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第五話 空蝉の術 5

 司令部(カルチエ)は方形の庭だった。右手に四軒の高床小屋が並び、左手には兵舎と思しき長屋が二棟見える。

 兵舎の向こうに、鮮やかな黄赤の花を咲かせた柘榴の巨樹があった。


「柘榴庭か――」

 若蘭は思わず口にした。

「あまたの古歌に謡われた外宮の柘榴を生きて見る日が来るとはなあ!」

 全く時代は変わったもんだ。


 思わずそう嘆じると、杜九龍が口元を微かに歪めて笑った。

「つい先だって似たようなことを仰せの方がいた。ここまでくれば耳目を憚る必要はない。若蘭どの、〈空蝉の術〉について何か?」

「伝えたいことは一つだけだ」

 若蘭は得意さを押し隠して淡々と告げた。

「あの術はとうにばれている。判官様がまだお発ちでないなら、東大橋を渡るのはやめたほうがいい。間違いなく狙われるぞ?」



 ――どうだ色男。驚いたか?



 得意さを隠しきれずに上目遣いに反応をうかがう。


 九龍は思いがけない表情を浮かべていた。

 驚愕でもなければ怒りでもない。

 強いていうなら困惑だろうか? そこに少しばかりの安堵が混ざっている気もする。

「おい、愕かないのか?」

「あ、いや、愕いてはいるんだが」と、九龍が苦笑する。「その――よく報せてくださったな? 感謝する。しかし心配ない。露見するのはもともと計画のうちだ」

「は?」

 若蘭は絶句した。

「何と説明したものかな――」

 九龍が考え込む。

 そのとき、木戸のほうから、明るく元気な女の子の声が響いた。


「九龍さん――! 私たちそろそろ発ちますから――! 司令部(カルチエ)をよろしくお願いします――!」

「おう小蓮、行ってこい、気をつけろよ――」

 九龍が娘か小さい妹にでも答えるような気さくさで応じ、ふと思い立ったように若蘭を見やってにやっと笑った。

「そうだ若蘭どの、一つ頼まれてくれないか?」

「なんだ?」

「東橋を渡る変装した判官様の後をつけてもらいたんだ。若い元・妓官が一人で護衛をしている。一見商家の太太(おくさん)と小間使いみたいに見えるはずだ」



                ◆



 ――あの色男も、実は結構馬鹿なのか……?


 心密かに案じながら、若蘭は外砦門から南へ伸びる洛東南大路を歩いていた。


 すぐ先を女の二人連れが行く。

 中背と小柄の二人組だ。

 中背のほうは青鈍色の裳衣をまとって編み笠を深くかぶっている。小柄なほうは明るい藍染めの裳衣で、この頃流行りのリュザンベール風の赤い日傘を抱えている。日中なのに開いてさしていない理由はよく分からない。

 もしかしたら、縁のフリルを楽しむための無用の装飾品だと思っているのかもしれない。


 今しがた司令部で聞いたところによると、あの中背のほうが噂の判官様、小柄なほうが護衛の元・妓官なのだという。


「小蓮はああ見えて結構な手練れだ。去年、判官様と柘榴庭どのが海都に潜伏していたとき同行していてな、柘榴庭どのがいないときには、常に判官様の身辺を警衛していたんだそうだ。要人警護の経験は充分以上だ」


 杜九龍はそう説明した。

 彼らは何とあの小娘だけが護衛する判官様を囮にして、のらりくらりと正体を現さない赤心党の成員にわざと襲わせるつもりなのだという。

「もしも襲ってくれたら儲けものだって程度の作戦だがな。折角の機会だし、何もやらないよりはましだろう」

「それじゃ、あんたたちが陰から見張っていなけりゃ捕縛できないだろうが!」

 若蘭がそう言うと、九龍は呆れたように笑った。

「陰から見張るには俺たちは目立ちすぎる。念のため呼び子笛を持たせることにするかね」



 あの二人は応援が来るまで十分持ちこたえられるはずだ――と、杜九龍は言った。

 無理に決まってんだろ、と若蘭は内心で言い返した。


 目の前を歩いているのは、本当に単なる小柄な女の子だ。

 辻芝居でもあるまいに、大の男らに襲われて持ちこたえられるとは思えない。


 ――何なんだよおい、大丈夫なのか? 柘榴隊ってのは馬鹿しかいないのか?


