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第五話 空蝉の術 2

「はい小姐、韮入り油と刻み大蒜入りね!」

 顔なじみの女給仕がにこにこしながら品を運んでくる。

「お、小姐、今月も来たか!」

「先月は良かったねえ。姉さんから贈り物が届いたんだろ?」

 ここでは蝶羽は顔が割れているが、誰も指さして騒いだりはしない。姉さんと一緒に昔っから毎月同じ注文を繰り返してきた成果だ。

 蝶羽はすっかり安心して顔を露わにすると、脚のがたがたする卓に丼をおき、心置きなく味わいにかかった。



 川海老と鶏ガラの合わせ出汁の湯に刻み大蒜を溶かすと得も言われぬコクがある。最高に幸せな気分で一杯目を平らげ、二杯目は香菜(シャンツァイ)にしようかと頭を悩ませていたとき、背後からどやどやと新客の集団が入ってきた。


「おおー―ここか、噂の米麺の店ってのは! おーい亭主、鶏米麺三人分ね!」

 げ、と蝶羽は声を出しそうになった。

 さっきの三人組の馬鹿だ。

 なんでこんなところにまで湧いて出るのだ。

「――小姐、柱の陰に隠れておきなよ?」

 女給仕が気遣ってくれる。「あの馬鹿ども、どう見たって田舎者の群れだから、小姐が何者かまでは分からないだろうけどさ。顔出していれば絡まれるよ。出ていくまでこっちにいな」

「ありがと。それから二杯目は香菜でお願い。胡麻油で和えたやつ」

「はいはい」

 給仕に勧められるまま柱の陰に隠れる。

 新客の三人組は入り口近くの一番明るい卓――本当は六人がけの卓だ――を、三人で占領した。


「亭主、ついでに酒も頼むよ! 海都風の老酒がある? --え、ないの? 駄目だなあ。じゃ、北部風の黍酒ね! さすがにそれはあるだろ?」

「か、か、火長どの、昼から飲みすぎですよう!」

 純朴そうな赤いほっぺの若いのがどもりながら止めれば、もう一方の浅黒い肌をした生真面目そうなのも、眉間に深いしわを刻んで諫言する。

「そうだぞ子明どの、そろそろやめておけ。頭領に知られたら何て言われるか」

「うるっさいなあ二人とも! いいだろ、非番の日にどこでなにをしようと!」と、小太りの〈子明どの〉が拳でダン、と卓を叩く。

「正直言ってね、僕はもううんざりなんだよ、小姐(おじょうさん)たちの巡邏隊ごっこにお付き合いするのはね! 何が柘榴庭どのだ! あんなのただの女じゃないかよ! ちょっと小ぎれいな顔をした背の高い年増だよ! それ以外の何者でもない!」


 

 ――え、柘榴庭どの?



 蝶羽は思わず耳をそばだてた。

 足音を潜めて二杯目を運んできてくれた給仕も同じく耳をそばだてている。


 店中みんなが密かに耳をそばだてるなか、〈子明どの〉が赤いほっぺの若いのの肩に腕を回して囁く。

「なあ楊春、正直に言いなよ。お前だっていい加減うんざりしているんだろ? 小姐たちの芝居がかった警衛ごっこにはさ! 石英、お前どう思う、あのもっともらしい〈空蝉の術〉ってやつを?」

 子明が心底馬鹿にきしったように訊ねる。

 一拍の沈黙のあとで、石英がこわばった小声で応えた。

「――正直なところ、俺もあの作戦はどうかと思いますね。ほんのちょっとした外出のためにあそこまでやらなくたって」

「だろ?」子明が我が意を得たりとばかりに頷く。「あの女ども、自分たちをどれだけのものだと思っているんだよ! 輿を空にして、本物の判官様は小姐一人の護衛だけで後からこっそり徒歩で行くなんてさ! どこの芝居の筋立てだよ? たかだが新北宮に踊りの稽古に行くだけで、必ずしも絶対赤心党が襲撃するとは限らないじゃないか!」

「か、か、か、火長どの、声が大きいですって! どこに密偵が潜んでいるか分からないんだからあの作戦は絶対秘密だって、頭領があれほど――」

「うるさい楊春、独りでいい子ぶるなよ! おい亭主、早いところ酒を頼むよ――」



 ――店内はおろか外の路上にまで聞こえそうな大声で、三人組は「絶対秘密の作戦」を詳細に語りつくした。


 柱の陰で三杯目の鶏米麺を啜りながら蝶羽は慄いた。



 ――馬鹿だ。馬鹿が三匹いる……



 いくら田舎者だからってこれはあんまりだ。

 京洛での判官様と柘榴庭さまの知名度は本物なのだ。

 驚くべきことに判官さまが左宰相公の踊りのお相手を務めることになったという噂だってとうに広まりきっている。

 

 もともと洛北一帯は反・法狼機感情が強い。

 赤心党のひそかな同調者がうぞうぞ存在している。

 こんなところであんな秘密を大声で話していたら、間違いなく今日のうちに赤心党に伝わるだろう。

 そして判官様が――姉さんに親切にしてくださったらしいお方が襲撃されるのだ! 


 報せなくちゃと蝶羽は思った。

 その作戦はもうばれていますと、何とかして柘榴庭さまに報せなければ。


 ――しかし、どうやって?


               ◆


二日後――


 新租界の司令部(カルチエ)に奇妙な手紙が届いた。

 南大辻で雑貨を商う奇瑞商行(きずいしょうこう)の売り子が、同じく南大辻にある塩政邸の奥向きから託されてきた手紙である。


 受け取った筆頭火長の子明はすぐに月牙へと届けた。

「頭領、蝶仙さまからお手紙ですよ」

「ありがとう子明」

 ぽちゃっとした色白で小太りで小柄な第一小隊の筆頭火長は、戸外で立ったまま手紙を読む月牙を興味深そうに見上げながら訊ねた。

「蝶仙さまは何と?」

「なかなか面白いことが書いてあるよ。――妹さんが天后娘娘さまの御堂で籤を引いたら、来月の朔日、女はみんな輿に乗って外出するのが吉と出たそうだ」

「ずいぶん詳細な籤があったもんですねえ!」

 子明は呆れたように笑った。

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