第1話 入学式
──西暦二◯五一年、四月七日。
時刻午前九時三十分。東京都渋谷区に位置している高校、明律高校では絶賛入学式がとり行われていた。聞き覚えのある入学式のテーマ曲が司会の声と共に流れてくる。今朝は以前の予告通り有沙が迎えにきて、二人で明律高校へ向かった。その後二人は別れ、現在に至る。
「えー、新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。我が校明律高校では、主に冷静沈着、そして文武両道を校風にしており──」
そんな聞き慣れたような新入生を激励する言葉が生徒会長の口から発せられる。そんな席で一人、あくびをしている、帰りたそうな顔をした男子新入生がいた。言わずもがな、それは裕翔だ。有沙は彼と別のクラスになったので、彼女は丁度正反対の位置にいる。
「なあ、ちょっといいか……ええと名前は?」
そんな新入生に一人、話しかけてきた人物がいた。
「俺は燦崎裕翔だ。君は?」
「笹取大翔だよ。よろしくな!」
今この話必要だったか、と裕翔は内心感じていたのだが本来の話を思い出し元に戻す。
「それで、なんで俺に話しかけたんだ?」
「いや、生徒会長の話って校長と同じで妙に長いじゃん?少し飽きてきたからな、話でもできればと思って」
「まあ確かに。しかもその話の内容ってほとんど決まりきってるやつだし」
「本当それ。この世の中テンプレートしかないのかよ」
「それに、この学校って中高一貫だろ?新入生はともかく、繰り上がってきた生徒には同情するよ……ってそういや、俺たちって何組だっけ?」
明律高校はAからGクラスまでが一学年となっている。珍しいことにこの学校では高校から一貫生との区別がなくなり、全員が新入生という形をとっている。そのため、特別に一貫生徒用のクラスはなく、全員が満遍なく配属している。裕翔は耳につけているミスクレアを起動させ、入学要項を確認した。
「‥‥‥多分C組だ。この学校の三階にあるらしい」
「それにしても、ミスクレア、本当に便利だよな。今じゃこれ無しだと何もできないし」
ミスクレアは先も言ったように基本的にスマホの代替品となっているので、なければ不便なのは間違いなかった。内蔵されている『仮想スキル』によって生活が成り立っていると言っても過言ではない。事実として、本来は──仮想スキルが開発された当初は──ただのレギウスを処理する道具でしかなかったのだが、今となってはその目的の範疇を大幅に超え、人間生活の至る所でそれが使われるようになっていた。ただ、あくまで「スキルを使った方が便利」というだけで、別になくても生活は可能だ。実は裕翔は異世界の正真正銘のスキルによってちゃっかり錬成できちゃったりもする。そのため、彼の所持品はほとんど自分で錬成したものだ。そんなどうでもいいような会話をしている最中、やっと生徒会長及び校長の挨拶が一通り終わった。
「ありがとうございました。これで本式のプログラムが全て終了致しました。新入生の皆さんは各クラスに移動してください。本日は午前放課ですので、他学年の生徒はこれにて解散になります。新入生の下校時間は十四時〜十四時三十分となります。保護者の皆様、本日は──」
またこれも決まりきったテンプレートが述べられ、入学式が幕を閉じた。入学式で少し張り詰めていた空気がその一言によって柔和する。裕翔は会場から去っていく他学年の生徒に目を向けた。明律高校の制服は可愛い方である。男子は上半身はベージュ色のブレザーにネクタイ、下半身は灰色のパンツ。女子は同じくベージュのブレザーにリボン、下半身は白と淡いブルーがチェック柄になったスカート。今朝入学式に行くときに有沙の制服姿を見ていたが、流石にその場で可愛いと褒める勇気は裕翔にはなかった。途中までその姿を眺めていた裕翔だったが大翔に肩を叩かれ、目線を戻す。裕翔らは今年度お世話になるであろう一年C組に向かったのだった。
◇ ◇ ◇
