第3話 学校一の美少女との会合
四月十日、午前六時ちょっと過ぎ。裕翔の部屋では目覚ましがけたたましくなっていた。昨日の夜に開けておいた窓から春風が入り込み、カーテンを揺らしている。眠たい目を擦りながらゆっくりと伸びをし、ベッドから体を起こす。その体のままバルコニーへ出た。裕翔と有沙が住んでいるマンションはいわゆる高層マンションで、十五階に位置する。そこからはまだ目を覚ましたばかりの東京都の様子が伺える。
「今日も快晴、か」
四月ともなると天気が悪い日々が過ぎ去り、やっと晴れる日が連続して出てくる季節だ。時折花粉情報や花見の情報がさまざまなメディアを通して聞こえてくる。だが、朝のうちはまだ少し肌寒い風が吹いている。それが寝起きの顔に当たると心地よい。
「今日は始業式だったか……何時からだっけ?」
そんな独り言を漏らしながらベッドメイキングを済ませ、リビングに移動した。
「おはよう、モチ。今日も元気か?」
モチ、と呼ばれた生物は裕翔の声を聞き、その場で飛び上がった。その生物は犬や猫といった動物ではなく、裕翔が前世で相棒としていた魔物──スライムだ。この世界に転生後、どうにか錬成を駆使してちょうど昨日作り上げた。錬成スキルの作動中に『記憶』を投入することによって昔の相棒の意思を投影したのだ。このスライムの主な食糧源は水と酸素、ゼラチンだけなのでそこまで費用が嵩張ることもない。モチは裕翔と会話らしい会話をすることはできないが、何かと表情が豊かで、たまに「うー」、とか唸るので言いたいことは大体わかる。裕翔はモチとの軽い挨拶を済ませ、洗面所へ行き風呂に入った。彼のルーティンは基本的に朝シャワーから始まる。その後はテレビをつけながら朝食を済ませた。
『おはようございます。今日は一段と花粉が全国各地に飛ぶでしょう。みなさん、マスクなどお忘れにならないよう──』
そんなどうでもいいような内容を耳に流しながら始業式のことを考えていた。明律高校の始業式は主に公演広場で行われるらしい。基本的に召集されるのは新入生だけでそこでオリエンテーションが開かれる、という流れだ。
「それじゃ、いくかな。モチ、部屋から出るなよ」
モチがいるリビングに向かって言い放ち、裕翔は体を玄関の方へ向かわせた。時刻は午前八時を少し回った頃だ。始業式は八時二十分からで、それに向けて有沙はすでに出発しただろう、とそんなことを思いながら玄関の鍵を閉めた。そして裕翔は周りを注意深く見渡し、誰もいないことを確認すると裕翔はニヤリと笑った。
「じゃあ、早速やりますか……!」
ミスクレアを起動させ、地図アプリを開く。そのまま明律高校付近にピン刺しをした。そして全身の力を手に集中させる。
『転移!』
裕翔の声が玄関前に響いた時にはすでに裕翔の姿はなかった。
◇ ◇ ◇
転移するためにはまずGoo◯leマップか何かの地図を用意し、目的地にピンなどの印をつける。その印を元に裕翔自身のスキルで出口になる座標を見つける。そして座標が完全に重なった途端転移できる、という少々面倒臭い工程がある。好きなところに瞬間移動できるほどこのスキルはあまり便利ではない。
午前八時十分ちょっと過ぎ。裕翔は無事に明律高校まで転移した。転移する際毎回のように感じる気持ち悪さを抑えながらミスクレアの電源を落とす。今裕翔が立っているのは教室の入り口前だ。今日は始業式のため、クラスメイトたちは教室へ寄らず、そのまま公演広場まで行っている。裕翔は一見真面目そうに見えて、割と素行が悪く、今日も実は始業式をサボって教室で時間を潰そうなどと考えていた。誰もいないだろうと思いつつも一応教室の後ろ側から中に入った。
「……」
