第八話 同時多発異変 1
幽霊騒動の翌日の午後、月牙は兵舎の評議の間に隊の幹部を集めて、牢屋敷の捕囚が蝶仙のかつての恋人であったらしいことを伝えた。
「――水月楼の蝶羽どのの話では、名は遜士蘇といって、蘭陽出身の国子監の学生だったらしい」
「そういう名の学生がいたことは確かだ」と、聞き込みに赴いた九龍が請け合う。「しかし、先月の半ばから、故郷の母親が重篤な病だとかで、一時的に帰郷していたらしい」
「瑞宝どのが蘭陽の出身だからな、蘭陽の遜家については左京兆府で調べてくれるそうだ」
「国子監そのものが赤心党に傾倒している――という可能性はあるかな?」と、麗明。「たしか祭酒(*学長)は洛中紅家の――前の石楠花殿の貴妃さまのご一族だろう?」
「かなりの遠縁だよ。でも、可能性はあるかもしれない」
「本人は何か言っていないのか? 誰にどう頼まれたとか、他に仲間はいるのかとか」
「いや、それが相変わらず貝みたいに黙秘を続けている。たった一言話したのは――」
「え、何か話したのか?」
九龍が食い気味に訊ねてくる。
月牙は肩を竦めた。
「蝶仙に会わせてくれ、だとさ!」
一同のあいだに重い沈黙が落ちた。
「……会わせれば何か話すのかな?」と、桂花が心許なそうに呟く。麗明が首を傾げる。
「どうだろう。蝶仙さまをこっそりお呼びすることは?」
「正面から申し入れたら門前払いだろうな」と、九龍が考え込む。「何か口実があるといいんだが」
「あ!」
「どうした麗明。なにかいい案が?」
「いい案かどうかは分からないけど、来月朔日の踊りの稽古会の前にまたメゾン・ド・キキにお呼びするのはどうかな? 秋栄どのにだけざっとの事情を打ち明けて、お衣装の手直しが必要だとでも手紙を出して貰えば」
「ああ、それはいいね!」
「問題はあちらからお目付け役としてついてくる侍女どのをどうするかだな」
「そこはどうにかなるんじゃないかな。あのメゾンは裏口もあるから、手直しのためにと二階にあがってから、裏口から外へまわれば、牢屋敷はすぐ隣だ」
「ああ、それなら大丈夫だ」と、桂花が請け合う。「秋栄ならきっと上手くやってくれるはずだ」
評議は思いがけないほどあっさりとまとまった。柘榴隊の面々は、このごろ、見た目のわりに大胆できびきびした謎解き好きの御針女どのを殆ど身内の一人みたいに思っている。
決まったとなれば善は急げとメゾン・ド・キキへ向かい、門前の警備に立っている第一小隊の隊士に奥へと取次を頼む。
すると、意外なことに、月牙は顔しか知らない、白地に黒い格子縞のリュザンベール服姿のお針子が出てきた。麗明と同じほど明るい栗色の巻き毛の娘だ。
「どうなさいました女隊長?」
「お針子どの、多忙のときにすまない。魯秋栄どのと会いたいのだが」
途端、お針子は顔を曇らせた。
「すみません、秋栄さまはこの頃ずっとお具合が優れず、今も寝付いているのです」
「え、それは大変だ」月牙は愕いた。「夏の熱病ですか? 薬師には見せたのですか?」
ちょうどそのとき、開いたままの玄関から、見慣れた緑の官服すがたの秋栄が駆けだしてきた。
「秋栄さま!」と、御針子が慌てて駆け寄る。「駄目ですよ、具合が悪いときには静かに寝ていなくちゃ!」
「もう大丈夫よルイーズ。つまりね、その、何というか――」と、秋栄が門前の隊士を一瞥してから堂々とした声で言う。「急に暑くなったせいか、月の障りがとても重かったの。ただそれだけなんだから」
「あ、ああ、それは大変だったね」
月牙はうろたえながら応じた。「もういいの?」
「ええ柘榴庭さま、もうすっかり」と、秋栄は朗らかすぎるほど朗らかに笑ってみせた。「わたくしに急用と聞きました。お入りくださいな。居間でお茶をさしあげます」
左手の部屋へと続く扉は珍しく閉まっていた。秋栄が白い腰帯に吊るした鍵束から鍵を一本取り出して鍵穴に差し込む。
「珍しいね。この居間に鍵をかけているなんて」
「ええ。いま中に色々とお衣装が置いてありますの」
慣れない鍵に緊張しているのか、秋栄がどことなく強張った声で応じる。
やがて扉が開いた。
月牙は愕いた。
真ん中の円卓はいつものままだが、居間は随分と様変わりしていた。
窓と向かい合う右側の壁に沿って、色鮮やかなリュザンベール婦人服が、頭のない等身大の人型のようなものに着せかけられて七着も並んでいるのだ。
どれもほぼ型は同じで、胸元に大きなリボンをあしらい、袖をわずかに膨らませてあるが、色目がすべて違う。
臙脂色や山梔子色。濃淡さまざまの紅色。
真ん中の一着は淡い紅色が基調で、リボンと袖は真っ白だった。
――ちょうど紅梅殿の官服の色だ。
そこまで考えたとき、月牙ははっと気づいた。
「これ、もしかして――」
「ああ、お分かりになりましたか!」
秋栄の青白い頬がぱっと紅潮する。
月牙は夢中で頷いた。
「勿論分かるよ。十年見てきたんだからね。これみな内宮の方々の官服だろ? 色目がそのままだ」
「そうなんでございます。マドモアゼルは、双樹下とリュザンベールの友好のためには、両方の美しいものを混ぜ合わせなければならないと仰せで――」
秋栄は感極まったように涙ぐみかけたが、はっと表情を引き締めると、すぐにぎこちなく笑って踵を返した。
「では柘榴庭さま、しばらくお衣装をご覧になっていてくださいな。すぐお茶を淹れて参りますから」
「すまないね。忙しいときに」