第九話 HowとWhyの対決 6
「……――毒物の出所が後宮内である可能性が高くなれば、この二つの事件を実行したのが誰かは、もう明白だね?」
雪衣が裂かれた衣装に目を向けたまま沈んだ声で言った。
月牙も重い心地で頷いた。
初めから明瞭に怪しかったその人物を今まで疑わなかった理由は、毒物が鳥兜だと信じていたから――出所は後宮内ではないと信じていたからだ。
その人物個人に動機は見当たらない。
むしろ、常に捜査に協力的だった。
だからこそ疑わなかった。
その人物がもしも捜査側を裏切るとしたら、後宮内の上役から命じられたときだけだ。
毒物の出所が後宮内でないなら、彼女を疑う理由はない。
だが、出所が後宮内だったとしたら――?
誰が手を下したかなど、今手にしている情報だけでも火を見るより明らかだった。――そしてその背後に誰がいるのかも。
月牙と雪衣が顔を見合わせてため息をついていると、瑞宝がきまり悪そうに訊ねてきた。
「判官様、柘榴庭どの、憚りながら、それがしには今一つ話が見えぬのだが。手を下したのは誰だとお考えなのか?」
「それは勿論、後宮女官だよ」と、雪衣が哀しげに答えた。「今も後宮に所属しつつ、この新租界で務めを続けているかつての外宮女官だ。そういう立場の女官が、今このメゾンには二人いる」
雪衣が斜め上を見上げる。
栗毛の御針子が口元を抑え、明るい茶色の目を零れんばかりに見張った。
マドモアゼルがぴくりと眉をあげる。
〈雪衣、何を話していますの?〉
雪衣は一瞬黙ってから、あらゆる感情を押し殺したような平坦な声で告げた。
〈マドモアゼル・キキ、秋栄を呼んでください。私の衣装を裂いたのは彼女です。囚人の食事に毒を盛ったのも〉
〈――本気で言っていますの?〉
マドモアゼルが震える声で訊ねる。
〈秋栄が――あんなに熱心にリュザンベール風の仕立てを学んでいる娘が、よりにもよって反リュザンベール組織に与していると? そんな馬鹿なことが、本当にありえると思っておりますの?〉
雪衣は首を横に振った。
〈キキ、これは秋栄一人の問題ではありません。彼女は後宮に属する下位の女官です。後宮にはあなたがたリュザンベール人を好まない高位女官が今も多くいます〉
〈その誰かが、あの子に毒殺を命じたと?〉
〈ええ。おそらくは〉
〈……――私は信じませんよ。天なる主の御名にかけて、あの子がそんなことをするはずがありません〉
〈では呼んでください。話を聞かなければ〉
マドモアゼルに命じられてルイーズが二階へ向かう。
秋栄はすぐにやってきた。
もちろん小蓮も一緒だ。
秋栄は寝間着と思しき白い襦裙姿で、月牙が初めて会ったときと同じように蒼褪め、怯えた子鹿のようにおずおずとして見えた。
「秋栄。なぜ呼ばれたかは分かるね?」
月牙が訪ねると、秋栄は大きな眼を瞬かせ、顔をぐしゃりと歪めるなり、泣きながら笑いだした。
「はい、分かります。勿論分かりますとも……!」
〈秋栄!〉
マドモアゼルが叫び、転がるように駆け寄って、秋栄の肩に両手を置いて顔を覗き込んだ。
〈何を喚いているのです、しっかりしなさい! あなたにいわれない疑いがかかっているのですよ!? 無実なら無実とはっきり言いなさい! あなたは私の弟子です! 必ず守ってみせます!〉
〈マドモアゼル、ありがとうございます〉
秋栄が泣きじゃくりながら言い、袖で目元を乱暴にぬぐうと、雪衣に視線を向けた。
「判官様は、何をどこまでお分かりなのですか?」
「--私は殆ど何も分かっていないよ」と、雪衣が目を逸らして呟くように応じた。「よりによってそなたが――ほんの一月前、赤心党の捕縛のためにあんなに協力してくれたメゾン・ド・キキ第一の御針子の頭領が、なぜ自分の体より大事な衣装を引き裂いたのか、なぜ何の怨みもない囚人に毒を盛ったのかなんて。だから話して。順を追って。どうしてそんなことをしなければならなかったのかをさ」
「……あら、お分かりになりませんの? 判官様ともあろうお方が」
秋栄が――目元を泣きはらしたまま――まるでいつもの軽口みたいな口調で顎をあげて訊ねた。
声がひび割れ切っている。
雪衣が顔を歪めた。
「勿論、どうやってやったかは分かるよ。そなたはまず、蝶仙さまからの依頼と偽って、そなたの言葉なら何でも二つ返事で引き受けるあの楊春に、差し入れの食物を買ってくるようにと頼んだ――月、食べ物の出所は分かっているの?」
「杏子は旧・杏樹庭から――要するに今の副領事館の庭でとれたものらしい。竜眼と鶉の卵は東大辻の露店で買ったそうだ」
月牙は一瞬ためらってから、桂花から聞いている報告を教えた。
「鶉は温め直されていたらしい」
「――なるほど」
雪衣が頷いた。
「なら、毒物はそのときに混ぜられたんだね」
「しかし、見張りは旧来の典範通り毒見を行っている」
「おそらく毒物は底に沈んだ煮汁にだけ含まれていたのでしょうな」と、老医師が言い添える。「柘榴庭どの、あの忌々しい小娘に同調するのは癪だが、鶉の卵の煮しめは、牢獄への差し入れにはどうかと思いますぞ?」
「老黄、お言葉肝に銘じる」
月牙は反省と敬いを籠めて応じた。
牢医師が満足そうに頷く。
「それでは、このお召し物のほうは、なぜ引き裂く必要が?」と、瑞宝。
「目晦ましだろうね。赤心党に関わる外部の誰かがこのメゾンに入り込んで食物に毒を混ぜたと思い込ませるための」と、雪衣が顔を歪め、今にも泣きそうな顔で笑った。「こちらのお針女どのはね、謎解きの辻芝居が大好きなんだよ」
「ええ判官様、大好きですとも」と、秋栄も泣きながら笑う。「辻芝居の結びはこうじゃなくちゃいけませんね。悪事はきちんと日の下に晒され、咎人は裁かれて、これにて一件落着ってならなきゃいけません。――柘榴庭さま」
秋栄がまっすぐに月牙を見上げ、華奢な両手を揃えてすっと差し出してきた。
「わたくしを捕縛してください。すべてわたくしがやりました。――ああ、楊春どのは放してあけてくださいね? あの人は買い物を引き受けてくれただけです。何も悪いことはしていません」
〈――ルイーズ、秋栄は何を言っていますの?〉
マドモアゼルが切羽詰まった声で訊ねる。
栗毛の御針子も泣いていた。
〈ルイーズ! しっかりなさい!〉
マドモアゼルがしゃくりあげる御針子の両肩をつかんで揺さぶったとき、閉ざされたばかりの扉が外から乱暴に叩かれた。
「頭領、開けてくれ! 後宮からの急報だ!」