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第九話 HowとWhyの対決 5

「えええっ、そんな基本的なこと私がぁ?」

 迦葉が大仰に顔をしかめてみせる。

 雪衣は眉だけを動かした。

「できんのか? なら老黄に頼むが」

「――できるよ、できるに決まっているだろ! 鳥兜は植物性の毒だ。夏に紫色の花を咲かせる」

「効能は?」

「全身の痙攣と吐き気と息苦しさ。死因は窒息だよ」

「そうじゃ。そして即効性じゃ」と、牢医師が堪えかねたように口を挟んできた。「判官様、このたびの毒死、食物を口にしてから死ぬまでに幾分か時がかかっていると聞いた」

「だから、それは生姜入りだったから効能に変化が生じただだって、何度言ったら分かるんだよ?」

「――鳥兜と生姜を混ぜると効能に変化が生じるのか? 何かそういう先例が?」

「先例、先例ってバカの一つ覚えかよ? 先例に拘りすぎていたら、新しいことは何一つ分からないじゃないか!」 

 迦葉が凛とした声で叫ぶ。

 一方の雪衣は仮面のような無表情だ。

 並べると、どう見ても迦葉のほうが進取の気風に富んだ秀才で、雪衣は因習にとらわれた頑なな上役に映る。


「判官様――」

 と、秀凰が迦葉を背の後ろに庇いながら言った。「お衣装の見分がお済みなら、そろそろお戻りになってはいかがか?」

「いいや妓官。私はまだ戻れない。どうやら最悪の予想が当たっていたみたいだからね」

 雪衣が冷ややかに応じ、無表情のまま迦葉に訊ねた。

「先例は重要だ。過去の賢者が積み重ねてきた百年、千年の叡智の堆積に、たかだが数十年生きただけの己の智が常に優るとなぜ思い上がれる? 先例にないと言うなら、そなたはその効能の変化とやら、自ら確かめたのか?」

 雪衣が鋭く訊ねると、迦葉は一瞬怯んだものの、すぐに表情を引き締め、いかにも心外だと言わんばかりの口調で応じた。

「当たり前だろう? そんなものとっくに確かめているよ、私自身の服用でね!」

「ほう」と、雪衣が眉をあげる。「では、服用してから死に至るまでの観察は、当然していないと。その結果をまとめた文書は? 芍薬殿に提出しているのか?」

「――しているわけないだろ、そんなもの! 日々身づくろいにだけ勤しんでいる飾り物の判官様には分からないかもしれないけどね、私は毎日何十種もの薬種の効能を試しては研鑽に励んでいるんだ!」

「では、そのとき試した結果の覚書は?」

「それは、捜せばある――かもしれないけど。あ、ああ、先代の頭領にはもちろん提出したよ!」

「ほう。今は遥かな西域のハルサーバードにいらせられる胡文姫さまに?」

 雪衣が皮肉に口元を歪める。

「そうだよ。なぁに? 私が嘘ついているっていうの?」

「いや。そうは言っていない。で、そのきわめて斬新で新規の知見に富んだ結果を、内外宮きっての博識と名高かったあの胡文姫さまがどこにも報告しなかったと?」

「頭領は当然しただろうけどさ、先例の丸暗記と厚化粧にしか能のない内宮医官が、そんな小さな報告をいちいち覚えているとは思えないね!」

「それが今の芍薬殿の筆頭の主典どのを指すなら、私は賛成できない。内宮随一の薬種の知識をお備えだと評判だし、私が知る限りあの方は勤勉だ」

「それが何だっていうのさ?」と、迦葉がせせら笑った。「勤勉だったら信用できるの? 医薬の知識と何か関係が?」

「――あるに決まっているだろう!」

 雪衣が堪えかねたように怒鳴り、今にも絞め殺したそうな目つきで迦葉を睨みつけた。

「暗記には高い記憶力に加えてそれなりの労力が要るんだ。日々の決まりをできりかぎり忠実に守るにも己を律する心がいる。記憶力と自律の心を備えた人間の能力を信用して何が悪い? 逆に、私は日々の雑務を他人に押し付けて恥じない怠惰な人間の言うことは、基本的に信用しないことにしているんだ。そういう人間は、自分を利するためなら平然と嘘をつくからね」

