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第二話 奥方が多すぎる 二



 さて、来月の朔日である。


 双樹下暦の第四月にあたる中春月の朔日(ついたち)、月牙率いる洛東巡邏隊、通称「柘榴隊」は夜明け前から忙しかった。なんと十四名もの在京の大官の奥方が、大挙してメゾン・ド・キキを訪れるためだ。


 奥方たちは何のために来るのか?

 答えはお召し替えのため、である。

 本日、洛中右京区の新北宮、通称「法狼機宮」にて、来たる中秋月中旬に予定されている、たぶんおそらくやってくるだろうリュザンベール本国からの王妃(レーヌ)の成婚祝賀使節を迎えての大舞踏会に向けて、第一回のダンスの講習会が開かれるのだ。



「……いいか皆、今日いらっしゃるのは――」

 月牙はそこで言葉を切り、夕べ必死で暗記した本日の客人がたの公式名称を一気に諳んじてみせた。

「まずは尚書省兵部の卿と次官の奥方、同じく礼部のここは次官だけ、吏部のこちらは卿の奥方だけ、刑部は卿と次官、工部は次官だけ、御史大夫の奥方、海南道節度使の奥方、山北道節度使の奥方、中書省付塩政の奥方。楠榕宮侍従の奥方。礼部員外次官の奥方。北鎮将軍の奥方。以上十四名だ。リュザンベール風のダンスの講習に貴顕の家々の奥方が参加なさるとなったら赤心党が何をするか分からない。我々柘榴隊は宰相公からじきじきに警備を仰せつかった。新北宮の構造に詳しい第二小隊はすでにあちらへ発っている。第四小隊は沿道の警備に当たっている。そして、我ら第一、第三小隊が、新租界内の警備および奥方たちの護衛を担う。ここまで、何か質問は?」


 ――どうだ平隊士ども。杜九龍さまにばかり盛り上がっていないで、在京十年の頭領の知識を見直せよ? 


 得意さを隠してさりげなさそうに告げるなり、朝の光に照らされた明るい庭に居並ぶ平隊士たちの表情(かお)がいっせいに曇るのが分かった。


 月牙は困惑した。


 ――あれ、感心しないの?


 この場所は洛東の新租界、南大路の西側の洛東巡邏隊の司令部(カルチエ)である。

 一年前まで後宮外宮の外砦門を警衛する武芸妓官たちが住んでいた「柘榴庭」と呼ばれた一辺半町〈約五〇m〉ほどの方形の庭は、今も昔と同じ木柵に囲まれ、南西の一角には青々とした葉を茂らせる柘榴の巨樹が茂って、南側には長屋が建て直されたものの、北側の柵に沿っては以前と同じ「方二丈」と呼ばれる高床小屋が四軒並んでいる。

 その様は、何もかもが激しく変わってしまった新租界の内にあって、まるで琥珀の中に閉じ込められた美しい羽虫の骸のように昔日の後宮の面影をとどめ続けていた。


 しかし、今のこの朝の集会を目にして、「柘榴庭は昔のままだ」と感じる後宮関係者はただの一人としていなかっただろう。

 かつて後宮の外縁部であった外宮柘榴庭は、当然ながら男子禁制、武具を持って並んでいたのは、白い上衣に浅葱の袴、白鷺の羽矢を収めた籐の箙と弓を背負い、緋の帯に黒鞘の刀を吊した二〇名の「柘榴の妓官」たちだった。

 今朝の柘榴庭でそのなりをしているのは、月牙とその左右に扈従する二人の若い元・外宮妓官、合わせて三人だけだ。

 三人と向き合う四〇名の平隊士は、全員がリュザンベール風の濃紺のズボンと半袖の白いシャツ、黒い袖無しという揃いの隊服をまとった若い男たちである。弓は背負わず、所属を如実に示す鮮やかな緋色の帯に、官給品の刀とともに、おのおのに工夫を凝らした私物の火薬入れを吊している。もっとも、肝心のマスケットを担っているのは全体の四分の一、十人の火長たちだけだが。


 京の内には竜騎兵、京の東にゃ柘榴隊、と、この頃辻の小唄に歌われるようになった洛東巡邏隊――通称「柘榴隊」の平隊士たちは、何か青ざめた顔をして、縋り付くような目つきで月牙を見つめてきた。


「おい皆、何か気がかりがあるのか?」

 重ねて訊ねても誰も何も言わない。

「お前たち、気になることはサッサといいなさい」

 促しても、やはり一同無言のままだ。

 月牙が苛立ちを感じたとき、


「あのう頭領――」

 いつも通り月牙の左隣に控える若い元・武芸妓官の孫小蓮(そんしょうれん)が小首をかしげて訊ねた。

「その十四名のお名前、平隊士でも全部覚えなくちゃいけないんですか? みんな固まっちゃいましたよ。あんまり長すぎて」

「あ、ああ! ――なるほど、それは悪かった!」

 月牙は慌てて詫びた。

 今目の前にいる四〇名は、月牙直属の第一小隊と周桂花(しゅうけいか)配下の第三小隊の成員である。洛中近郊に散在する「御菜所」と呼ばれる後宮領の村々から集められているこの二小隊の場合、火長と伍長以外の平隊士は、一ヶ月交替で半分ずつ司令部につめている。

 柘榴隊が発足してからまだ半年の今、彼らは実質三ヶ月しか隊務に付いていない、ヒヨコどころかまだ卵以下の新米なのだ。

 長々しい官職名をいきなり十四も諳んじられたら、感心するよりはむしろ恐怖を覚えるだろう。

 月牙は自分の勇み足を反省した。

 見た目はむさ苦しいが、この連中は新米も新米、見た目はまったく可愛くないが、三年前の可愛い小蓮みたいなものなのだ。

 威圧してはいけない。

まずは懐かせなければ。


「官職名っていうのは慣れるとそう難しくもないんだが、聞き慣れない者には、確かに覚えにくいな。無理ならすべては覚えなくていい。ただ、自分が担当する方のお名前と、できればお声の感じは、務めが終わるまでは覚えておくようにしなさい。お顔はたぶん皆隠していらっしゃるだろうから、体つきを目安にね」

「は、はい柘榴庭さま!」

「おいお前ら、それは余所からの呼び方だ! 配下は頭領って呼べ!」と、右隣の周桂花が鋭く怒鳴る。

「は、は、はい桂花頭領!!」

「馬鹿、私はただの桂花でいいんだ」

「違うって桂花姉さん、姉さんは第三隊正でしょ?」

「ああそうか。お前は何だったっけ?」

「ええと――」

 編成されたばかりの隊の役職名は今もって混乱している。

 と、小蓮がはっと思いついたように訊ねてきた。

「そういえば頭領、今日いらっしゃる方々は、みんな尊夫人(おくさま)とお呼びしちゃっていいんですか?」

「あ――」

 月牙は応えに窮した。


 

 

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