第七話 新租界幽霊騒動 8
秀凰はどうやら評議で定まった殆どのことを雪衣に伝えているようだった。
それでいいのか内宮妓官、と月牙は内心危ぶんだが、目付け役が自ら伝えているなら隠し事をするには及ばない。
改めて、月牙は自らの気がかりを率直に訊ねてみることにした。
「ねえ雪、その話を聞いてどう思った?」
「どうって?」
「だから、赤心党の後援者はどこの家だと思ったかってこと」
確かめるように訊ねてみる。
雪衣はいつもの癖で顎に手を当てて考え込んでいたが、じきに諦めたように首を横に振った。
「正直分からないな。手がかりが少なすぎる」
「――塩政秦家を怪しいとは思わなかったの?」
「うん。思いはしたけど。でも決定的な証拠はないと言うか、むしろちょっと怪しすぎるというか。実は、それで月に伝えたいことがあったんだ」
「塩政秦家の関係で?」
「というか、あのお家の姨太太の関係」
「ええと――あ、あの蝶仙さまか!」
「そうそう。あのお可愛らしいマダムだよ。新北宮であのマダムについてちょっとした噂話を耳にしたんだ」
「どんな?」
「そんなに珍しい話じゃない」と、雪衣が妙に沈んだ声で応じた。「蝶仙どのには、水月楼から落籍される前、同年配の相愛の相手がいたらしい。蝉玉どのの話では国子監の学生だったとか」
「それは――」
月牙は応えに窮した。
「可哀そうに――としか、言いようがないよね」と、雪衣がやるせなさそうに呟く。「秀凰どのから生け捕りの若者の特徴を聞いたとき、私はその蝶仙どのの恋人の話を思い出したんだ。国子監の学生なら、指に筆胼胝のある若い男でちょうどいい気がしてさ」
「え、じゃあ、牢屋敷の咎人が蝶仙さまの恋人だと?」
「自分でも飛躍しすぎているとは思うんだけどね」と、雪衣が苦笑する。「若い男が命を懸けてある大家を破滅させたいと望むとしたら、どんな動機があるかと考えるとさ――もしかしたらあり得るかもしれないって。そんな気がしたんだ。だいぶ大変な捜査みたいだからさ。なんでも報せておいたほうがいいかと思って」
「ありがとう雪。助かるよ。このままじゃ臨時に非番の隊士の招集をかけなけりゃならなそうだったんだ」
「えええ、それは駄目だよ!」と、雪衣が主計官の顔で咎める。「例の嶺西地方の四年前の旱に加えて去年までのあの無茶なパレ・ド・ラ・レーヌ建設、今年のリュザンベール式官服の作成費と、臨時出費が目白押しだからね、後宮領はただでさえ疲弊気味なんだ。このうえの負担は断じて認められない。いくら今は尚書省から扶持が出ているとはいえ、農村部にいちばん必要なのは若い人手なんだからね」
「そこは分かるけどさ、こっちだって全く人手が足りていないんだよ。新租界警備と洛東一帯の巡邏に加えて赤心党関係の捜査までとなると、二〇〇人全員が常駐していたって足りないくらいだ。京洛地方にいるリュザンベール人に万が一のことがあったら――何が起こりかねないかは、雪が一番よく知っているだろ?」
「――勿論分かっているよ」
雪衣が口惜しそうに応じる。
「連中はきっと同国人の保護の名目で京洛地方に軍勢を駐屯させるはずだ。玉夏の故郷のアムリットがエストラーダの支配下に、西域諸国がヴァイセンブルグの支配下におかれつつあるように、この双樹下は実質上リュザンベールの支配下に置かれる――それが最悪の未来だっていうのはよくよく分かっているよ。だけど、そっちを防ごうとして過重な税を重ねて行ったら、王宮の評判は着々と下がるばかりだ――」
と、雪衣がそこで言葉を切り、眉をあげて苦笑した。
「ねえ月、これって厨で中級官吏が私的に論じることかな?」
「いや」
月牙も苦く笑う。
「飛燕様あたりに聞かれたら、大きな問題で悩む前にまずは目の前の問題を片付けろってしかられそうだ」
「ああ、紅梅殿の次官もたぶんそう言いそうだ。ともかく、現状で後宮荘園にさらなる負担をかけるのは、私は反対だよ。これは紅梅殿全体の意思だと思ってもらっていい」
「今の後宮の経営はまだそんなにひっ迫しているの? トカゲのしっぽみたいに外宮を切り離してこれだけの女官を解雇したんだから、多少は改善されたと思っていたのに」
切り離されたしっぽの一部としての怨みを籠めて訊ねると、雪衣はすまなそうに眉尻をさげた。
「勿論、外宮の犠牲は無駄にはなっていないよ。今の後宮は困窮中ってほどじゃない。ただ、今後もリュザンベールとの外交で今みたいな出費が続くとなると、新しい財源を確保する必要があるのは確かだ。値崩れを起こしつつある紅と藍の他に、何か良い商品作物があるといいんだけどね――」
雪衣がいつもの癖で顎に手を当てて考え込んでしまう。
眉間に浅い縦皴を刻んだ表情が真剣そのものだった。
日ごろは朗らかで気さくな物腰に隠されている雪衣の本質――月牙が最も愛している、正しい意味での選良意識と愚直なまでの清廉さの滲みだした表情だ。
月牙は沈思を妨げないよう、気を付けてお茶を淹れ直した。
そうしながら思った。
隊士の増員はやはり最終手段だ。