第一話 ぼたんはどこへ消えた? 七
「それじゃ、私は判官様を内南門まで送ってくるよ」
久々に旧交を温めたくなって申し出ると、部屋の一同はとてもいい笑顔で送り出してくれた。
外に出るともう陽が西へかしぎ始めていた。
幅十丈〈約30m〉の南大路の向こうに広がる外大池の水面が入り日を映している。
大池の右手がかつて「杏樹庭」と呼ばれた外宮の薬師たちの住まいで、今はその築地のなかにリュザンベール王国の副領事館が新築されている。
壁の向こうには今も杏樹が植わっているのか、夕刻の空気は花の匂いがした。
内南門はすぐ右手である。
雪衣が先んじて歩き出しながら、ふと思いついたように訊ねてきた。
「そういえば、来月から、赤心党関係の捜査は、どこで起こっても柘榴隊が指揮をとることになったんだって?」
「ああ、うん。宰相公じきじきの命令でね」
「宰相公って、英明なる我らが左宰相たるあの槙炎卿公?」
「他にいないでしょ?」
「いやいるよ、右宰相の李泰伯公が一応存在してはいる」
「そりゃいるけどさ、柘榴隊は尚書省直属なんだから、命じられるのは主上の他には尚書令たる左宰相公だけだよ」
「それで、御自らの直属機関に捜査権を一任って訳? あの公らしい強引さだね! あっちでもこっちでもさぞ嫌われているんだろうな」
あの公、という言葉を、雪衣は「猿公」とか「犬公」みたいに発音した。月牙は苦笑した。
「公のやり方が時々とても強引なのは認めるけどさ。今回ばかりは仕方がないよ。捜査機関がばらばらだったせいもあってか、今までに起こっている二件の殺人事件が、まだどちらも解決していないから」
月牙は沈んだ気持ちで答えた。
マドモアゼルが怯えている反・リュザンベール組織である「赤心党」の犯罪は、実は脅迫だけではなく、とうに殺人にまで発展しているのだ。
赤心党の犯行と見なされている理由は、脅迫と同じく、現場に「蛮夷必殺」の赤い字が書かれていたためだ。殺人の場合はどちらも血文字だったという。
「一人目は副領事館建設のために資材運びを引き受けていた洛東河津の馬借だっけ?」
「そう。殺害現場も河津道の途上だったから、その件の捜査は当然ながら洛東河津の衛士所が担当したんだ。でも下手人は分からず仕舞だったらしい」
「もう調べていないの?」
「今月末までで打ち切りだってさ。あの津の火長の杜志雲どのが、親類のよしみで柘榴隊の九龍に知らせてくれたんだ」
「ああ、それがさっきの手紙だったんだね。二件目は?」
「副領事館に出入りていた洛中左京区の青物売り。これは自宅で殺された」
「じゃ、捜査は左京兆府の衛士所が?」
「あそこは記録しただけで殆ど何もしなかったと思うよ」と、月牙は嫌悪感をこめて言った。「あばら屋に住む青物売りなんか人間の数には入れていないんだ」
「京兆府は忙しいからね」と、雪衣が取りなす。
「しかし、こんなことを言うのはなんだけど――私はときどき、赤心党の苛立ちが分かるような気はするよ」
「え?」
「この外宮にさ、法狼機風の屋敷が建ち並んで、法狼機服の女官が溢れて、私自身が法狼機語を話せることを得意に思っているなんて、ときどき、悪い夢のような気がするんだ。私たちは変わらなくちゃいけない。変わりたくなくたって、変わらなければ生き残れない。それは分かっているんだけどさ。ときどきすべてを燃やし尽くして、華々しく滅びてやりたくなるんだ」
雪衣が言葉を切り、怒りとも哀しみともつかない表情で入り日に染まる大池を睨みつけた。
「――雪はそんなことはしないよ」
月牙は確信を込めて告げた。
「雪は罪のない物売りを殺して恥じない「愛国者」になんかなりはしないよ。もしそんなものに成り下がるように見えたら――」
月牙は一瞬ためらってから告げた。
「私が止めるから大丈夫だよ。必ずこの刀で」
すると雪衣は目を細めて笑った。
「ありがとう月」