第一話 ぼたんはどこへ消えた? 六
「――何日か前のことですから、はっきりは分かりませんけど」と、秋栄が失望もあらわに答える。「当然陸路なんじゃありません? この軽さなんですから」
そう。
そんなことは世間知らずの若いお針女だって分かるのだ。
「雪――」
もしかしてすごく疲れている?
月牙がそう訊ねようとしたとき、楊春がはっとしたように答えた。
「あ、あ、あ、水路です! きっと水路だったはずです!」
「え?」
月牙は吃驚した。「水路? 間違いなく?」
「は、はい!」と、楊春が頬を真っ赤に染めて頷く。「俺――あ、いえ、失礼いたしました、わたくし、この箱を門前で受け取ったのですが、そのとき、馬借から、柘榴隊の第四隊の――嶺西隊の宿営所はどこかと聞かれたのです!」
「嶺西隊って、杜九龍の?」
「ええ。あの精鋭隊です」と、若者がうっとりした顔で言う。「馬借はあちらの隊正どのに手紙があるというので、わたくしが預かってお届けしたのです。そのとき、以前お勤めと伺った海都からのお手紙ですかとお尋ねしたら、洛東河津の親類からだとお答えいただいたのです。だから水路ですよ! 河津を経ているんですから! そうでございましょう判官様?」
「うん。まさにそうだと思うよ。よく覚えているね隊士くん」
「忘れられませんよ。あの杜九龍さまとじかにお話しできたのですから」
楊春が月牙の初めて聞くような高揚をにじませた声で言う。
今話題にあがっている杜九龍は、月牙配下の四人の隊正の一人で、嶺西地方の後宮荘園から徴集された五〇名の隊士を率いている。
柘榴隊には珍しい男性幹部で、月牙より二つ三つ年上で、男ぶりもよければ部下の面倒見もよいたたき上げの下級武官あがりの杜九龍は、とかく平隊士に人気があるのだ。
手放しの憬れをにじませた楊春の口ぶりに、月牙は胸がチリっとするような妬ましさを覚えた。
「どうしたの月。何か思いついた?」
「いや、なんでもないよ」月牙は慌ててごまかした。「でも雪、この箱が水路で届いたものだったら、何か分かることがあるの?」
「まあね。つまり、水路だったら、ただ単に、舟から馬荷に積み直すときに荷の取り違えが起こっただけじゃないかと思って。マドモアゼルが間違えるくらいだから、箱に入った状態だと相当よく似ているのでしょう?」
「あ――なるほど」
月牙は納得した。
「ありえるね」
「でしょ?」
「でも、なんでこんな軽いものを水路で送ったのかな?」
「追加だったからでしょ。きっと重いものの発送がたまたまその日に――あれ、でも、そうなると薬莢はもともと船荷だったのか。ねえ月、薬莢と一緒に注文されそうな重い品ってある?」
「当然火薬じゃないかな。どっちもマスケットに関わる消耗品だから」
「じゃ、きっと、もともと送る予定だった火薬と薬莢に、追加で貝釦が付け加わったんだ。となると――」
と、雪衣が顎に手をあてて考え込む。
秋栄はすっかり信頼を取り戻した様子で熱い視線を向けている。
マドモアゼルはいらだちもあらわに小指の関節でこつこつと円卓を叩いた。
〈雪衣、紛失した過程はこの際どうでもいいのですよ。重要なのは釦がいま! どこにあるかということです。思いつきますの?〉
「う――ん、即座には難しいですねえ。ねえ月、マスケットって今だれでも自由に買えるの?」
「いや、兵部の認可制だよ。所持していいのは基本的に在京官人だけで、確か馬の保有数と同じ制限がかかっていたと思う」
「み、京では、馬は好きなだけ飼えないのですか?」と、楊春がびくびくと訊ねてくる。
「ああ。兵馬って言葉があるように、馬は軍事に関わるからね。私的な飼育については官位ごとに制限があるんだ。洛中で最も多数の馬が飼える正一位の宰相公でも六頭までだよ」
月牙がさらっと答えると、若者は意外そうに感嘆した。
「頭領はお詳しいのですねえ」
「そりゃ頭領だからね」と、月牙は苦笑した。「こう見えても在京武官を十年近くやっているんだから」
「お互いに亀の甲よりなんとやらってやつだよね。そうなると、六挺以上のマスケットを単独で所有している家はないんだね?」
「今のところね」
「王宮が買い入れる分は? おのおのの役所が別々に買っているの?」
「いや、基本的に尚書省兵部直轄の兵器廠が一括購入して、そのあとで配布する仕組みだよ」
月牙が説明すると雪衣は嬉しそうな顔をした。
「じゃ、問題はほぼ解決だよ!」
「判官様、謎が解けましたの?」
「謎解きってほどの推測じゃないけどね、マドモアゼルの貝釦は、たぶんその兵器廠に届いた荷に紛れ込んでいると思うな。マスケットを一挺しか持っていないような保有者の場合、届いた消耗品の箱はすぐに確かめるほうが自然だよ。で、中身が釦だったら、きっとすぐに副領事館に届けていると思う。それをしていない以上、釦を受け取ったどこかは、今もって箱さえ開いていないんだよ。そういう大雑把な管理をしそうなのは大量に仕入れているどこかだ」
「つまり、兵器廠って訳だね?」
「他になければね。そのへんは、私より新制「柘榴隊」の女隊長どの――洛東巡邏隊の校尉どのの専門だろ。なあ柘榴庭よ?」
「いかにも、判官様」
以前通り、わざと堅苦しい応酬を交わしたあとで目だけで笑い合う。
月牙は胸にしみじみと暖かな喜びが湧き上がってくるのを感じた。
――ここにも一つ変わらない何かがあるなあ。