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第五話 空蝉の術 1

――御池に蓮の花が咲くと御彼岸浄土みたいだなあ……


 一面に薄紅色の連花の開く天后娘娘(てんこうにゃんにゃん)さまの御池である。

 編み笠の縁から垂れる白い羅ごしに見ても初夏の蓮池は美しかった。

 池の真ん中の小島に朱塗りの柱と碧い瓦屋根を備えた六角堂が見える。そちらへ続く桟橋へと歩みだしながら、蝶羽(ちょうう)はまたしても涙ぐみそうになった。


 ――姉さんにも見せてあげたかったなあ。


 二つ年上の姉の蝶仙はこの池が大好きだった。

 目にすれば、きっと被り布をぱっと外して明るい歓声をあげただろう。


 妹妹、綺麗だねえ!


 耳の奥に懐かしい姉さんの声が蘇る。

 いけない、いけないと蝶羽は自分を戒めた。

 これではまるで姉さんが死んで彼岸へ行ってしまったようではないか! 姉さんは洛南(あっち)で元気にやっているのだ。先月も綺麗な蝶の簪を添えて手紙をくれたばかりだ。


〈可愛い妹妹、元気にやっていますか……〉


 いつもと同じそんな文面ではじまる姉さんの手紙には面白いことが書いてあった。

 姉さんは何と先月の朔日(ついたち)、新租界で、あの辻芝居で有名な謎解き名人判官様と護衛の柘榴庭さまにお会いしたらしい。


〈――判官様は芝居で見るような白髪の老太婆(おばあさま)ではなく、真黒なお髪をしたお綺麗なお方で、妾のようなものにまでそれはお優しくお声をかけてくださいました。柘榴庭さまもお綺麗で、芝居で見るよりずっと物静かそうなお方でした〉


 姉さんはいいなあ、と蝶羽は羨む。

 私もあと二年のあいだに、姉さんに負けない立派な老爺(だんなさま)を見つけてここから出られるんだろうか?


 ――早くしなきゃな。早くしなきゃ、私はすぐ老太婆になっちゃう。


 この白い膚、この艶やかな髪、可愛い小さい貌がなければ、みんなに馬鹿にされて足蹴にされる野良犬みたいになってしまうのだ。


 そう思うといつもの恐ろしさを感じた。


 

                ◆



 桟橋の先の小島はいつも以上の賑わいだった。

 御堂の前のちっぽけな広場の左右に露店が並んで昼間から酒を商っている。

 おかげでそこら中が酔漢(よっぱらい)だらけだ。

 まずいな、と蝶羽は思った。

 いくら顔を隠して地味な藍染めの裳衣で召使の小娘みたいなふりをしていても、立ち姿そのものがあか抜けているのか、男たちがじろじろとこっちを見ているのが分かる。


「おーい小姐(おじょうさん)、可愛いねえ。こっちきて一緒に飲まないかい?」


 上機嫌の男の一人が大胆にも声をかけてくる。


 ――うるっさいなあ。私を誰だと思っているのさ。水月楼の蝶羽だよ! 一匹蝶になっちゃったとはいえ、話しかけたいなら最低五十両は持っておいで!


 心の中でだけそう言い返して蝶羽は完全に無視したが、周りの参拝客たちがヒソヒソ囁くのが聞こえてしまった。


「……おいあ法狼機服、あの連中、話に聞く洛東の柘榴隊ってやつじゃねえか?」

「洛東の連中が何しにきたんだ、こんなところまで」


 どう聞いても好意的な囁きではない。

 御堂の階を登りがてらちらっと視線を向けると、右手の藍色の「酒」の幟の傍に、見慣れない揃いの法狼機服をまとった三人の男がみえた。

 襞の多い白い袖の上衣に黒い袖なしを重ね、肢にぴったり沿うような細い黒いズボンをはいている。腰に結んだ緋色の帯と各々に意匠を凝らした火薬入れ。

 

 ――柘榴隊って何? 何なのあの連中。


 三人の中で一番顔を真っ赤にしているのは、ぽちゃっとした色白で小太りの小柄な若い男だった。へらへらと笑いながら、通りかかるあらゆる若い娘に声をかけているようだ。連れの二人が慌てた様子で止めているところを見ると、あの小太りが一番偉くて、他の二人がお供をしているのかもしれない。


 どこにも馬鹿はいるものだ。

 できるだけ関わらないようにしよう。

 蝶羽はそそくさとお参りを済ませると、いつものように池の端へ戻ると、なじみの酒楼の一階に入って、これもいつも通り洛北名物鶏米麺を大盛りで注文した。



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