれない。


そう思いつつも、メモの文字を何度も見つめてしまう自分がいた。




結局、私はメールを送った。


そのあと何度かデートを重ねて、気づけば、私たちは“そういう関係”になっていた。




ありふれていて、どこにでも転がっていそうな恋の始まり。


でも、そのときの私は、確かに少しずつ、一樹に惹かれていた。




あの日から四年間、私たちが会わなかった日は数えられるくらいしかない。




出会った時の静けさはみるみるうちに、けたたましく湧き上がる湯水のように変貌し、


私たちはどうしようもなく、互いを求め合っていた。




***





何を話せばいいのか分からず、ふたりの間に流れる沈黙だけが、部屋の空気をじわじわと張り詰めさせる。

窓の外では、雨が静かに、しかし絶え間なく降り続いていて、その音だけが、気まずさを誤魔化すように響いていた。


隣り合わせに座り、窓を伝う雨を、ただただ見ている。


沈黙を破ったのは、一樹だった。


「……お袋」


「え?」


「お袋、二人っきりにすれば、俺らが寄り戻すとでも思ったのかな」


そう言って、一樹は笑う。


少し痩せて、どこか弱々しくなったように見えるけれど、笑うとくしゃっとなる目尻の皺や、くっきり出る笑窪は、あの頃のままだ。


「ああ」


「なるほどね」と言って、私も笑う。


「俺は、別にここにいれば?って言ったんだけど、みんなして隣行っちゃったよ」


私は小さく笑った。



夏の終わりを告げる雨は、気温を急激に下げていた。

ひんやりとした空気が部屋を漂うと、指先に触れそうな距離のぬくもりだけが、息をするたび胸を締めつける。


その肌に触れたい衝動に、高鳴る鼓動は息を苦しくさせる。

けれど、どこか虚しくて、哀しい。



一樹が出ていってから、私はずっと背を向けて、見て見ぬふりをしていた。

けれどこうしてまた、肩を並べて座っていると、春の雪解けのように、凍りついたものが温かく、そして生々しくその姿を現す。


それは、もう終わったはずの季節が、名残雪のように心に舞い戻ってくる感覚だった。




──13へつづく。


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