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第七話 新租界幽霊騒動 6

 二日後の午後である。


 司令部(カルチエ)の第一兵舎の一角に設けられた評議の間に、月牙は二人の客人を迎えていた。

 左京兆府への正式の委任状を受け取って参じてきた瑞宝と、橘庭から目付としてやってきた秀凰である。それぞれが一人ずつ供を連れている。月牙の供は桂花だ。


 これはなかなか悪くない寄り合い所帯だった。

 月牙と秀凰は顔なじみだし、秀凰と瑞宝は同族である。

「師姉が来てくださって幸いです」

「船頭多くして船なんとやらと申します。もしよろしければ、総指揮は秀凰さまがとってくだされ」

 月牙と瑞宝が揃って頼むと、内宮妓官ははにかみ笑いを浮かべて頷いた。

「及ばずながら尽力しよう。みなよろしく頼む」

「では方々こちらを」と、瑞宝が全員に文書を渡す。「牢医師による躯の検分結果です」


「我々のほうからはこちらを」と、月牙も倣う。「牢屋敷に捕縛している咎人の検分の結果です。それから、後宮の薬師による検分については、」

 いざあの珍獣の怠惰を訴えてやろうと息まきながら口を切ると、秀凰が心得顔でうなずいた。

「ああ、その話は聞いているよ。杏樹庭どのが多忙のなかわざわざ報せにきてくださったんだ。堂々としていて大胆で、風変わりだけれど優秀そうな薬師どのだな! 今まで知り合えなかったのが残念なようだよ」

 秀凰の口調は非常に好意的だった。月牙は悔しくなった。

「――あの、師姉は何とお聞きで?」

 訊ねるなり、秀凰は気まずそうな顔で瑞宝を一瞥し、

「ま、その話はあとだ」

 と、あからさまにごまかした。



 一同の手に文書がいきわたると、しばらくのあいだ沈黙が落ちた。

 外を夏らしい驟雨(スコール)が走っているらしく、屋根板を叩く激しい水音ばかりが耳についた。

 ややあって、秀凰が顔をあげ、ふーッとため息をついた。


「生きているほうにも死んでいるほうにも、さしてめぼしい手がかりはないようだな?」

「そうなのです」と、瑞宝が応じる。「躯の年頃は三十から四十ほど、中背でそれなりに鍛えられた体格の男です。膚の焼け具合からして戸外で力仕事に従事していた男でしょう」

「本物の塩売りである可能性は?」

「ないとは言い切れません。身に着けていたのはどこにもありそうな古着で、背負っていた籠には本物の塩が入っていました」

「それは生きているほうも同じです」と、月牙も言い添える。「こちらの年頃は二十から二十五ほど。背丈はやや高め、細身の色白です。右手の指に筆胼胝がありましたから、本物の塩売りである可能性は低いと思います」

「筆胼胝となると、どこかで刀筆の仕事に着いていたことは間違いない。他に何か際立った特徴は?」

「見る限りありません。尋問にも黙秘を続けています」

「参ったな。喋らないなら訛りによって出生地も割り出せず、か!」

「そうなると、当面の手がかりはこの幟と仕込み杖ですね?」

「どうやらそのようだな」

 瑞宝が腕を組んで頷く。

 車座になった評議者たちの真ん中には、二人の塩売りもどきが籠に挿していた二本の幟と仕込み杖が、白い麻布の上に並べて横たえられているのだった。



「仕込み杖の出所を探るのはなかなか難しいだろうな――」と、秀凰が杖をとって刃を確かめながら呟く。「どう考えてもまともな仕事ではないから、聞き込んだところで正直に答えるとも思えない」

「ああ」と、瑞宝が頷く。「それならまだしも塩売りの扮装から辿るのがよいだろう」

「塩は岩塩ではなかったんだね?」

 秀凰が訊ねると、桂花が頷いた。

「さらさらした海の塩です」

 途端に室内に沈黙が落ちた。


 双樹下の京洛地方の塩の流通は、中書省付塩政と呼ばれる大官が独占的に司っている。蘭江河口の官港である嵐門で、周辺の製塩業者からすべての産物を買い入れ、南大辻の塩政邸に付随する塩倉屋敷へと運ばせる。官の許可を得た大商人が塩倉屋敷から塩を仕入れ、さらに小売業者に分配していく仕組みだ。


「塩を無断で売るのは、京洛ではご法度だ」と、瑞宝が呟く。「塩売りの幟を無断で染めるのも同じくご法度だ」

「となると、この幟の出所をさぐれば、背後にいるかもしれない何かにたどり着く可能性が高いということだな?」

「ああ秀凰さま。おそらくは」

 瑞宝が意を決したように応じる。


 背後にいるかもしれない何か――


 ――その場の誰も口にはしていなかったが、誰の頭にも同じひとつの家名が浮かんでいた。



 南大辻の塩政秦家だ。



 前の王太后たる蘭渓道院さまのご生家ながら、先代の国王が幼い御子を残して早世してしまったために、外戚としての権力をろくに振るえず、ここ数十年左右宰相を出していない、しかし、それでもいまだに京洛地方指折りの名家とみなされている家――


 怪しいといえばあらゆる意味で怪しい家ではある。


 しかし、と月牙は思う。


 何というか、何もかもがあまりにもあからさまに怪しすぎるような気がする。仮に本当に塩政秦家が赤心党の後援者だったとしたら、わざわざ身元の証明のように、襲撃者に塩売りの扮装をさせたりするだろうか?


 ――わざとそう思わされているような、そんな気がするんだよな……


「――柘榴庭どの、何か気がかりが?」

 秀凰が気づかわしそうに訊ねてくる。

 気が付かないうちに黙り込んでしまっていたらしい。

 月牙は慌てて表情を取り繕った。

「いや、何でもありません」

「では、捕囚の身元確認については柘榴庭が、幟の出所捜しについては左京兆府が担いなさい。私は今月中はこの調査に専念できることになったから、どちらも報告はこまめにするようにね」

「はい師姉」

「承知いたした」

 さすがに熟練の内宮妓官の采配はてきぱきしていた。月牙は久々に先達の指示に従って働く安心感に浸った。



「それでは私はこれで」

 瑞宝が丁寧な礼を残して部屋を辞したあとで、秀凰が案じ顔で訊ねてきた。


「ところで師妹よ、大きな声は訊き辛いんだが――」

「何でしょう?」

「左京兆府の牢医師どのはそんなに無能なのか?」

「え、いや、生憎と面識がないので。どこでそのような話を?」

「いや、杏樹庭どのがな、先方の牢医師があまりに無知で無能すぎて、すべて教えてやっていたら同じ文書を仕上げることになってしまったうえに、その手柄を独り占めしたいから、杏樹庭どのからは提出するなと密かに脅しつけられたというのだ」

「それは――」

 月牙は応えに窮した。

「面識がないので分かりませんが、そう悪い医師どのにも見えませんでしたが」

 少なくとも、桂花に切っ先を突き付けられながらこちらを罵倒する気概のあるお爺さんではあった。

「そうか。では、きっと何か行き違いがあったのだな。気の毒に、杏樹庭どのは振る舞いが風変わりだからいろいろ誤解されてしまうのだろう。若いのに博識で朗らかで、本当に良い薬師どのなのになあ」

 どういう呪術が使われたのか、秀凰はすっかり迦葉贔屓のようだった。


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