表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ナチス将校、溺れて屈する。  作者: 秋乃まことゑ
おまけ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/27

いつか もしかの 平和な世界で(前)

【IF背景】


オーストラリアでルームシェア中、数年目。

それぞれ20代半ば。

ヴィーシャとザフィールはユーロ圏、スレヴは中東ルーツ。

留学ビザや就労ビザを申請したり延長したりで滞在中。

共通言語は英語(※ 日本語で書いてありますが、英語のつもり。ややこしくてゴメンよ!)


ヴィーシャ……ナショナルスクール(小学校)で事務のアルバイト中。


ザフィール……在学中に一攫千金を狙って配信者になろうとしたが挫折。


スレヴ……華僑系半導体企業のシステムエンジニア。在宅ワーカー。


そして申し訳ないことに、完全に平和な世界設定が、秋乃には思いつかなかった……!!

ということで、世情は今の乱世を反映しております。


どの時代でも、どの国でも、愛する人やコンテンツがそばに在るなら、そこが平和の居場所。

そんな雰囲気で読んでくださると嬉しいです^^

楽しんで頂けますようように……





「ただいまー」


 ヴィーシャがドアを開けると、リビングからザフィのけだるげな声が「おかえり」と返ってきた。


「おかえり」

「スレヴは?」

「まだ引きこもってる」

「もう三日目じゃない!」


 台所で手を洗ってから、ヴィーシャは買ってきた食材を冷蔵庫に入れ始めた。


「ちゃんと食べてるのかしら」

「俺が起きたときは、エナドリ持って行ってたよ」

「そういう問題じゃないわよ……」

「しかしそろそろ、シャワーには入らせるべきだよな。ちょっと獣じみてきた」


 ザフィはゲームの液晶を見つめながら、眠そうに話している。時刻は夕方だが、まだ寝起きなのだろう。

 三人での共同生活が始まって数年経つが、それぞれの生活リズムはバラバラのまま安定している。

 ヴィーシャが朝型、ザフィは夜型、スレヴは不規則型——では、あるが。


「こんなに長いこと部屋に(こも)ったままなんて、今まであった?」

「俺の覚えてる限りじゃ、ないね」

「そうよね……」


 ヴィーシャは頬に手を当てて、スレヴの仕事部屋へ顔を向けた。

 そもそも、部屋に引き篭もるひと月くらい前から、何か悩んでいたような気がする。


「ザフィ」

「あ?」


 ヴィーシャがソファの背もたれに肘を預ける。ザフィールの後頭部には、まだ寝ぐせが残っていた。


「悪いことは言わないから、謝ってらっしゃいよ」

「なんで俺だよ」

「スレヴのこと、傷つけたんじゃないの?」

「はあ?」

「あなたって、時々デリカシーのないことを言うから」

「それはお前だろ!」

「スレヴは私の言うことなら許してくれるもの」


 ゲームオーバーになり、ザフィールはSwich2(最近届いたばかりで、ザフィがスマホよりも愛用している)をクッションに放り投げて振り返った。


「なんでヴィーシャなら良いんだよ。ふつう俺だろ?」


 言葉の先を待って黙っていると、ザフィールは露骨に目を逸らした。


「ふつうは、好きな——相手を、優先するもの、なんじゃないのか」

「スレヴは私のことも好きよ」

「そうじゃなくて!」


 ザフィールの狼狽(ろうばい)ぶりを見て、ヴィーシャはにっこりした。


「わかってる。どちらもLove()だけど、貴方に向けられているのはLibido(劣情)よね」

「そうだぞ、アイツ、信じられない……」


 スレヴがザフィにカムアウトしたのは三ヶ月ほど前。

 ちょうどザフィールが進路に悩んで、本国に帰ろうと思っている、と相談してきた頃だった。


「あれは熱烈な告白だったわよね」

「バカ言えよ。俺は、友だちだと思ってたのに」

「でも、あなたも結局、スレヴのことが好きなんでしょう?」

「はあ!?」 

「だって見たわよ、この前。夜中にキッチンでキスしてたの」


 とうとうザフィールの顔面は限界突破したのか、ケチャップを塗りたくったように赤くなった。


「おま——! なっ、」

「私だって、見たくて覗いたわけじゃないの。水が飲みたくて出てきたら、あらあらって感じだったわ」


 ヴィーシャが肩をすくめて両手をひっくり返すと、ザフィールはクッションに顔をめり込ませた。


「あれ、は……つが……た、から」


 声がこもって聞こえない。なんだかブツブツ言っている。

 どうやら、アイツがいきなりしてきたからとか、避けきれなかったとか、弁明しているようだ。


(さあ、それはどうかしらね)


