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第四話 幕間にウズラの卵を 四

「――どちらにしても、わたくしも正后様の随員として新北宮へ赴く予定でございますから」と、雪衣がことさらに事務的な口調で言う。

「そうか、ではリュザンベール服は?」

「新たな官服として仕立てております。公の踊りのお相手を務めるよう申し渡された旨、北院へはわたくしから報告いたします。桃果殿さま、あるいは正后様がお許しにならぬ場合は、このお話はなかったことに」

「相分かった。主上には儂から申し上げておこう」

「西院へはそれで伝わりますね」

 てきぱきした事務手続きじみた会話を終えると、雪衣は軽く一礼して踵を返した。

「ではわたくしはこれで。柘榴庭、内南門まで送れ!」


「いや、待て待て判官、柘榴庭を連れていくな。もうひとつ命じたいことがあるのだ」

「何です?」

「試合よ。そこの杜九龍とな。名に負う外宮妓官の頭領の技がいかほどのものか、しかとこの目で見定めたいのだ」

 槙炎卿がにやりと笑う。

「せっかくだからそなたも見物していけ。そこな隊士ども! おぬしらも見物するといい!」

 槙炎卿が兵舎に向けて呼ばわる。

 隊士たちがおずおずと姿を現した瞬間、月牙は全身の血の沸き立つような怒りを感じた。


 相手の意図しているところが、不意に鮮やかに見て取れたのだ。


 ――公は洛東一帯で人気の高い「柘榴庭」の誉れを、そのまま男たちのマスケット隊に移すおつもりなのだ。そのために私や麗明や桂花や小花を、ただ名ばかりの飾り物のように貶めたいのだ。


「どうした柘榴庭。一対一ではやはり無理か? 妓官たち総出でもかまわんぞ?」

 槙炎卿が揶揄うように言う。

 月牙は内心に湧きたつ怒りを押し殺して答えた。

「いいえ公。一対一の試合をお目にかけましょう」

 そういうのは妓官の戦い方ではないが、今はやむを得ない。

 得意の集団戦で勝ったとしても、見物する隊士たちは誰も納得しないだろう。

 この男を正面から叩き伏せるのだ。

 そうする以外に武芸妓官の名誉を守るすべはない。


「なあ、本気でやるのか柘榴庭どの?」

 九龍自身が心配そうに口を挟んでくる。「あ、いや、もちろん、あんたの腕を疑うわけじゃないんだが、俺とじゃあんまり体格が違いすぎるだろう?」

 月牙は不安を押し隠して不敵に笑ってみせた。

「お前に案じられるいわれはないよ。ここは私の庭だ。麗明、木刀を貸してくれ!」

「とれ頭領!」

 麗明が慣れた手で投げ渡してきた木刀を、これも慣れ切った手で受けとる。

 木刀の柄は湿っていた。

 麗明の汗の湿りだ。

 そう思った途端、全身に真新しい力が漲るのを感じた。

「来い九龍! 麗明と同じと思うなよ、私は頭領だ!」

「……――手加減はしないぞ!?」

「こっちの台詞だ!」

 言葉と同時にカッと木刀が打ち合わされる。


 重い、と月牙は慄いだ。


 鍛えられた男の本気の一撃だ。


 腕の骨がじんとしびれるような重みがある。


 ――正面から打ち合ったらいずれ私が負ける。力技では麗明もかなわなかった相手だ。私に敵うはずがない。


 ――どうしたらいい? 何を使えばいい? どうしたら力ではなくあの男を抑え込める……?


 持ち前の敏捷さと跳躍力を駆使して庭中を逃げ回っていたとき、左目がチリッと鋭い眩しさを感じた。

 太陽だ、と月牙は気づいた。

 横目で光源を確かめれば、厨の前で小蓮が玉の盆を呈していた。


 ――あの縁の銀細工だ。

――光を反射している。


 そうと気づいた瞬間、月牙は体を大きく逸らし、横合いに跳びながら背中をひねった。

「来い九龍! こっちだ!」

 誘いかけるなり男が正面に回り込んできた――光の軌跡の先に。

 一瞬、男の黒い目が眩しげに細められる。

 腕の動きが鈍った。

 月牙はその隙に体を低めて相手の足元へと飛び、しゃがみこみながら下から木刀を喉へと突き付けた。


「――勝負あった!」

 叫んだのは麗明だった。

 九龍は木刀をふり上げたまま呆然としている。


「いかがです宰相公」と、麗明が得意そうに訪ねる。「真剣でしたらあの男は間違いなく死んでおりますよ?」

「そうさの。死んでおるの」と、槙炎卿は少々悔しげに答えた。


「なあ柘榴庭どの、そろそろ――」

「九龍、ひとつ言いたかったんだが」

 月牙は男の顔を真下から見上げてにやりと笑った。


「その呼び方は他所からのものだ。身内は頭領と呼べ」


 笑いながら喉仏を切っ先でくすぐってやる。

 九龍は眉をしかめ、

「分かった頭領、分かったからそろそろ離れてくれ!」

 と、自ら木刀を捨てて両手を広げてみせた。



「柘榴庭さま恰好いい――」

 木戸の前で女嬬が呟いた。

「だろ?」と、雪衣が誇らしそうに応じた。


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