一年C組の教室は予想していたよりも騒がしかった。明らかに入学式での緊張が解けたという感じだ。裕翔は指定された席、右奥の一番後ろに座った。この学校は出席番号順ではないらしい。大翔は裕翔の右隣の席だった。友達が少ない裕翔にとって、面識がある人が近くにいるということはまさに幸運である。
「裕翔、改めてよろしくな」
またもやいきなり話しかけてきた。
「そうだな。こちらこそよろしく」
「……」
しかし話すことはあまりなく、お互い気まずい沈黙が数秒間流れる。先に沈黙を破ったのは大翔だった。
「そういやお前、彼女とかいたことある?」
突然の会話の内容に裕翔は目を見開いたが、少し考えた後答えた。
「……生憎、そんな機会に恵まれなかったよ。そういう大翔はいたことあるのか?」
──あの厄介な幼馴染ならいるが。
そう内心思いながらも大翔に話を振る。大翔は少し胸を張って答えた。
「いや、俺もいたことないぞ。仲間だな、俺ら」
少し大きな声で応じたせいで、周囲の視線を集めてしまった。
「おい、少しは声を押さえろよ。それに、それ自慢できることじゃないぞ?」
「いや、悪い悪い。つい癖で。でも、正直欲しいと思ったことはある。だって俺らもう高一なんだぜ?」
「まあそうだけど。だけどそれよりも『仮想スキル』の習得が優先だろ?」
「な!?お、おい。お前本気で言っているのか?高校一年生といったら青春だろうが青春!」
妙に変なところで熱が入るやつだな、そう考えていた裕翔だったが、担任が教室に入ってきたことで二人の会話はひとまず終了した。
「起立!」
その掛け声で教室三十五人が一斉に椅子から立ち上がった。
「気をつけ、礼。着席」
「……よし、みなさん全員お揃いですね。私は今年度一年C組の担任になりました、解咲琴音です」
そう言って彼女はホワイトボードにツラツラと名前を書いていく。昔とは違って黒板というものはすでに存在しない。その代わりにホワイトボードが導入されていた。
「いいですか。解咲の読み方はかえさき、間違ってもかいざきと読まないようにお願いします」
そう言いながらぺこっと頭を下げた。彼女は二十代後半といった感じで、まだまだ若さが垣間見える。そんな彼女は名律高校では有名人である。というのも、彼女の性格はわりとおっとりしていて、怒ることも少ない。またどんな生徒にでも優しく当たることから生徒──主に女子生徒に慕われている。そして彼女の愛称は「かえちゃん先生」だ。その愛称は明律高校で広く知られており、他の先生ですらそう呼んでいた。
「今日からあなたたちはこの明律高校の生徒の一人です。皆さん、高校生になったからといって浮かれているのかもしれないけど、自分のなりたい職業につくまでにはまだ長い道のりがあります。私から言っておきたいのは、あまり羽目を外しすぎるな、ということだけです」
「そして基本的に私は生徒の自由を尊重していますのであなたたちたちがやりたいことに関して、私も全面的に手を貸します」
少し教室の空気が柔らかくなった。すっかり「かえちゃん先生」の調子に流れているのを裕翔は肌で感じた。
「ここからは事務的な連絡です。今日は四月七日、そして本格的に始まるのは四月の十日からです。それまでおのおの準備をしておくようによろしくお願いします」
解咲はちらりと腕時計を見る。時刻はすでに十四時を少し回っていた。
「それでは今日のHRはここまでにします。気をつけて帰ってください」
クラス担任の連絡事項も終わり、各自解散となった。その後、約半分の生徒は教室から出始め、残った半分はそれぞれ談笑を始めていた。裕翔、並びに大翔もその一人だ。
「なあ、裕翔さんよ。今回の担任どう思う?」
「別に悪い先生だってわけじゃなさそうだけど」
「何がともあれ、この先一年間は大丈夫そうだな。そうだ、裕翔って今日歩き?」
「家がそこそこ近いからな、これから歩いて登下校するよ」
裕翔は当初歩くのではなく転移スキルで下校しようと思っていたのだが、今日はクラスメイトとの初対面だ。有沙とともに下校することは少々躊躇われた。有沙も友達と帰るかもしれないことを見越しての裕翔の発言だった。
「マジ?だったら俺と一緒に帰らね?」
