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第八話 同時多発異変 3

 牢屋敷の咎人が芳しい湯気を立てるゆで卵を頬張りつつ、「蝶仙……」と呟いているとき――



 月牙は左京兆府を辞して東大橋を渡っているところだった。今日も今日とて洛外側の水のほとりに沢山の人が並んで、鍋を洗ったり衣を洗ったり体を洗ったりしている。


 そこへ、対岸から一騎の栗毛馬が蹄の音も高らかに駆けつけてきた。



「避けろ、避けろ、洛東巡邏隊火急の用だ――!」



 甲高い声で馬上から叫んでいるのは小蓮だった。

 月牙は慌てて自分の黒馬を止めた。

「どうした小蓮! 私はここにいるぞ!」

「頭領! 今すぐ司令部(カルチエ)へ戻ってください!」

「分かった、すぐ戻る!」

 ひらりと黒馬に騎乗するなり、馬の腹を蹴って、街中で許されるかぎりの速足に転じる。小蓮が慌てて馬の首を巡らせてそのあとを追った。



 洛東一帯の面々は「妓官さまがたの馳せ使い」にわりあい慣れている。

「おーいみな道を明けろ――! 柘榴庭さまのお戻りだぞ――!」

 東大橋から疾駆してくる二騎に気付くなり、辻の物売りが群衆に声をかける。途端に道が分かれた。

「みなかたじけない! 商いに励めよ!」

 馬上から労いながらひたすらに駆けるうちに、たちまち目の前に外砦門が現れた。門前で麗明が待ち受けている。

「どうした麗明! 何があった!」

「話はあとだ、急いでくれ! メゾン・ド・キキだ!」

 言い置くなり踵を返して南大路を走っていく。月牙は騎馬のまま外砦門へ乗り入れ、司令部の前で待ち受けていた子明に馬を預けるなり、その足でメゾン・ド・キキへと急いだ。



 麗明が采配したのか、メゾンの入り口を第二小隊の隊士たちがマスケットを担って防備していた。

 入るなり、

〈――女隊長(キャピテンヌ)!〉

 久々に目にするマドモアゼル・キキの巨体が転がる毬のように突進してきた。


〈来るのが遅すぎます! ああ、ああ、なんて怖ろしいことが――!〉

 黒と孔雀石色の目の周りの化粧が崩れるのも構わず、マドモアゼルが涙を流している。月牙はどうにか巨体を受け止め、分厚い肩を繰り返し叩いて、ぎこちないリュザンベール語で告げた。

〈マドモアゼル、泣くな。私いる。必ずあなた守る〉

 簡略化されたリュザンベール語は妙にきっぱりと凛々しい響きを帯びていた。周りに群がる御針子たちが場合にもなく頬を赤らめている。秋栄はと捜せば、左手の居間の扉の前にいた。これ以上ないほど蒼褪め、今まさに見えない敵と向き合っているかのような険しい顔でこちらを凝視している。

 一切の血の気のない顔に、月牙は傷ましさを感じた。

「秋栄、何があったんだ?」

「頭領、見た方が早い」麗明が、これも傷ましそうに促し、背後に従ってきた小蓮を省みて命じた。

「小蓮、お針女どのを休ませてやれ。今にも倒れそうな顔色だ」

「はい麗明さま。――秋栄さん、お部屋でお休みしましょう。頭領も来たんだし、もう何の心配もいりませんから」

「――いいえ、いいえ、大丈夫です。わたしくも立ち合いを――」

〈マドモアゼル〉と、麗明がかなり流暢なリュザンベール語で呼ばわる。〈彼女は病気だ。休ませたい。私が通訳する。いいか?〉

「よくなどありません!」と、秋栄が噛みつくように応じる。「このメゾンの通詞はわたくしです! わたくしが致します!」

 秋栄はだいぶ混乱しているようだった。蒼白の顔の目尻だけがほんのりと赤い。小蓮がその腕をつかんで軽くゆすっている。

「秋栄さん、大丈夫だよ。もう何も怖いことはないから」

「いいえ、わたくしが――」

 そのとき、


〈――秋栄!〉

 マドモアゼルが今しがたとは打って変わった鋭い声で呼ばわった。


 一同の視線が集まる。

〈休みなさい。用があったら私が呼びます。それまで静かにベッドに入っているように〉

 マドモアゼルの一括はメゾン・ド・キキでは絶対である。

 秋栄ままだ言いたそうだったか、結局口をつぐみ、幾度も居間を省みながらも、小蓮に付き添われて階段を上がっていった。



〈――入りなさい女隊長。事件があったのはここです〉

 マドモアアゼルがゆっくりとしたリュザンベール語で言いながら居間へと続く扉を開ける。中へと踏み込むなり、月牙は息を飲んだ。


 室内には十日前に見たときと同じように七着のリュザンベール婦人服が並んでいた。

 その真ん中の一着――紅梅殿の官服そのままの薄紅と白の装束の前身頃がざっくりと斜めに切り裂かれ、白いリボンの残骸の一部が床に落ちている。

 後の壁に紅色の四字が刻まれていた。



 ――蛮夷必殺――

 

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