 ヴィーシャは、スレヴの想いや葛藤を知っていた。

 彼が生まれた場所はイスラム文化やヒンドゥー教の圏内で、同性愛者は差別される。


 ——ふ、ふ……十代の、とき、いっそ、チベットにでも、行って……


 スレヴがいつだったか、酔って話してくれたことがある。

 

 ——世俗を、捨てて、僧侶に、なろうか、って思ったことも、ある。


 本人にとっては笑い話のようだったが、思春期のスレヴがそこまで思い詰めていたのだと思うと、ヴィーシャは胸がギュッとなった。

 そして幸いなことに、そうして泣くスレヴのことを、彼の両親が否定しなかったということも。


 ——だけど、やっぱり、そういうところでは、結婚して、一人前、だから。


 スレヴは訥々(とつとつ)と教えてくれた。

 田舎のちいさなコミュニティで、いつまでも結婚しない自分がいると、両親を孤立させてしまうこと。

 だからせめて経済的には援助できるようにと、一生懸命勉強したこと。

 そうして中東からインド、オーストラリアへと友人もなく流れてきた、と彼は達観したような笑みを浮かべていた。


(そんなところに、ザフィが来たのよね)


 この部屋に引っ越してきたとき、ザフィールは剣呑で、無力感に覆われている雰囲気をまとっていた。


(私たちの世代特有の、漠然とした不安感、っていうのかしら)


 ヴィーシャはポーランド、ザフィールはドイツの出身である。

 国がおなじEU圏内といっても一枚岩ではない。国々が抱えている問題は様々で、この先この国でどんなふうに生きていけば良いのか、途方に暮れてしまいそうになる。

 その無力感をSNSは慰めてくれるが、承認欲求の格差は広がるばかり。

 ザフィールはとうとう学業を投げ出して、劣等感のモンスターになってしまった。

 そして、スレヴのカムアウト。

 ザフィールのことが好きだから一緒にいて欲しいと、ヴィーシャもいる場所で(もちろんとっくに知っていたが)、けじめをつけて告白した。


(スレヴはザフィを求めているし、ザフィはそれで満たされてる)


 ベクトルの違う劣等感は、互いの《優しさ》という感情をツナギにしてくっついた。

 まるで合挽肉(あいびきにく)のパテのように。

 晩ごはんはハンバーグにしようかしら、と連想する。


「ヴィーシャ、お前は?」

「ん?」

「スレヴのこと、好きだったんじゃないのかよ。それに……気まずく、ない、のか」


(そりゃあ、キスの瞬間を見たら気まずいけど)


 茶化してやろうかと考えたが、ザフィの真剣な眼差しがヴィーシャを思い留まらせた。

 ソファの背もたれを回り込んで隣に座る。


「ザフィは、私にボーイフレンドがいたこと、知っているでしょ」

「ああ、スレヴには『内緒にしてて』って頼まれたやつか。俺、あれでヴィーシャはスレヴが本命なのかと思ってた」

「私もあえて否定しなかったしね」

「ん」

「今だから言うけど、それ、本当は違うのよ」


 ザフィールが首を傾げる。


「この部屋にスレヴが一番長く住んでいるってことは、知っているわよね。私が来るまでは、三、四人が数ヶ月ごとに引っ越しする感じだったってことも」


 つまり、人が居付かないシェアルームだったのだ。

 スレヴは少し変わっている。寡黙だし、自分から関わりを遠ざけるようなところもある。

 だから《ふつうのシェア》をしたい人は数ヶ月で見切りをつけて、もっと居心地のいい場所を探すのだ。


「そんな訳だから、この部屋が立地のわりに安かったのよ。私はあんまり人付き合いとか気にしないタイプだし、お金を貯めたかったから、ここに長く居座ったのよね」

「で、スレヴがお前に懐いた、と」

「ふふ」


 スレヴが「自分は同性愛者だ」と話してくれたときは、驚きよりも嬉しさが(まさ)った。

 自分の反応にスレヴが安堵いっぱいの笑顔を返してくれたことも。


「だけど、その後ね、私にボーイフレンドが出来て」

「それ、俺が知ってるヤツ?」

「その前の人」


 ザフィールは表情を歪めて「うぇ」と舌を出した。


「やめて、その顔。とにかく、私にとっても初めてのことだったから、距離感がうまく分からなくって……彼がヤキモチを妬いたりスレヴに突っかかったりして、最終的に、男二人で殴り合いの大ゲンカになっちゃったの」

