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第六話 トリコロールの捕虜警備 2

隊士たちが解散したあとで、月牙と子明は竜騎兵の兵舎に付随する将校専用の食堂(ビストロ)で昼食をとることになった。

 ここの献立は完全にリュザンベール風だ。

錫の匙でドロッとした青豆の粥みたいな液体――将校いわく「ぽたあじゅ」を掬って恐る恐る口に運んでいたとき、午前中から舞踏室内の警備に当たっていたはずの麗明が足早に部屋へと入ってきた。


いつもどおり、白いシャツに黒いジレ、黒い細いズボンと緋色のサッシュの隊服で、白鷺の羽矢の箙だけを負い、栗色の髪を丁寧に編んで頭に巻き付けている。

 麗明は竜騎兵の将校に慣れた手つきでリュザンベール風の敬礼をしてから、月牙へと向き直った。

「頭領、食事中にすまない。マダムがたがお呼びだ」

「分かった。すぐ行く」

 ひとつ年下の元・妓官仲間である麗明は、私的な場では月牙を名前で呼ぶ。頭領と呼びかけたということは、呼び出しは公用に属するということだ。月牙は小皿の上の麺麭を一切れつかんで立ち上がった。

「失礼、お先に。子明、司令部(カルチエ)から使者があったらお前が聞いておいてくれ」

「承りました」


 兵舎を出れば外は馬場だ。

 がらんと広い土のままの広場を初夏の陽が照らしている。

 どこかで蝉が鳴いていた。

 月牙は歩きながら黙々と麺麭を齧った。

「悪いね月牙。お呼びのマダムがたと言ったけど、お呼びなのは要するに(さき)の紫薇殿さまなんだ。紅梅殿の判官が来るなら柘榴庭も呼べい! って鶴の一声で命じられてね。たぶん用事はないと思うんだけど」

「しふぃへんひゃまひゃひひゃひゃひゃいお」

 口いっぱいに麺麭を頬張ったまま応えようとすると、麗明が嘆かわしそうに首を左右に振った。

「頼むからもう少しみやびに食べようよ? どうもこのごろ月牙は昔に戻ったみたいだなあ」

「……振る舞いが大人げないって?」

「いや、そういう意味じゃなくて。五年前に飛燕様から頭領職を引き継いでから、月牙は人が変わったみたいに堅苦しくて生真面目になっただろう?」

「私はもともと結構きまじめで頭が固かったと思うけど?」

「うん。それはそうなんだけど――どうもうまく言えないな。でも、少なくとも去年までの月牙だったら、今回みたいな作戦は絶対に立てなかったと思うんだ」

「そうかな?」

「そうだよ。内宮北院の――ああ、今は後宮北院の方々にさえ、判官様が本当はどこにいるのかを伏せておくなんてさ」

「ああ、言われてみればそうかもしれない」

 月牙は麗明に指摘されて初めて、自分の内面の変化を自覚した。

後宮が旧来通りに機能していたとき、組織の中で頂点まで上り詰めるためには権威に従順である必要があった。しかし、今はその組織自体が崩れつつあるのだ。



 ――必ずや最年少で橘庭(きってい)の督と呼ばれることが――内宮妓官を束ねる督となることが昔の私の夢だった。なら今の私の夢は? 



 考えてもすぐには何も思い浮かばなかった。

 黙り込んでしまった月牙を案じたのか、麗明が気づかわしそうに訊ねてくる。

「――東からは、まだ何の報せも?」

「あいにくとね。やっぱりそうそう簡単にはかかってくれないみたいだ」

「そうか――。折角これだけの計画を立てたのになあ。桂花も小蓮もあんなに張り切っていたのに」

 麗明は心底残念そうに言った。

 月牙は嬉しくなった。

「ま、気長にやるさ! 内緒話はここまでにしよう」



 馬場をよぎると、まだ若い梨の並木の向こうに鉄柵がある。上半分に繊細な透かし細工を施した入り口の左右を竜騎兵と柘榴隊士が二人ずつ守っている。

「みなご苦労」

 通り抜けざまに月牙が短く労うと、四人がそろって敬礼を返してくれた。

 柵の内に入れば、狭い前庭の向こうに横長の二階建てのリュザンベール風の館が立っている。基本的には白漆喰塗りの木造建築で、屋根瓦は鮮やかな碧。一階にも二階にもずらりと白い円柱が並んで、中央の入り口の上に方形の露台が張り出している。

 四本の太い円柱で支えられた露台の下の正面玄関の扉は開いていた。こちらの左右に立っているのは竜騎兵だけだ。

 麗明は彼らに目だけで礼をして入ると、正面ではなく左手の階段へと向かった。

「あれ、舞踏室じゃないの?」

「ああ。今は皆さま北翼の居間(サロン)で茶菓を召し上がっている。さっき見たときには判官様はまだいらっしゃらなかったよ」

 麗明が慣れた足取りで緋毛氈を敷いた長い廊下を歩いてゆく。右手に並ぶ縦長の格子窓から幾筋もの細い光が差して木漏れ日のような斑を落としている。


 左手にはいくつもの扉が並んでいる。蜜を塗ったような光沢のある桃花心木の板戸だ。五つ目の扉の前で麗明が足を止め、獅子の頭を象った黄金色の細工の口から垂れる環をつかんで下の金属板を叩いた。

「マダムがた、お求めの者を呼んでまいりました」

「入れ、開いているぞ!」

 扉の内から間髪入れずに聞き覚えのある声が返る。

「じゃ、私は外で」

 麗明が悪戯っぽく眉をあげながら扉を開ける。途端、むっとするように甘い香の匂いといがらっぽい煙の入り混じった生ぬるい空気が流れ出してきた。


 

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