第5話 姫崎奏音と放課後のカフェ
二人は帰る支度を済ませ、学校を出た。当初、裕翔は転移スキルで直帰しようと思っていたのだが、奏音に呼び止められて二人で帰ることになった。
「もう少し先に行くと、いいお店があるんです。寄っていきませんか?」
時刻はすでに十六時をすぎており、ちょうどおやつの時間にはもってこいだ。裕翔は二つ返事で返し、彼女のお勧めする店へと直行した。
──都立明律高校は駅から徒歩三十分のところに位置する。明律高校からスクランブル交差点間にとあるカフェ、ラテ・カフェという店があり、そこの看板メニューは名前の通りか、カフェラテだ。この店のカフェラテはさすが看板メニューであるが故に、普通のものとは少し違った味がする。その他にも、軽食なら大体揃っている。だが、少々、いやかなり値段が高くつくせいかあまり学生を見かけることはない。大体日中から夕方にかけては社会人の割合が多い──
「姫崎、こんな高そうなところ、大丈夫か?」
「ええ、問題ありません。私はここの常連ですから」
そう言って彼女は店員を呼び止め、席に案内してもらった。
「おお、これはこれは。お嬢様、今日はいかがなさいますかな?」
席につくや否や、執事の格好をした初老男性が彼女を見るなり恭しく頭を下げながらそう尋ねた。
「そうですね……燦咲さんは何にしますか?」
「え、あ、俺?」
裕翔は慌てて置いてあるメニュー表を見て、絶句した。
──たっっっか!!!こんな値段するのか?!
そこに書かれているのはファミレスで注文すると数百円で済みそうなものが一つ二千円弱もかかるスイーツだ。最安値で頼もうとしても一千円は軽くオーバーする。ちらっと彼女を見るも、顔には何を頼んでも大丈夫と言っているような顔だ。裕翔は引くに引けなくなり、仕方なく安めのものを注文した。
「じゃ、じゃあ、このカフェラテを一つとショートケーキを一つ」
「それでは私も同じものをお願いします」
「かしこまいりました。お嬢様方、優雅なひと時をお過ごしくださいませ」
そうしてまたもや恭しく頭を下げて去っていった。
「ところで姫崎。さっきからあの人が言っているお嬢様っていうのは?」
そんな質問を奏音に投げかけると、彼女は少し驚いた表情になった。
「私のこと知らないんですか?てっきり知っているのかと……」
「いや、悪い。正直あんまり人付き合いいい方じゃなくてな」
「そうなんですか……あの明律高等学校の理事長って知ってますか?実はあの人、私の父なんです」
「……なるほど、どうりでこんなお高い店に常連になっているわけだ」
裕翔は思ったことを口にしたのだが、逆にその反応に奏音は驚いた様子だった。
「あまり驚いてないんですね」
「まあ、なんとなく察しはついていたしな。お嬢様ってことだからどこかの令嬢だと思ってた。まさか明律高校の理事長だとは思っていなかったけど」
そんなことを話している間に注文したカフェラテとショートケーキが運ばれてきた。
「このカフェラテ、本当に美味いな」
「…………」
見た目は至って普通なのだが、一口飲んでみるとその濃厚さ、特に喉にスルッと入ってくる感じがまるで別格だ。
「……ん?どした?」
奏音の方をみると彼女は何かを我慢しているようにじっと運ばれてきたカフェラテを凝視している。数十秒そんな沈黙が続き、何を思ったのかいきなり彼女がミスクレアを起動した。そしてカメラ機能を立ち上げると奇怪な動きで次々と写真を撮っていく。
「あ……あの、姫崎?」
そう呼びかけると彼女ははっと裕翔の顔を見て『やってしまった』と言わんばかりの顔になり、そして羞恥心からなのか急に顔を赤らめて机に突っ伏した。
「その……燦咲さん……私、こういうスイーツの写真を撮るの好きなんです」
「別に写真撮るくらいみんなやるだろ」
「いえ……その……普段私は一人で来ているので。こんな恥ずかしい姿を見せたのはあなたが初めてです」
そこまで言い終えると机に突っ伏していた顔をあげ、やや恥ずかしがりながらスイーツを口に運んでいく。バックヤードでは先ほどの初老の男性が『ついにお嬢様にも青春が……!』と感動した声が聞こえたのは気のせいだろうか。とにかく、裕翔は奏音が美味しそうにスイーツを食べるのをただ見ている他なかった。
「先程は色々すみませんでした」
スイーツを食べ終え、店を出たのは十七時三十分を少しすぎた頃だった。
「別に気にしてない。たまにはこうやって人と息抜きするのもいいだろ。会計の方は大丈夫だったのか?」
「はい、ミスクレアにあるクレジットで支払いましたので」
「てか、なんで高校生がクレジットを使えるんだよ」
ミスクレアには電子決済仕様も含まれている。現代では紙幣を使用することもできるのだが、近年は電子決済の方が圧倒的に多い。一応クレジットカード使用は年齢制限が設けられているが彼女はどうやってかその公的法律を掻い潜っているらしい。
「まあ、色々ありまして。……ところで燦咲さんの自宅はどちらにあるんですか?」
「俺か?俺は普通にマンションに住んでるぞ」
「本当ですか?奇遇ですね。私も今は実家を出てマンションで一人暮らしをしているんです」
「──今時お嬢様がマンションで一人暮らしなんて、そうそうないと思うぞ?」
流石にお嬢様だという人物をマンションに一人暮らしなんて到底させないだろう、そう思っていた裕翔は少し驚き気味つぶやいた。
「ええ……」
そう言って彼女は少し顔を歪ませた。だがそれは一瞬のうちの消え去り、元の笑顔に戻った。
「もしかして同じマンションだったりしません?」
奏音がそうつぶやいた瞬間だった。二人の前にいきなり黒い物体が出現した。
「……なんだ?」
「っ……あれは……!!でもどうしてこんな市街地に!」
その物体の正体はレギウスだった。この都市──東京第一避難指定都市には全てを覆うように防御スキルが張り巡らされていてそう簡単には突破できないはずだ。なのにその結界をどうやってか破り、侵入してきていた。その生物は二人の前まで移動すると前足と思われる部分で突き刺してきた。
「姫崎!」
その攻撃で分断された裕翔は咄嗟に叫んだ。
「私は大丈夫です。それよりも燦咲さんご自身の心配を!」
──まずい……完全に俺の方にヘイトが向いている。このまま回避することはできる……だがここには姫崎もいる……。いや、何言っているんだ。ためらってる場合じゃない。このまま死んでもいいのか!