「へええ。あなた個人の見解だね。偏り激しそうだなあ!」

 迦葉がにやにや嗤いながら言い、一転して怯えた表情で秀凰を見上げた。

「ね、秀凰姉さん、いまの怒鳴り声聞いたでしょ? 怖いんだよ、あの人いるだけで。あの人いつもああなんだ。自分より若くて可愛い女は誰だって嫌いなんだろうね。こっちを初めから嘘つきって決めつけてさ、何を言ったってことごとく反対するんだ。あの毒物は鳥兜だよ。そうじゃなきゃ何だっていうのさ? 私以外の二人は、違うって難癖付けただけで、結局なんだか分からなかったんだから――」



「そう。なんだか分からなかったんだよ」

 雪衣が重々しく言った。

「後宮随一の薬種の知識をお持ちの芍薬殿の筆頭主典どのも、捕り物の現場で五十年の経験を積んだそちらの老黄も、どちらも「分からない」と言ったなら、その毒は私たちの殆どがまだ知らない何かだったんだ。そう考えるのが自然だ。私はそう思うね」


 室内にまたしても沈黙が落ちた。

 先ほどとは質の違う沈黙だった。


 雪衣が眉尻をさげ、どことなく哀しそうに笑った。

「たぶん、この毒殺事件は三年前なら起こらなかったし、三年後にもきっと起こらないはずだ。毒は舶来品――リュザンベール人を介して入ってきた何かで、私たちは毒性があるとはまだ知らずにいるものだ。そういう何かが知らないうちに後宮内に入り込んでいる――」

 雪衣が言葉を切り、興味深そうにやり取りを眺めていたマドモアゼルに視線を向ける。

〈キキ、訊ねたいことがあります〉

〈なんですか?〉

〈リュザンベール製で、毒のある化粧品はありますか?〉

 途端にマドモアゼルが眉を吊り上げる。

〈雪衣、まさかわたくしどもを疑っていますの?〉

〈いいえ。疑ってはいません。私たちが知らない毒を知りたいのです〉

〈ああ、なるほど〉

 マドモアゼルは納得した。〈一部の緑の顔料には砒素が含まれているかもしれません。白粉も可能性があります。香水はみな飲んだら毒になるような気がしますね。はっきりとは分かりませんけれど〉

「判官様、紅白粉については、どんなものであれ、新たに買い入れるときには、橘庭(われわれ)の立ち合いのもとで、芍薬殿が必ず効能を試している」と、秀鳳凰が自信を持って断言した。

「それは心強い。では、化粧品ではないとすると――」


 雪衣が顎に手をあてて考え込んでしまう。


 月牙も考え込んだ。


 ――舶来品。舶来品。このごろ入ってきた何か……


 そのとき、月牙の頭にひとつの品が閃いた。


「あ」


 思わず声を出してしまう。

 途端に一同の目が集まる。


「月、何か思い至るの?」

 雪衣が期待に満ちた声で訊ねてくる。


 月牙は頷いた。

「うん。たぶん煙草だ」


〈ああ、煙草は毒性がありますね〉

 マドモアゼルがあっさりと肯定した。

〈煙にして吸う分には問題ありませんが、水に浸した液を飲むと強い毒になると聞いたことがあります〉

 途端、秀凰が表情(かお)を引き締めた。

「柘榴庭どの」

「はい師姉」

「あとの指揮を頼んだ。私はすぐに北院へ戻って督に報せねば」

「承りました。では、宮の内で煙草を所持している御殿が判明したら、すぐにこちらへも御知らせ願えますか?」

「ああ。即急に報せる。判官様は――」と、秀鳳凰が一瞬口ごもり、ややあって意を決したように続けた。「先ほどの非礼をお詫びいたす。よろしければ、今しばらくお知恵を貸していただけるか?」

「ええ秀凰どの。喜んで」と、雪衣が心底嬉しそうに笑って頷いた。

 と、

「ねえねえ姉さん、私もう帰りたいんだけど?」

 迦葉が甘ったれた声で割り込んできた。

 秀凰は――一定期間迦葉に関わった者が必ず浮かべるようになるらしい――あの諦めきった苦笑いを浮かべて続けた。

「ご協力感謝する。どうか芙蓉殿へ戻って、本来の職務である研鑽にお励みくだされ」

「あ、うん。じゃ、そうしよっかなあ」

 迦葉は――本気なのか敢えて演じているのか全く読めない朗らかさで応え、

「じゃあねえ、みんな頑張ってねぇ!」

 と、ひらひら手を振りながら秀凰の隣にくっついていった。マドモアゼルが興味深い珍獣を見る目でその背を見送っていた。


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