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2024年、姉の手記より。

 整えられたベッドシーツの横で、オルガ・マリアは車椅子をテーブルに寄せた。

 案内してくれたホテルマンを見上げる。


「もう大丈夫よ。下がっていいわ」


 白く血管の浮き出た手でチップを渡す。

 これでようやく一息つける。

 腰も曲がり切った老体に、西海岸からの旅程はかなりの苦労だった。

 ここはニューヨーク。国連本部の近くに取ってもらったホテルの一室である。


(我ながら、どうしてこんなところまで来てしまったのかしらね)


 国際平和デーを記念して講話を頼まれたことが、いちばん大きな理由ではある。第二次世界大戦から数十年経つ節目もあるだろう。

 だけど一番の理由は、姉の遺言にある。


 ——ずっと……隠してきたの。今なら託せる。


 姉の弱々しい声を思い出しながら、オルガは古革のカバンの中をひらく。


 ——これを、読んで……知っていて。


 そうして渡された、色褪せている粗末な手帳。麻紐でグルグル巻きにされている。その(かたく)なさは、開いたことなど一度もない、と言いたげである。

 ここに姉の秘密が隠されているのだろうか。


(姉さん——《ヴィーシャ》は、どこか神秘的だった)


 テキパキとよく働く人で、結婚はせず、歳の離れたオルガを一生懸命育ててくれた。晩年、自分が姉の身の回りを世話するようになっても、彼女の思考はしっかりしていて、ユーモアあふれる会話で笑い合うこともよくあった。

 しかしその一方で、ぼうっとした虚ろな目で、人形のようにベンチに腰かけ、飽くことなく地平の遠くを見つめていることもあった。

 その二面性が今もって謎なのだ。

 北欧風の容姿や名前を持ち、ウクライナやイスラエルでの出来事にひどく心を痛めていても、それらについてヴィーシャが何かを話すことはなかった。


 最期の瞬間までは。


 息を引き取るそのときに、彼女は苦しげな喘鳴(ぜんめい)の中で、ひと粒の涙と共に、祈りのような一節を呟いた。

 それが、ユダヤ人の祈りの言葉だとわかったのは、何年も経ってからのことだ。


 彼女のルーツはわからない。

 ただ、ひとつの可能性が浮かび上がる。


(ヴィーシャはもしかして、移民だったのかもしれない)


 この麻紐に縛られた手帳をひらけば、彼女の遺言の意味がわかるのだろうか。

 ずっと怖くて確かめることができなかった。

 だからこうして、遠いニューヨークまで来たのだ。

 姉を知り、妹として、遺言に託された秘密を掴み取りたいと思ったからだ。


 オルガ・マリアは、ゆっくりと紐の端にくくりつけられた木製のビーズを手に取った。

 たどるように手帳をひっくり返し、それを三、四回、ようやく縛りは解かれた。

 金縁の分厚い老眼鏡で、託されたものの表紙をめくる。

 最初のページの右上に、ちいさく《Sep.1944》とあった。


(九月……ああ、ちょうど、今から八十年前だわ)


 下に文章が続いていた。


『大変なことになった』

『恐ろしく哀しい光景を見てしまった』


 動揺していたのか、筆致がふるえている。

 ところどころインクが(にじ)んでいるようにも見える。


『約束を果たさなきゃいけない。

 だけど、今の私は祈ることができない』


 文字が不明瞭で、オルガ・マリアは目をこらした。

 しばらく読めない行が続いた。

 再び文字がハッキリとし始めたところに指を差し、それを頼りにまた読み進める。


『せめて、覚えていよう。

 今は約束を果たせない。後年に託すしかない。

 だからこの日記を残しておく。

 今日を忘れないように。

 なつかしい故国、ポーランドの片隅で起こった、ゆるされざる友情と愛について』


 ここで最初のページは終わっていた。


(なつかしい故国……)


 姉の生まれ育った場所は、大西洋を越えた遠くの地だった。


(当時の国境は……たしか、今のウクライナと接していたはず)


 それなら北欧様の見目にも納得がいく。母国語はポーランド語でもあったはずだ。そんな彼女がどうしてアメリカへ渡るに至ったのか。

 オルガは次のページをめくった。

 日付はなんと、一年を経過している。


『ようやく文字が書ける。

 ここは《難民ホテル》と呼ばれているらしい。

 火傷が痛む』


 短い。

 次の日にちは一週間後だった。


『アメリカ陸軍の牧師だという人に出会った。

 英語を学びたいと言うと、なんと辞書まで貸してくれた!

 ページをめくるだけで楽しい。痛みが紛れる』


『辞書を読むたび、アメリカに行きたいという気持ちが募る。

 ヨーロッパはもうたくさん。

 戦争が終わってヒトラーは死んだはずなのに、ナチスの思想はまだ生きている。

 この手記がナチの残党や共産主義者の手に渡れば、きっと焼き捨てられてしまうだろう。

 そのときは間違いなく、書き手の私も同じ運命をたどっているはず。

 彼らに読まれたくないから、英語で書く。

 念のため実名は伏せる』


 日を追うたび、文章が変わってゆく。


『何から書こうか、と考えています』


『懐かしいクラクフの街。

 にぎやかな広場と美しい古城。

 それから、幼なじみのスレヴ。彼は四つ歳上で、とても物知りで、穏やかに笑う少年でした』


 それまでは秩序なく散らばり、ただの単語だった言葉たちが、だんだんと統合され、意思をもつ文章として編み上げられていく。


『彼は彫金細工師の息子でした。

お店には綺麗な地球儀があって、それを回しては色々な国の話——どんな石が取れるか、どういう加工をするか、教えてくれたものです。

 私はスレヴを兄のように慕っていました。私の父は少し離れた街の工場で、経営者として働いていました。だから、スレヴの家族が私の家族でした。

 他にも、広場で駆けっこをしたり、一緒にパンを焼いたり。

 貧しくても、クラクフに住む人々には幸せがありました』


 オルガの脳裏に、朗らかなヴィーシャの笑顔がよみがえる。

 哀愁を感じて、チクリと胸が痛んだ。


『そんな日々が、これほど遠くなってしまったなんて。

 あの雄大なヴィスワ川の(いただき)

 クラクフの南にそびえる山脈から湧きいづる源水のように、私たちは期待と希望に溢れていたはずなのです。

 その水流が分かれてしまったのは、いつだったのでしょうか。

 きっと気づかないほど少しずつ、ちいさな石のまにまに、私たちの運命は流れ出していたのかもしれません。


 忘れもしない1930年、冬の足音が聞こえるように冷え込んだ9月の終わり。

 彼は通りに現れました。


 今でも思い出すたび、あの輝くような金髪が(まばゆ)く映ります。

 蒼玉が()まっているのかと息をのむほど美しい瞳。

 その眼差しは鋭く、ときに私は恐ろしささえ感じたほどです』


『彼は《ザフィール》——のちに私たちの運命を大きく揺るがす、まだ10歳の少年でした』





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