ヒトラーの子どもたち
さんざん泣いて疲れ果てたザフィールを連れて家に戻ると、スレヴのお父さんが黙って息子の肩を抱き、お母さんは温かいスープをよそってくれました。
これがどんなに奇跡的なことか、書き加えておかなければなりません。
私たち三人の子どもは、それぞれ異なる——しかも敵対するルーツを持っていました。
ザフィールは、ドイツの金融危機はユダヤ人が引き起こしたものだと、信じ込まされていました。
スレヴ一家は、日々の営みの中でキリスト教徒から心ない言葉を投げかけられることがしばしばありました。
私はというと、亡き母がロシア人でした。後から知ったことですが、当時のソヴィエト連邦では恐ろしい飢饉が起こり、やっとの思いで逃れてきたロシア人がたくさんいたそうです。
大ざっぱに分けてみて、ザフィールはドイツ、スレヴはユダヤ、私はロシアのルーツを持っていたことになります。
そして《ポーランド》という場所も、また特異な地でした。
かつてのドイツ帝国とソヴィエト連邦のあいだ、戦の緩衝地であり、コサック兵が攻めては返し、ナポレオンが攻めては返した、長い歴史の争いの場所。
1930年当時のポーランドは、東西から逃げてきた人々がたどり着く、最後の受け皿だったのです。
さまざまな人種と文化が入り乱れ、差別と偏見から生まれる諍いも多くあったでしょう。
そんな中で個々のコミュニティを作り、お互いに干渉しないよう、日々をつつましく暮らしている……心のどこかで束のまの平和だと知りながら……そんな雰囲気がありました。
大人たちは分かっていたはずです。
ザフィールの胸に息づく差別の種に、または、侮辱を耐えしのぶスレヴの悔しさに。
相手に見下されていると知りながら、あえてその窮地を助けられる人間が、いったいどれだけいるでしょうか?
スレヴのお母さんは、まるで当たり前のように、ザフィールを食卓に迎え入れました。
「貴方がウワサのお客さまね」
やわらかい声でそっと話しかける姿が、スレヴにそっくりなお母さんでした。
合わせて、今度はお父さんの低い声が、理知的に響きます。
「きみがもし本当に嫌なら、受け取らなくてもいい。だけど私たちは人の親として、子どものお腹を満たす義務がある」
少し突き放したような、冷たくさえ感じる語調でしたが、ザフィールは顔を上げました。
もしかしたらスレヴのお父さんは、《義務》と言い切ってしまったほうが、かえってザフィールが受け取りやすいと分かっていたのかもしれません。
飢えた高慢な少年は、黙ってスプーンを取りました。
ひと匙すくって、おずおずと匂いを確かめ、自分のくちびるにふれさせて、ようやく——彼はスープを飲み込みました。
私はひたと見守りました。
喜んでくれるかしら? それともやっぱり、嫌がるかしら……。
「……おいし」
ザフィールは、初めて安心したように息をつき、口もとをゆるめました。
それは笑顔というにはぎこちないものでしたが、私たちには十分すぎるほどの表現でした。
それから、ザフィールはしばしば私たちと夕食を共にするようになりました。
彼の父親は相変わらずでしたが、スレヴと私の父から紹介を受け、工場の仕事に就いたようでした。
そうして例の金時計は、少しずつ、修理が始まりました。
スレヴのお父さんが、作業台の上で一つ一つの部品を丹念に観察し、足りないところや欠けたところを補っていく様子を、私たち三人は興味深く眺めたものです。
「きれい……」
「こら、ヴィーシャ、触ってはいけないよ」
「さ、錆が、つくから」
スレヴは、まだザフィールの前では言葉少なでした。その代わり、ちゃっかり手袋をして、お父さんを手伝っています。
「この、歯車、欠けてる」
ふん、とザフィールが鼻で笑ったので、スレヴは萎縮したように身をすくめました。
「元からこんな時計、動いちゃいないんだ」
ザフィールは査定台に頬杖をついて、つまらなそうに言いました。
「これが王族の証なんて嘘っぱちだよ。どっかのガラクタ市で出回ってた骨董品だろ」
「なんだぁ、つまんないの。王族の隠された秘密でもあるのかと思っていたのに」
「夢見るのは絵本の中だけにしとけ。このお子ちゃまが」
「ザフィだって、私と二つしか変わらないでしょ!」
私とザフィールがケンカを始めると、スレヴに「ほこりが立つから」と追い出されて仕方なくキッチンに行く、そんな新しい日常が生まれました。
そうして、ひと月が経った頃のことです。
午前の学校が終わり、私たちは屋台で餃子パンを買いました。熱々のカボチャ餡にハフハフと息を白くさせつつ、ザフィールは言いました。
「スレヴは、ハロウィンやクリスマスが嫌じゃないのか?」
私とスレヴは顔を見合わせました。
突拍子もなく、どうしてそんなことを訊くのだろうと思っていると、ザフィールが気まずそうに言いました。
「ドイツにいたときは……ハロウィンは、ユダヤ人をからかう日だった」
私は驚いてスレヴを振り返りましたが、彼に動揺はありませんでした。ただ頷いただけです。