「アイツ、ケンカなんかすんのかよ」

「強いわよ」

「野蛮だな」

「サバイバー、なの」


 ヴィーシャは腕を組み、ナショナルスクールに在籍している子どもたちを思う。

 世界大戦後の欧米リベラルな思想によって定められた、児童の基本的人権。

 それに(のっと)ろうとする国、しない国の違いを思う。


「きっと、私たちとは違う世界を生きてきたんだわ」

「そんで?」


 ザフィールはそろそろ話に飽きてきたらしい。


「つまり何が言いたいんだよ」

「スレヴはものすごーく寂しがり屋で、独占欲が強いの」

「へえ」

「それに、私も男性と付き合ってみて分かったけど、スレヴの方が大事みたい」


 小さな頃は、いつか自分も結婚して、一人の男性と特別な関係を築くのだと、ぼんやり思っていた。

 だけど現実のヒト科のオスは、あまりにもへなちょこ過ぎて(もちろん世代や人によるのかもしれないが)、自分が支えたい、この人となら一緒に苦労をしてみたいとは、到底イメージできなかったのだ。


「もし朝晩の『おはよう』や『おかえり』を言うなら、その相手はスレヴなの。だけど私はスレヴのLibido(リビドー)を満たしてあげられないわ」


 ヴィーシャはザフィールを見つめた。

 金髪で美しく、怠惰(たいだ)脆弱(ぜいじゃく)なヒト科のオス。

 野生の獣のようなスレヴに噛みつかれてもどこ吹く風、飄々(ひょうひょう)として楽観的な物言いは、ときにスレヴの深い傷を癒してくれる。

 そんなザフィールが愛おしい。


「気まずくなんかない。むしろ感謝してる。スレヴはザフィと出会ってから、ずいぶん明るくなったわ」


 今度はほんのりと、チークを乗せたようにザフィの頬が染まる。


「俺……スレヴみたいに、学歴も仕事もないし、ゲームしかしてないし、なんの役にも立たないけど?」

「いいの、いてくれるだけで」


 ヴィーシャは立ち上がり、掛けてあったエプロンを取った。


「さ、晩ごはん作ろ。あなたも手伝ってよ」

「今いてくれるだけでいいって言ったばっかりじゃないか」

「それはそれ、これはこれよ!」


 ザフィールがかすかに笑って立ち上がったそのとき、ドアが勢い良くひらく音がした。


「スレヴ?」

「どした、仕事終わったのかー?」


 様子を見に行ったザフィが「うおっ」と叫んで、二人分の体重の倒れこむ音が聞こえる。

 まさか廊下で襲われたのかと、ヴィーシャも少し心配になって様子を見に行く。


「何かあったー?」


 廊下で折り重なっている二人が見える。


「おい、立ちくらみか?」

「ご、め……重い、ね」

「スレヴ、無理に起きようとしないで」


 ヴィーシャはザフィと協力してスレヴの体勢を変えながら、手首で脈をはかった。

 かんたんな応急処置には慣れている。職場柄、子どもたちの怪我や病気に立ち会う場面もあるからだ。

 ひたいで体温を確かめたり、目もとや口もとを見て、ヴィーシャは「貧血ね」と言った。


「ちゃんと食べないからよ。待ってて、今、何か持ってくる」


 冷蔵庫の中から、さっき買ってきたばかりのバナナとミネラルウォーターを取り出す。

 ザフィに支えられて上体を起こした状態のスレヴが、おとなしく待っていた。


「はい。自分で飲める?」

「ご、めん」

「こんなになるまで、いったい何をやっていたんだか……」


 ドアがひらきっぱなしの室内では、PCのモニターが三台、青く光っている。

 デスクから落ちたらしいマウスの横で、スマホが振動して鳴っている。どうやら着信の通知のようだ。

 入るわよ、と断ってからスマホを拾ってスレヴに渡す。

 電話をかけてきた相手の名前を確認した瞬間、スレヴは食べかけのバナナを放り出して着信を受けた。


Hello(はい)!」


 バナナを押しつけられたザフィは、不満そうに眉にシワを寄せている。

 ヴィーシャも状況が飲み込めないまま、スレヴの通話を見守った。

 言葉の中にはトウキョウ、とか、トヨタ、とか時折り日本語が混じっていた。


 そして数分後——


「三人で日本に住もう」


 行こう、ではなく《住もう》。

 突拍子もなく出てきた提案に、ヴィーシャとザフィは口をあんぐりと開けた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