起きあがろうとするもその時を狙っているかのようにレギウスが近づいてくる。
「燦咲さん!!!」
彼女は咄嗟の判断でミスクレアを起動し、彼女が得意としているスキル──凍剣を放った。しかし、いくら才があるとはいえど、まだ練習をあまりしていない若輩者。完全にレギウスを氷漬けにすることはできなかった。奏音の攻撃を受けたレギウスはヘイトを奏音に変更した。
「……いや……来ないで!!!!!」
そう言いながら凍剣を連投するも、今度はスキル操作がうまくいかず発動しなかった。レギウスが完全に息の根を止めようと動いた刹那、裕翔は咄嗟にミスクレアの仮想スキルを使って剣型の立体オブジェクトを顕現させ、自らのスキル『神速』によって一気にレギウスの後頭部に飛び乗った。
「おい、お前。俺を見逃すとは、大概運のないやつだな」
「燦……咲さん?」
「それに、姫崎を殺そうとはいい度胸じゃーか。死ねぇぇーー!!!!!!」
──勇者固有スキル『断罪の剣技』発動。
裕翔はなんの躊躇いもなく一気にレギウスの胴体を一刀両断した。
<ギャァァァァァァァァァァ!!>
最後の断末魔と思わしき音を聞きながら裕翔はミスクレアのシステムを落とし、奏音に近づいた。彼女は未だ何が起こったのか把握しておらず、体が震えていた。
「大丈夫、終わったよ。姫崎」
裕翔の声を聞いたからなのか、少し安堵した彼女の瞳から一気に涙が溢れていた。
「私……燦咲さんが……死んでしまうのではないかと……っ!」
「大丈夫だ。俺はこんな程度では死なない。立てそうか?」
「……ダメみたいです。情けないことに足に力が入りません」
「そっか、じゃあ俺に乗ってけ」
そう言って裕翔は優しく彼女に背を差し出した。
「いいんですか……?ではお言葉に甘えさせてもらいます」
裕翔は奏音をおんぶするという奇妙な格好になりながらゆっくり歩き始めた。
「ふふっ。なんか奇妙な感じですね。今日初めて会ったというのに、今こうやっておんぶしてもらっているんですもの」
「まぁ、そうだな。全く本当に今日の一日長すぎやしないか?」
「ええ。今日一日はいつもより長く感じます。だってまだ始業式の日ですよ?」
「……そう言えば姫崎……姫崎?」
奏音は裕翔の背中で気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「姫崎、もうすぐうちなんだが、姫崎の家はどこだ?ってかもう歩けるだろ」
「燦咲さん……ってすいません!私、人の背中で寝て……!あ……私もこのマンションなんです」
「そうなの?」
「もしかしたら本当に……」
「いや、そんな好都合なことはないだろ」
二人は揃ってマンションのエントランスに入った。
「「え……?」」
まさかそんなことになるわけ、そう思いながら裕翔はエレベーターの前までくる。
「「あ………」」
今度は二人同時に目的地である十五階を選択した。お互いかなり気まずさを抑えながらエレベーターを出た。
「「えぇぇぇ!!!!!」」
裕翔は1505号室、その右隣が有沙が住んでいる1504号室、そしてその左隣、つまり1506号室の隣人が姫崎奏音だった。その後何を思ったのか、彼女は一人で急にドアを開け、急いで自宅に戻って行ってしまった。
◇ ◇ ◇
「裕翔、遅かったじゃない。どこ行ってたのよ」
「げっ、なんでお前がいるんだよ」
「げっ、て何よ。別に幼馴染が家にいるなんて当たり前の光景でしょ」
「ラノベの読み過ぎだ。普通の幼馴染ならば適切な距離は保て」
鍵を開けて中に入ると、あろうことか有沙がおたまを片手にエプロン姿で仁王立ちしていた。彼女の頭にはスライムのもちが飛び跳ねている。
「クンクン、裕翔、匂うわね」
「な、何がだ?」
若干しどろもどろになりながらなんとか答えた。
「そう、これはまぎれもなく女子の匂いよ。私というこんなに可愛い幼馴染がいるのに放課後デートするなんていい度胸じゃない!覚悟しろや──!!」
そう言いながら有沙は熱々のおたまを振りかぶった。裕翔は咄嗟に(元いた世界での名残なのか)ミスクレアを起動せず声に出して叫んだ。
『防御結界!』
その効果によって有沙のおたまは幸い頭に命中することもなかったのだが、その夜、結局裕翔の夕食は抜きになり、朝まで懐いていたもちずっと有沙にくっついて離れようとしなかった。
追記:有沙は裕翔の家に上がり込んできた時にスライムを見て感激し、裕翔の夕食が抜きになったことで生じた手作り料理を普段は食べないであろうもちに与えさせていたことは誰も知らなかった。