 若蘭の心配をよそに、二人連れは人通りの多い辻を右折し、大環濠に架かる長い橋を渡ろうとしていた。


 洛中側から編み笠を被った行商人が来る。

 背に負った籠に「塩」と白抜きした青い幟を立てて杖を手にしている。

 塩売りだ。

 何も珍しくはない。

 と、若蘭は奇妙なことに気付いた。

 同じく「塩」の幟を立てた行商人が辻の向かい側からも来るではないか!

 こちらも編み笠を被って杖を手にしている。


 判官様と小娘が橋を渡ろうとしている。

 辻の向かいから来た塩売りがその後ろに続く。


 前にも塩売り。後にも塩売りだ。



 ――まさか。


 若蘭は嫌な予感を感じた。


 そのとき、後ろの塩売りが、やおら杖の先端から光る刃を引き抜くなり、


「――死ね! 左府の妾が!」


 鋭く叫んで判官様へと斬りかかった。

 同時に前の塩売りも仕込み杖を抜く。


 白刃が陽光を反射して光る。


 若蘭は叫びかけた。


 そのとき、


「――小蓮、刀を!」

「はい桂花姉さん!」


 小娘が投げ渡した日傘を〈判官様〉がはっしと受け取るなり、編み笠を投げ捨て、白刃を引き抜き、跳躍して後ろを振り向きがてら、振り下ろされる刃を交わして、低く身をかがめるなり、襲撃者の喉を下からどすっと突いた。


 一瞬の早業だった。


「小蓮、後ろに!」

「はい姉さん!」

 小さな体が信じがたい跳躍力で橋の欄干へと飛び、そこから横へと跳躍する。

 同時に〈桂花姉さん〉がもう一人の喉から刃を引き抜いた。

 ぱっと赤い血がしぶいて頭へと降り注ぐ。

どうっとばかりに死体が倒れる。

「とれ!」

「はい!」

 〈桂花姉さん〉が小蓮に自分の刀を投げ渡し、情け容赦なく踏みつけた躯の手から仕込み刀をむしり取る。


この間およそ七秒。


 空中で刀を受け取った小蓮が、洛中側から来た塩売りの背後に、仔猫みたいな身軽さで着地するに至って、ようやくに辻から悲鳴があがった。


 塩売りは二、三歩後ずさったが、

「こ、小娘どもが!」

 と、叫ぶなり、破れかぶれに刀を振り回しながら突進してきた。

「――あああ、姉さんよけてー―!」

「あ、馬鹿、小蓮、殺すんじゃない! 畜生、生け捕りって難しいな! ――おいそこの誰か! 誰だか知らないけど九龍さんの寄越したお目付けだろ! ぼさっと見ていないで応援を呼んできてくれよ!」

 やたらめったら斬りかかってくる塩売りの切っ先をヒョイヒョイと軽くよけながら、〈桂花姉さん〉が間違いなく若蘭を見やって叫んだ。

 日に焼けて引き締まった顔をした十七、八の娘だ。

 血まみれの顔のなかで白目が象嵌のように目立つ。

「は、は、はい!」

 若蘭は思わず叫ぶと、一心に走って新租界へと戻った。駆けながらはっと気づいてしまう。


 ――呼び子笛って俺のことかよ!?


 門前ではすでにマスケットを担った九龍が待機していた。

「かかったか。どうだ、うちの小姐たちは?」

「猛獣みたいな小姐だな! あの二人組だったら、前後から虎二頭に襲われたってきっと無事だろうよ!」

 若蘭があきれ果てて叫ぶと、九龍は生真面目な顔で応えた。

「二頭はさすがに無理だろう。柘榴庭どのが指揮を執るなら別だが」


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