小説 コーポ長谷川 ①|ボロいいアパートで起きた珍事件
夕暮れ時、キッチンのすりガラス越しに外灯の明かりが差し込む頃、101号室の前をさまざまな靴音が通り過ぎていく。
疲れているのがにじむが、どこかしゃんとした靴音。気だるさを引きずるような足取りの靴音。
私は愛犬を撫でながら、それらの音に耳を澄ます。そして、無意識のうちに靴音の主の姿を思い描いている。
築三十年を超える2DKのこのアパートに住んで二年になるが、隣人の顔すら知らない。
私の部屋は共用廊下の一番奥にあり、通り過ぎた足音はそのまま階段をカンカンカンと上がっていく金属音に変わる。
靴音のラッシュアワーが過ぎると、今度は上の階の部屋の足音が、せわしなく行き来を始める。
薄い壁を隔てた隣の部屋からは、ギターの音と、お世辞にも上手いとは言えない歌声が漏れ聞こえてくる。
「コツッコツッコツッ」
夜9時をまわった頃、鋭いヒール音が通り過ぎようとしている。キッチンのすりガラスを横切るシルエットは小柄な女性のように見える。テレビをなんとなく眺めながら、そのヒール音が遠ざかるのを感じていると――突然、音がぴたりと止まった。
「ピンポーン」
女性の一人暮らし。オートロックシステムがない部屋の夜間のチャイムはちょっとした恐怖だ。恐る恐るドアの覗き穴から確認すると、見知らぬ女がそこに立っていた。
———見知らぬはずのその顔に、ぞくりと背筋が凍った。
【2】へつづく






