第六話 トリコロールの捕虜警備 4
正面玄関へ戻って館の外へ出ると、燦燦と眩い陽光が視界を焼いた。
蒸し暑いながらも新鮮な空気が肺を満たしてくる。
月牙が思わず深呼吸をしたとき、柵の口を護る竜騎兵の一人が駆け寄ってきた。
「柘榴庭どの、新租界から急ぎの伝令が!」
――来たか!
月牙はうっかり声に出して快哉を叫びそうになった。
麗明が耳打ちする。
「かかったのかな?」
「たぶんね。ちょっと行ってくる。あとは頼むよ」
「頼まれた。気を付けてな!」
おなじみのやり取りを交わしてから、怪訝そうな面持ちの門衛たちを尻目に表門へと急ぐ。すると、門前に子明と小蓮が待ち受けていた。司令部の葦毛馬も一緒だ。
ここまで街路を馳せてきたのか、小蓮は額に汗を浮かべていた。
――あれ? あんまり喜んでいないな?
初仕事の成功を報せにきたのだから、さぞや誇りと歓びに顔を輝かせているだろう――という月牙の予想に反して、何やらひどく強張った表情を浮かべている。門衛の竜騎兵の耳目を憚って、月牙はできるだけ平静な声音をこしらえて訊ねた。
「どうした小蓮、急用か? 私が戻る必要は?」
「あります!」
小蓮は噛みつくように応えた。「大変なんです! 東大橋で九龍さんが左京兆府の火長と決闘しそうなんです……!」
「えええ、決闘!?」
目を剥いて叫んだのは子明だった。海都出身の子明はもともと九龍の部下だったのだ。
「何やっているんですか火長、あ、間違った隊正どの!? あ、もしかして桂花小姐に何か?」
「桂花姉さんは左京兆府のお爺さんを人質にとっています! 若蘭さんも人質になっちゃっているんです! みんな頭に血が上っちゃってます! 頭領、すぐに来てください!」
少女が涙目で叫ぶ。
門衛の竜騎兵たちが無言で興味津々と見守っている。
「小蓮、小蓮、とりあえず落ち着け」
月牙は慌てて宥めた。
何が何だかよく分からないが、ともかくも非常事態らしい。
「頭領、若蘭さんって誰です?」
「……私も知らない。九龍の知り合いだろう。とりあえず私は東大橋へ行く。子明、悪いけど後を頼むよ。午後一刻の鐘が鳴っても私が戻らなかったら、麗明に報告して指示を仰いでくれ」
「承りました。馬は?」
「すぐに頼む」
子明はすぐさま厩舎に走って月牙の愛馬たる黒馬を連れてきてくれた。月牙はひらりと飛び乗ると、横腹を蹴って街路をかけ始めた。
「小蓮、ついてこい!」
「はい頭領!」
「お二方ともお気をつけてー―!」
背後から子明が呼ばわる。こういうのも悪くないなと月牙は思った。案じながら背後で待ってくれている誰かがいるのは、何となく心強い。
そしてふと思い出した。
若蘭さんとは何者だろう?
――まさかあの若蘭さまじゃないよな……
若蘭はそうそうよくある名でもないが、世の中は結構広いのだ。きっと同名の知らない誰かだろう。
月牙はそれきり考えるのをやめると、目の前の現実に集中することにした。
城隍広場をよぎって左へ折れれば東大橋はすぐ先だ。
門前にかなりの数の野次馬が群れていた。
平時には開いているはずの門櫓の扉が閉ざされ、紫紺の衣の王宮兵衛の一火が護っているようだった。東大橋は王宮の南門と近い。どういう権限からかは知らないが、騒ぎを知らされて急遽出動したのだろう。
月牙は馬上から呼ばわった。
「――兵衛がた、お騒がせして相すまぬ! 柘榴庭ただいま参上いたした!」
「当代さまか! すまぬがここはお通しできぬ!」
門櫓の二階の露台から若い兵衛が叫び返してくる。当代様―-という呼び方からして、月牙と同じアガール氏族の出自なのだろう。月牙は同族の気安さを感じた。
「なにゆえに!」
「御身がお姿を現せば騒ぎが大きくなるばかりだ! 王宮へお戻りになられ、左宰相公にお縋りなされよ!」
縋る、という表現に月牙は屈辱を感じた。
――縋る? 私があの公に? 冗談じゃない。まっぴらだ。私の隊の名誉は私が護ってやる……!
「断る! まかり通る!」
気が付けばそんな叫びが喉をほとばしっていた。
「小蓮、馬を頼む!」
「はい頭領!」
力強い応えに勇気づけられながら、月牙は手綱を放し、鞍の上に建ちあがると、膝を折り、足の裏に全身の力を籠め、疾駆する馬の上から門櫓の露台へと跳んだ。
「うわあああ――! 柘榴庭さまだ――!」
野次馬たちの歓声が弾ける。
月牙は露台の手すりをつかんで力任せに体を引き上げると、腰をひねって軽々と露台へ降り立った。
「と、当代どの、どうか御静まりを――」
露台の上にいた若い兵衛が蒼褪めた貌で言う。
月牙はかまわず腰の刀を抜いた。
「通せ」
途端、兵衛がヒッと喉を鳴らして横へとよけた。