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第八話 同時多発異変 4

「これは――」


 月牙は絶句した。

 麗明が右隣に並びながら、続くはずだった言葉を補ってくれる。



「見るからに、赤心党の仕業だろう?」

 

 麗明の言うとおり、まさにそうとしか言いようがなかった。



 ――狙いは……やっぱり雪なのか?



 そう思った瞬間、月牙は全身が凍り付くような恐怖を感じた。


 目の前の切り裂かれた官服――リュザンベール風でありながら一目で紅梅殿の官服だと判る懐かしい色目の官服の惨状が、凶徒に胸を切り裂かれる雪衣そのもののように思われたのだ。


「……月牙?」

 麗明が耳元で気づかわしそうに呼んだ。「大丈夫?」


「ああ」

 月牙は装束から目を逸らせないまま応じ、乾いた唇を舐めてから、麗明へと向き直った。

「とりあえず、このメゾンの警備はこのまま第二小隊に任せる」

「引き受けた」

「赤心党の仕業で、なおかつ狙いが紅梅殿の判官さまとなったら、東大橋の事件と関わりがないとも言い切れない。左京兆府にも報せをやるから、あちらからの応援がつくまで、この場はそのままにしておけ。九龍が巡邏から戻ったら第四小隊を旧・柿樹庭の警備に向かわせろ。他にどこか伝える先があるかな?」

「副領事館へは?」

「――今のところまだ伏せておこう。私は橘庭に報せに行く。何かあったら小蓮を寄越してくれ」

「承った」

 麗明が抑えた声で答え、不意に月牙の両肩をつかむと、怯える秋栄を宥めるときと同じ口調で囁いた。「月牙、大丈夫だよ。外宮の壁がなくなったところで、紅梅殿は今だって三重の築地に守られているんだから。判官さまに危険はない。師姉がたの警備を信じろ」

「分かっているよ麗明」と、月牙は苛立ちぎみに答えた。「私は何も案じてなんかいないさ。雪は危なくなんかない。そうに決まっている」

 自分が雪衣を「雪」と呼んでいることに月牙は気づかなかった。

 後宮自体を囲む築地と北院の築地、そして紅梅殿自体の築地――三重の守りの奥にいる限り、雪衣に危険など及ぶはずがない。

 そう信じようとしながらも、心が慄いてならなかった。



 ――三重に守られていたのはこの居間(サロン)だって同じだ。新租界の石壁とメゾンの敷地を囲む木柵、そして扉の鍵。それなのに賊は入り込んだ。そして雪の衣を裂いた――……




 考えれば考えるほど、焦りと不安が募ってならなかった。

 月牙は必死で何も考えまいとしながら司令部へ向かい、心配顔に子明に左京兆府から応援を呼ぶようにと命じてから、内南門へと急いだ。



「――どうした柘榴庭。何があったんだ?」

 門衛の内宮妓官たちは目と鼻の先のメゾンでの異変を当然察知していた。

「旧・芭蕉庭にて火急の変事です。至急、橘庭に報告を」

「承知した。入れ」

 門衛たちはこんなときでも月牙の持ち物を検める手順は省かなかった。じりじりとしながら検めを受け、名簿に名を記して割符を受け取ってから、媽祖堂前の広場を疾駆し、石段を駆け下り、太鼓橋を渡って北院の表門へと急ぐ。

 こちらでも定め通りの検めを受けてから橘庭へ急ぎ、秀凰を呼んでくれるようにと頼む。

 秀凰はすぐに来た。

「どうした柘榴庭どの!」

「師姉、すぐさま旧・芭蕉庭へお越しを! 赤心党の手によって紅梅殿の判官様のお衣装が切り裂かれました!」

「なんと、旧・芭蕉庭内でか?! 分かった、すぐ行こう。いま督に報告を――」

 そのとき、木戸のほうから聞きなれた少女の声が響いた。


「――頭領、すぐに戻ってください! 大変なことが起りました!」


 小蓮である。

 月牙と秀鳳凰は顔を見合わせた。

 待つほどもなく、小蓮が息を荒げながら前庭へと駆け込んでくる。

「落ち着け師妹。さらになにか事件が起こったのか?」

 秀凰が心持背をかがめて訊ねると、小蓮は壊れた水飲み人形みたいにかくかくと幾度も頷いた。

 月牙はさっと左右を見回してから、

「話せ」

 と、命じた。

 小蓮が息を飲み、ぐっと唇を引き結んでから、囁くほどの小声で答えた。

「牢屋敷の咎人が死にました。毒を盛られたようです」

「――毒?」

 秀凰が慄く声で繰り返す。

「まさか、そんな。後宮の壁の内で」

「御言葉ながら師姉――」と、月牙は自分でも思いがけないほど醒めた心地で言った。「柘榴庭はすでに後宮内ではありませんよ。内宮を存続させるために、われわれは切り離されたのですから」

「ああ、そうだった。すまない。狼狽した」

 秀凰は蒼褪めた貌でわびると、すぐに落ち着きを取り戻して背筋を正した。

「ともかくも私は督に報告をする。柘榴庭どのは芙蓉殿へ赴いて杏樹庭どのをお呼びしろ。要りようのときはいつでも呼んでいいと芍薬殿さまから許しを得ている」

「承りました。わたくしからもひとつお願いしても?」

「なんだ?」

「小蓮を紅梅殿に。事態が落ち着くまで、判官さまの身辺の警備をさせてください」

 月牙はできるだけ私情を交えずに頼もうとしたつもりだったが、声にはどうしようもなく哀願の響きが滲んでしまった。


 秀凰は一瞬目を見開いてから、眦に皴をよせて傷ましげに笑った。


「分かった。そのように取り計らおう」

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