第八話 同時多発異変 5
秀凰に託された芍薬殿の印つきの呼び出し状を手にして西院へ急ぎ、今まで以上に煩雑な検めを受けてから芙蓉殿へと向かう。
表門で取次を求めると、袁迦葉はすぐに現れた。
「なんだい騒がしいね。私に何か用?」
「杏樹庭どの、すぐさま旧・柘榴庭付随の牢屋敷へおいでを。半月前から籠めている咎人が毒殺されたのです」
強張った声で告げるなり、奇矯な薬師は満面の笑みを浮かべた。
「へええ、毒殺! 症状は? 死に方は? どんな感じなの?」
「わたくしも今知らされたばかりでして。ご多忙とは存じますが、今すぐ検分をお願いできますか?」
「え、今すぐぅ? いきなり何いってるのさ、こっちにだって都合ってものがあるんだよ?」
「そこを何とか、この通り、お願いいたします」
月牙は恥も外聞もなく直角に腰を追った。
この奇矯で傲慢な薬師は全く気に食わないが、これだけ驕っているからには、優秀であることは間違いないのだろう。
月牙は無自覚に混乱していた。
殆ど同時に生じた二つの事件を今すぐ解決しなければ、見えないどこかに潜んでいる怪異のような殺人者が、暗がりからふいに滑り出て雪衣を切り裂いてしまうような気がしていた。
「刃物を使う相手であればわれら妓官は恐れません。しかし、毒となると勝手が違う。ここは薬師どのにお縋りするしかないのです。紅梅殿の判官様に危機が迫っているかもしれません。杏樹庭どの、どうかお助力を……!」
深々と頭を低めたまま動かないでいると、迦葉は鼻白んだようにハッと息を吐いた。
「ああもう、うっとうしいなあ。そんなに嘆願しなくたって当然検分はするよ。ほら行くよ柘榴庭どの。私そういう暑苦しいの苦手なんだよ。あ、毒といえば去年のあの莨菪根はさあ――」
月牙の見込み通り、迦葉は毒物については実に潤沢な知見を蓄えているようだった。
古今東西さまざまな珍しい毒殺の事例について聞かされながら内南門へ急ぐと、侍廊で秀凰が待ち受けていた。
傍に黄みのかかった淡紅色の裳と筒袖の白い上衣をまとった見知らぬ女官もいる。
年頃は四十半ばか、目尻や口元に皴を刻んだ細面の貌にいかにも古参の内宮女官らしい古風な厚化粧を施し、高く結い上げた髪の根元に裳と同じ色合いの大ぶりな生花を飾っている。
芍薬だ。
内宮典薬所の医官だ。
月牙は慌てて頭を低めた。
「師姉、お待たせした。そちらは医官さまか?」
「ああ。芍薬殿の筆頭の主典さまだ。薬種のことなら内宮では最も詳しいお方だ」
「妓官、そう持ち上げてくれるな」と、医官が存外低めの声で応じた。「我らの職務は筆仕事が主だ。実際の薬の検分となったら当代の杏樹庭に敵うべくもないが、西院に御子のいらせられる今この時期、後宮の近隣で毒死があったとなるとじっとしておれなくてな。橘庭さまに無理を言って同行させてもらったのだ」
「有難いお心でございます」
月牙は改めて頭を低めた。と、迦葉が不意に腕を引いてきた。
「ねえねえ柘榴庭どの、私もう帰っていい?」
「え、なぜ?」
「だってその人来るんでしょう? 私要らなくない?」
「そ、その人?」
他人事だというのに月牙は焦った。内宮典薬所の主典さまとなったら、旧・外宮の薬師の頭領にとっては上役ではないのか?
いくら何でも無礼すぎないか――と、恐る恐る医官の反応をうかがう。
医官は絶句していたが、じきに引きつった笑顔を浮かべてとりなした。
「ま、まあそう言うな杏樹庭。毒物に関するそなたの知識の豊かさはまさしく後宮随一と文姫から――前の杏樹庭からも聞いておる。気を悪くせずに手を貸してくれ。な? 危急の事態なのだから」
「ふぅん。それなら、ま、仕方ないね」
迦葉は満足そうに頷いた。「ところでさ、医官どの――」
「なんだ?」
「その化粧厚すぎない? 知らないの? 白粉って毒性強いんだよ?」
「――案じるな杏樹庭」と、医官が深い怒りを押し殺した声で応じた。「鉛白いりの白粉を日々大量に用いれば身を蝕みかねんことは、さすがに我らでも知っている」
「え、そうなのですか?」と、たまに鉛白いりの白粉で化粧している月牙がぎょっとする。
「ああ、大丈夫だ柘榴庭。即効性の毒ではないし、年に数度、ほんのわずかに薄化粧する程度であれば大した問題ではない」と、医官が微苦笑する。「日々用いるこの白粉は糯米と粟の粉から拵えておる」
「へええ」
迦葉が小ばかにしたように応じた。「大変だねえ、毎日塗りたくるのって」