帰省 ~三王女物語 女官の夫クヌート~
クヌートは、地方の靴屋の息子だ。三人兄弟の真ん中で、長男と末っ子は稼業を継いで靴職人をしている。男物の革靴の店だが、長男が妻に作った結婚式の靴を店先に展示してからは、女性物の注文を受けるようになった。
西の大国ラスタフォリスは、女性が外で働くことを推奨している。この二十年で騎士、官吏や学者にも女性の姿が増えてきた。それはこの片田舎でも同じらしい。
「しかしまあ、お前が遠い国に行っちまうとはなあ」
ラスタでの最後の休暇に、家族と会う事を許されたクヌートは五年ぶりに実家に帰っていた。妻のマチルダは宮廷女官、それも第二王女殿下の乳母子のため同行は許されなかった。
「この絵姿でもわかるけれど、あなたの選んだ人は芯が強そうねえ」
母は笑うように、どこかしみじみとそう言った。
クヌートは父母に、自分と妻の絵を贈ったのだ。
国を離れ故郷を離れ、もう二度と親兄弟と会うことはない。だからといってはなんだが、今回の帰省は人生最後だという心づもりで、記念の物を用意して持って帰ってきた。
もちろん、彼からこのような手の届く発想は出てこない。妻の主人、二番目の王女様の発案である。
それを家族で見ながら団欒の時を過ごす。
「そりゃ宮廷で王女様の乳母子なんて人だぜ? おれはまだ信じられないよ」
末っ子は、クヌートが山岳兵から昇進して近衛兵隊に入隊した時も同じようなことを言っていた。
「クヌートがこんなお嬢様を捕まえて、さらには王女様の輿入れについていくとは…」
兄がクヌートの頭を撫でまわす。笑ってはいるが、どこか寂しそうな声色だった。
「私は、お二人がどんな風に出逢われたか知りたいわ」
「それは誰にも言いません、秘密です、義姉さん」
口数の少ないクヌートは、こんな風に家族の注目を浴びることはなかった。なかったからこそ好き勝手に士官学校へ志願し、家を顧みずに生きてきた。
当然そこにあるもの、と思っていたのかもしれない。
親父は白髪が増えたし、おふくろは少し小さくなったように感じる。
これが今生の別れとは、とても思えない。実感がなかった。
妻のマチルダは第二王女つき女官、その筆頭として輿入れに同行する。
第二王女の母君、王妃ユリアンナ様も、同じように輿入れの際に乳母子の女官を同行させた。それがクヌートの妻マチルダの母親である。
生まれ育ちが後宮、それ以外の場所を知らない。
妻マチルダはその誇りで立っているような女だ。けれど、その分市井への憧れもあるのか、王都の流行物などを土産に買っていくと、相貌を崩して喜んだ。
さて、問題はその輿入れ先だ。
西の大国と呼ばれるこのラスタフォリスで、大陸一の美貌と謳われたユリアンナ王妃は、西方の医学の国シュルタから輿入れされた。
その美貌を受け継ぐ第二王女は一体どこの誰と結ばれるのか、政略か恋の道か、多くの噂を呼んだ。
なにせ、王族としてこれ以上のない生まれである。
そして妻にいわせれば、美貌はソフィア様の武器の一つであるが、それが全てではないそうだ。確かに頭も切れて、乗馬も、刀や弓も扱える破天荒な一面もある。
深窓のご令嬢とはとても言えない、宮中でじっとしていられない王女殿下。
彼女の輿入れ先が知らされた時、本人以外は驚嘆し、話題は洪水のように人の口にのぼった。
草原の国ウルジル。
それが輿入れ先である。
蛮族の国、みながそう思っている。
第二王女のソフィア様が、何故そのような格下の国に嫁ぐことになったのか。
それはそれはちゃんとした理由があるのだが、宮廷は悪口ネズミの巣窟だ。
ソフィア様が政治や経済など学問に通じること、馬に乗って弓を使うこと、弁論や演説には時として司法家でも舌を巻くこと。
女性進出が推奨されてきたとはいえ、王侯貴族が男の領分に踏み込んだと思われることが多かった。
それだから、性格が悪いだの、一歩下がっていればいいだの、三姉妹のなかで一番陰口が集中する。
今度のこともそれ見た事か、と鬼の首を取ったように悪口ネズミは活気に踊った。きっとあんなじゃじゃ馬は、蛮族以外に貰い手が無かったのだ。
無論、そんなことはない。
クヌートは近衛兵として近くでご本人を見てきた分そう思う。だが時折、妻マチルダの主人贔屓に影響を受けているかもしれないとも思う。
努力家なことは確かだ。
王女殿下に弓を教えたのは、山岳弓兵だったクヌート自身である。
呑み込みが早いには早いが、お姫様が指先の皮が硬くなるまで練習する。かなり、いや、本気で度肝を抜かれた。
王宮には山猿がいる、とまで言う輩がいるらしいが、ならお前がやってみろとクヌートは思う。
何かを学ぶには遅いということはない。
よく巷でそういうが、家が田舎の靴職人だったクヌートはあまり信じていなかった。狩りは子どもの頃に覚えるのがいいし、馬の扱いに慣れているに越したことはないではないか。
その考えを、第二王女ソフィア殿下はひっくり返してしまったのである。
家族との別れはつらい。
草原の国で、一体どんな夫婦生活になるかわからない。
でも、面白そうだ。
クヌートは、それを、何かしら家族に伝えたくて帰省したのかもしれない。
自分はどこか、無鉄砲で無茶なところが昔からある。
見た事がないものを想像するのが好きだ。
山の中で洞窟を見つけると、ドラゴンが棲んでいると思って、ごっこ遊びに熱中した。
いまそんな気分なんだよ、父さん、母さん。
夜が更けていく。
おやすみの挨拶をする前に、それを言うつもりだ。
上手く言えるかわからないけれど、不安より、楽しみが勝っているんだ。
だから安心してほしい。
手紙は必ず書くから。
「身体に気をつけろよ」
父がとっておきの酒を飲みながらそう言った。
秘蔵の酒を分けてもらうと、それは少し癖のある匂いがした。都会のこじゃれた葡萄酒とは大違いだ。
いつか手紙だけじゃなくて、草原の国の地酒も送れるだろうか。
そんなことを思いながら、父さんこそ、とクヌートは返事をした。