しかし、誰もいないだろうと思っていた教室には一人、先客がいた。その人物はここにはまず絶対にいないはずの姫崎奏音だった。彼女はもう始業式が始まる時間だというのに呑気に自分の机で本を読んでいる。彼女が自身で開けたのだろうか、少し開かれた窓から春風と共に桜の花の甘い香りが漂い、カーテンがひらひらと舞っている。入学式初日から学校一美少女だと謳われている彼女とその甘い匂いの空間が絶妙な雰囲気を醸し出していた。裕翔が入ってきたことに気づいた彼女はゆっくりと本を閉じて会釈した。
「おはようございます、燦咲さん」
いつの間に名前を覚えたのだろうか。まだ裕翔とは面識がないはずなのに、と裕翔が返事をし損ねていると、彼女は小首を傾げた。
「あれ?燦咲さん、で合っていますよね?」
「あ、ああ。俺は燦咲裕翔だ」
「よかった……私は姫崎奏音。これからよろしくお願いします」
裕翔の苗字が当たっていたことに安堵したのか、少し胸を撫で下ろして彼女は名乗った。
「ところで、いったいなんで俺の苗字を知っているんだ?」
「私は毎年、入学式か始業式で一応クラスメイトの苗字を覚えているんです」
「えぇ!まじか……それはすごいな。俺には到底真似できそうにない」
奏音はふふッと笑って話を続けた。
「燦咲さんは私と話していても普通に接してくれるんですね。なんだかこうやって話すのは久しぶりです」
何かを言い返そうと思案した途端、裕翔は先週大翔が行っていたことを思い出した。
『告白してきた男子を一時的に氷漬けにしたとか…』
そんな思案事が奏音には見透かされていたようで、少し困った表情を浮かべた。
「毎回男女問わず私に話しかける時は姫崎様とかいわゆるお嬢様に対する接し方をしてくるんです。別にそれ自体悪くはないですよ?ただ……私としては普通に友達として接してほしい、なんてそう思ってしまう時がよくあるんです」
「その点、俺は変に敬語とか使ってない、ってことか」
「ええ、そのほうが私は落ち着くんです。あ、今更敬語とかやめてくださいよ」
そんな他愛のない初対面同士の雑談を楽しんでいたが、そういえば、と裕翔がふと疑問に思ったことを聞いてみた。
「今日は始業式だけど姫崎さんは行かなくていいのか?」
「実はああいう場所、私はあまり好きではないんです。というか、何かと昔からそういう式的なものに出席してきて嫌気がさしてきて……まあいわゆるサボりです。そういう燦咲さんは?」
彼女はいたずらっ子のようにニヤリと笑った。(しかし笑い方そのものはお嬢様の笑みだ)
「俺か?俺も特に理由はない。同じくサボりだ」
そもそも教室でサボりをしていて誰も注意してこない学校も学校なのだ。
「私たち、共犯ですね。叱られる時は一緒に怒られましょう」
その時彼女は初めて声を出して笑った。そんな声に釣られるように裕翔も気づいたら声を出して二人で笑っていた。
──もしかしたら彼女は噂よりもずっと優しい人なのかもしれない……。
そう裕翔は感じ始めていた。時刻はすでに八時三十分を過ぎていた。もう始業式は始まっている。
「きゃ……!」
いきなり空いていた窓から強い風がブワッと入ってきた。それにより奏音の制服──特にスカートがひらりとまくれ上がった。まさかこんなラッキース◯ベが日常に存在するなんて、という感情を抑え込み、裕翔は即座に目を逸らしながら反対方向を向く。
「……た?」
「はい?なんて?」
「だから……その……見ました?」
「…………すいません」
意外と乙女な仕草をして恥ずかしくなったのだろうか、それとも別の意味でか。振り返った先には若干涙目になって顔を赤らめているいる彼女がいた。裕翔はそんな顔を見ながらスーっと快晴の空へ目線を移動させた。
──ああ、白だった……。
これが学校生活最初の出来事だった。