「おーけー。だったら、さっさと目の前にある教科書やらを鞄に詰めないとな」
そう言って裕翔は机の上に乗っかっている膨大な量の教科書らをスクール鞄の中に詰め込んだ。正直な話、スクール鞄なんて時代遅れな気もするが生憎とそれ以外に鞄と言えるものは持ち合わせていなかった。この学校は指定、と呼ばれるものは制服くらいしか存在しない。ミスクレアの使用は実習時間、休み時間、放課後だけ許可されている。
「よし、詰め終わったし行くか」
大翔にそう呼びかけ、二人は教室を後にして玄関前に向かって歩き出した。
「裕翔ってなんか部活入ろうとか考えてる?」
「そうだな…中学校の時は部活やってたけど、高校は入らないと思う。そういうお前はどうなんだ?って聞くまでもなさそうだが」
というのも、大翔はいかにもスポーツができそうな体型をしていた。身長は裕翔と同じ170か、それより少し高いくらいである。
「俺は中学の時もバスケやってたから、高校でも続けようと思ってる」
「そんなことだろうと思ったよ」
玄関先で靴を履き、外に出る。とその時、一人の少女が目に入った。黒と茶色の中間色でストレートの髪の毛。髪の毛を耳にかける動作もまた見入ってしまう。身長は見た感じ160ちょいだろう。その姿形から、すぐに気品のある人だとわかる。隣には有沙と他数人が一緒に並んで歩いている。しばらく眺めていたのだが不意に彼女と目があってしまい、視線をそらした。
「どったの?」
「ああ、いや、なんでもない」
大翔が俺の視線を追っていった。
「もしかしてお前が見てたのってあの姫崎さんか?」
「彼女の苗字って姫崎っていうのか」
「裕翔、悪いことは言わねえ。あいつはやめておけ」
「なんだ、知り合いなのか?」
「ってお前、知らないのか?彼女は日本トップクラスのスキルの使い手の家系だ。ただ‥‥‥なんというか極度の男嫌いらしくてな。告ってきた男子を一時的にスキルで氷漬けにしたんだとか。んで、付けられたあだ名が高嶺の氷姫。さっき同じ教室にいたのに気づかなかったのか?」
「俺はあんまり興味ないんだよ」
正直有沙のせいで少々女嫌いになりかけていたところだ。
「またまたぁ。そんなこと言って、実際は気になるんだろ?まあ、お前が言ったところで振られるだろうけどな」
清々しい顔で大翔はそんなことを飄々と言ってのけた。
「おい。俺が告白する前提で話を進めないでくれ」
「冗談だよ、ジョーダン。とはいえ、裕翔が姫崎さんに告白できる勇気はなさそうだがな」
「そんなこと言ってるとお前をおいて先に帰るぞ」
それが図星だったのか、裕翔は若干声を大きくして大翔に呼びかけた。遠くで誰かさんの目線を感じながら大翔に背を向ける。
「ごめんて。じゃあ早速帰りますか」
そんなこんなで二人は話しながらそれぞれの帰路についたのだった。
◇ ◇ ◇
大翔とはマンションの前で別れ、裕翔は自宅についた。明律高校は実家から遠いわけではない。だが、両親はこれをいい社会経験だと言い、裕翔に自立を促したのである。とは言っても、別に両親と仲が悪いわけではない。むしろ、側から見れば仲良く見えるだろう。そういうわけで彼は今一人暮らしをしているのである。流石に両親も高校生に生活費を全て負担させるのは酷だと思ったらしく、食費以外のお金は払ってくれるとのことだった。よって親がいないからといってあまり生活に支障は出ていない。
裕翔はいつものように帰ってすぐに風呂には入り、寝支度をした。だがその時、隣の部屋から割と大きな声で『ひゃっほーい!』と聞こえてきたのは気のせいだろうか。
──また有沙が変なことをしてないといいけど。
そんなことを考えながらテレビでニュースを開く。
「今日の最新ニュースです。今朝、東京都渋谷区の都立明律高校では入学式が行われ、その他多数の高校でも執り行われました」
そんなテレビからの内容が聞こえたところで、インターフォンがなった。
「誰だ?こんな時間に……」
内心面倒臭いと思いながらも裕翔は重い腰をあげ、鍵を開けた。そこには入浴を済ませたであろうパジャマ姿の少女──有沙がそこに立っていた。
「やっほー、裕翔。元気してた?」