それを見て、ザフィールは話を続けました。
「ゲームに負けると、赤い鼻をくっつけたり、黒い毛糸のカツラを被せたりして——嘲笑うんだ。赤いマントを着て共産主義者のマネもする。それを『ヒトラー・ユーゲント』がやっつけるんだ」
ザフィールの言っていることは、難しくてよくわかりませんでした。
しかしそんな私でも《ヒトラー》の名前は知っていました。その年の新聞に大きく写真が載っていたことを思い出したのです。
「ヒトラーって、おもしろいヒゲのおじさんよね」
「おじさんなんて言うなよ。ドイツの何百万っていう失業者を救ったんだ。次の選挙では、きっと首相になる」
「ねえねえ、ユーゲントって、なあに?」
私が訊き返すと、ザフィールはピロシキを口いっぱいに頬張りながら、それでも誇らしげに言いました。
「ヒトラーを応援する青年団だよ!」
「や、ちょっと! 中味が飛んできたわ!」
ザフィールは頬を紅潮させました。ごっくんと飲み下してから、両拳を握りしめて言います。
「制服が最高にカッコ良いんだ!」
「ふぅん」
「あ、信じてないな」
「だって見たことないもの」
「見てろ、俺もそのうち入ってやるから」
「ちっぽけなザフィが入れるかしら」
「生意気なやつ!」
私とザフィールがやいのやいの言い合っている間、スレヴは黙っていました。
そのことに気づいたのは、彼がやっと口を挟んだからです。
「——は、ハロウィンと、クリスマスのこと、だけど」
私はハッとして黙りました。
スレヴは査定品を観察するような、静かなまなざしで言葉を続けました。
「ザフィが、そ、それを言うのは……キリスト教の、行事だから?」
ザフィールは首をわずかに傾げて、頬を掻きました。
「キリスト教の信者はユダヤ人の敵だろ。ローマの時代に迫害されたから、こんな北の奥地まで追いやられたんじゃないか」
私は「そんな!」と声を荒げました。
「おまえ、知らなかったのかよ」
またしても「お子ちゃまが」と言わんばかりの顔にムカッとしましたが、私はスレヴに向き直りました。
なぜって、スレヴの家ではユダヤの祭日もキリスト教の祭日も、いっしょくたに祝っていたからです。
「もしかして、ずっと嫌なのをガマンしてくれていたの?」
私の動揺を悟ったのか、スレヴは優しくほほ笑んで、いつものように頭をなでてくれました。
「ガマンは、してない」
そうして訥々と、途切れながらも、スレヴは話してくれました。
ユダヤ教もキリスト教も、一人ひとりがどう信仰するかは自由だということ。
それぞれの家庭によっても違うこと。
私を預かることになったとき、楽しい行事は家族で共有しようと話し合ったこと。
そして何より——スレヴ自身が、クリスマスを楽しみにしていること。
「ヴィーシャが、ま、毎年くれるカードが、楽しみなんだ。本を読むのも上手、絵も上手、すごいと思う」
私はなんだか頬が熱くなってしまいました。
「スレヴは私と四つしか違わないのに、物ごとをとっても深く考えてるのね……」
スレヴは小さく笑って、そういうふうに、お父さんとお母さんが教えてくれただけだよ、と答えました。
幼い私がどんなに安心したか、これを読んでいる人にも、想像は難くないでしょう。
改めて、彼ら大人たちの寛容さを賞賛させてください。
子どもを洗脳することは簡単です。しかし、彼らはそれをしませんでした。
私たちのルーツはお互いに敵対し合うものでしたが、だからといって、無知や偏見によって遠ざけられることはなかったのです。
一緒にお店の地球儀を眺めたり、ある日は子ども部屋で絵本を読みました。
母がかつてロシア語で聞かせてくれた物語を、思い出をたどりながら、ポーランド語に直して朗読すると、スレヴとザフィールはウサギのように耳をそば立てて聞いてくれたものです。
またある日は、スレヴが振り子時計の修理をしているのを、ザフィールがずっと眺めていたこともあります。
時に笑い、時にケンカしながら、私たちは自分の言語を交換し合いました。
ザフィールは、ドイツ語とちょっぴりのフランス語。
スレヴはドイツ語、ポーランド語と、ちょっぴりのヘブライ語。
私はポーランド語と、子ども程度のロシア語。
三人で音楽を楽しむこともありました。私のピアノに合わせてザフィールが歌い、スレヴはタンブリンを叩きながら踊りました。
食卓には酢漬けキャベツ、リンゴや洋梨のコンポート、サワークリームをのせたボルシチ、マッシュポテトにソーセージ、などなど、ルーツ混ぜこぜの家庭料理が並び、もちろんお皿を空っぽにしなかった日はありません。
それは常に、周囲の大人たちの寛容さと、つつましい思慮によって支えられていました。
とき同じくして、ドイツの青少年がどんな教育を受けていたか。
大戦を恨む元兵士たち、失業をユダヤ人のせいにする商人、渦巻く不安、古い体制、社会を変えようと叫ぶ若者たち。
そんな負のエネルギーをすべて《革命》という耳ざわりの良い言葉で包み込み——
ヒトラーは、子どもたちを洗脳していったのです。




