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寝取られた彼女に愛のあはれを重ねた僕は愛の言葉を静かに囁いた。彼女はそれをいつ受け取ってくれるのだろうか。それとも受け取ってはくれないのだろうか。

””愛しているよ””




「ん?」




 少女は振り返る。




 都会の喧騒のなかで立ち止まって。




 何か確かなものを探すように……




「どうしたの?」




 少年が少女に呼びかける。




「なにか聞こえたような気がして」


「気のせいなんじゃない?」


「んー。そうかも」




 少女は再び前を向いて歩き始める。




「でも何か大切なことを伝えてくれているような気がしたの」


「大切なこと?」


「そう、大切なこと。何にも代えられないような、そんな気がするもの」


「ふーん。なんて聞こえたの?」




 少年は少女の隣でそう問いかけた。




「ごめん、なんだか夢みたいにすっと、消えてなくなってしまったの」


「言葉が?」


「そう、言葉が……」




 少女は不思議そうに少年と向き合って見つめ合う。




「すぐ近くから聞こえたようにも思えたし、ずっと遠くのほうから呼びかけられているような気もしたの」


「それは不思議だね」


「もしかして私のことからかってたりする?」


「そんなわけ……」


「ないよねぇ~」




 少女ははにかんだ。




 少年もそれにつられて微笑んだ。




「じゃあ、いこっか」


「うん」




 二人は並んで都会の喧騒へと紛れていく。




 灼熱の太陽が都会を焦がしていた。





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 時が過ぎた。




 そして、少年は凄まじい苦悩に陥っていた。




 頭がひどく混乱して、正常な思考がままならない。




 人生のうちに何度あるのか分からないほど、壮絶な辛苦が少年を襲っていた。いや、すでに彼は青年と呼ぶべきだろうか。




 青年は少年を捨てねばならなかった。




 客観的に定義される少年ではなく、彼自らのうちにある心としての少年を捨てねばならなかった。




 あの彼女との、淡く穏やかな心地のする恋の時間。そしてそれは次第に深みのある感情へと変化していく。




 青年は彼女を愛していた。心から愛していた。




 しかし、彼女は日常のありふれた時間のなかで寝取られてしまった。




 それを知ったのは、青年自らによるものではない。




 青年の友達から与えられたいくつかの証言、これが裏付けとなり判明したことだった。




 密やかに寝取られていた彼女。それは清流の浅瀬が深い森の木々たちに覆われて、日中のなかで暗闇を深めているような、そんな静けさに似ていた。




 彼女との情事。その甘い恍惚とした時のながれ。それが青年ではない男のもとで、知らない彼女の面持ちで、厳かに展開されている。




 青年は静かな涙を流した。




 それはあまりにも静かな涙だった。流れていることすら自覚できないほどに、青年は心を現実とは離れたところへ彷徨わせていた。




 静かに心が浮き立っているとでもいうのだろうか。そわそわするという意味ではない。文字通り、心の大切なものが、心から浮きたってしまっている。心ここにあらずといった感覚。




 そして青年は何日にもわたって、ひどく取り乱すことになった。




 それは何日も何日も、彼女の知らないところで行われた。




 彼女がひそかに、静かに寝取られていたように。




 青年もその怒りを誰にぶつけるでもなく、空虚に解き放っていた。




 何をしたって惨めになってしまう。正義を振りかざすことの意味はそこに存在するのか。やったもの勝ちじゃないか。やられたもの負けじゃないか。勝ち負けとかそんなこと考えたくないのに。不思議とそんなどうでもいいことばかりが心を埋め尽くしてしまい、気が付けば心が元の形ではなくなってしまう。




 それはもうどうしようもないことだった。




 青年はそのような人間だった。




 大切に大切に、彼女と歩んできた月日。それが彼をそうさせた。しかし、彼女はそうならなかった。




 そうならなかった……。




 同じ人間であっても、異なる人であるから、同じことを見て、聞いて、感じたりしても、そこにはまったく異なる存在がいる。




 青年は、愛というものの儚さをおもった。




 それの、なんて脆く崩れやすいことかを、遠い過去の、二人の情景を通しておもった。





「今の君には決して届かない言葉があるんだ」





 青年は強く想いを込めるようにして純粋な言葉を紡ごうとする。




 不思議なことに、怒りの心底には、まだその気持ちがずっと残されているのだ。大切に大切に、何も汚されることなく形を保っているのだ。




 そこには意志のようなものすら感じる。




 それが人間を人間たらしめている所以であるかのように。





「もし、この言葉が君に届くのだとしたら……。それはいつになるんだろうね」





 言葉は不思議な力を持っている。言霊と言われることもあるし、マントラと言われることもある。そこには何か人外の意思が含まれてでもいるのだろうか。




 とてもではないが、人間にはそこまで検証する時間が残されていない。人間はそういう生き物であるのだろう。きっとそうだ。そうでなければ、こんなに不完全なわけがない。




 青年は今までの大切なもの全てに触れているかのような気持ちで、遠い景色を眺めるようにして呟いた。





「愛してるよ」





 言葉は未来を変えることはないかもしれない。たとえ過去を遡って伝えられたとしても、今は何も変わっていないかもしれない。




 でも言葉には確かな力がある。それだけは本当のことだ。そう信じたい。





「僕は愛なんてたいそうな言葉、よくわからないけどさ。僕はそれを受け止めてくれる君がいれば、それでよかったんだ。それだけが、言葉の大切な意味だとすら思っている」





 青年は声を震わせている。壮絶な過去の楽しさがこみ上げてくる。





「ああ……いくら泣いても泣きたりないな」





 青年の言葉が静かに響いていた。





【完】

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