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第四話 幕間にウズラの卵を 三

パルトゥネール=身分違いの姨太太(おめかけ)


 ダンス講習の警備にあたった月牙たち柘榴隊の面々の脳裏にはそう刷り込まれている。

 見れば、雪衣によく懐いている小蓮も、眉をぎりぎりと吊り上げて、怒った小さい狆みたいに宰相公の背中を睨みつけていた。

 月牙は嬉しくなった。

 少なくとも一人は指示に従う手駒がいるようだ。


「げ、月牙、落ち着いて……」と、麗明が震える声で言いながら腕を押さえてくる。「気持ちは分かるけど駄目だよ。気持ちはすごく分かるけど」


 月牙ははっとした。

 無意識に柄に手が伸びていたようだ。

 麗明が涙目で腕を押さえ続けている。

「公の仰せをもう少し聞こうよ。ほら、その、一時の御遊び相手、みたいな気まぐれではなく、きちんとお(いえ)に迎えて末永くお傍におきたいって、そういうお心かもしれないじゃないか」

 麗明に耳元でささやかれて、月牙はようやく冷静になった。

 洛中槙家のご当主からすれば、この世の大抵の女は身分違いだ。


 ――それならこんな衆人環視の中で言わなくたっていいじゃないか! 大体内宮女官をお家に迎えたいって何さ! そういう先例ないだろ! 雪、何とか言ってやりなよ!


 憤りながら雪衣を見やる。


 雪衣は絶句していた。


 槙炎卿が首を傾げる。


「む? 聞き取れなかったか? パルトゥネール、だ」

「あ、いや、聞き取れは、しましたが――」

 と、雪衣が顔をうつむける。

「その、公は、わたくしに、お家の奥方に入れと、そのように仰せ、で?」


 たどたどしく訊ねて耳まで真っ赤にしている。


 槙炎卿はきょとんとした。

「奥方? いや、そんなつもりないが――」

 と、そこで言葉を切り、まんざらでもなさそうな困り顔で笑う。

「いや、しかし、そなたがどうしてもと望むなら、迎えるのもやぶさかではないぞ? 内宮の判官が宿下がりなど前例にはないが、この頃時代も変わったからのう。そなたの秘めたる熱き思いを打ち明ければ、主上もきっとお許しくださるであろう」


「いやいやいやいや待ってください!」

 雪衣が怒りもあらわに叫ぶ。 

「わたくし別段何にも秘めておりませんから! なんでそっちが乗り気でないのにこっちがおねだりしているみたい流れに!?」


「奥方がどうのと言い出したのは判官であろ?う」

「パルトゥネールになれって仰せになったのは公のほうでしょうが!」

「パルトゥネールというのは踊りの相手のことであろう? 儂はそう聞いておるが」

「いいえ、私はマダム・ル・メールから――」

 そこまで言いかけて雪衣がまた頬を染める。

 槙炎卿が眉をあげる。

「何と聞いておるのだ?」

「まあその、いろいろですよ」

 雪衣はまだちょっと耳だけ赤くしながら言い、ようやくにいつもの落ち着きを取り戻して訊ねた。

「すると、公にはまだ踊りのお相手がいらせられないので?」

「それで困っておる」

尊夫人(おくさま)姨太太(おへやさま)がたも、皆さまお断りに?」

「うむ」と、宰相公は悲しげに頷いた。

「命じれば誰かが引き受けると思っていたのだがの、四人してみな、無理強いするなら自害すると言い立てて我が母の住まう殿へと籠ってしまった。儂はもう一か月、奥方たちの顔を見ていないのだ」

「それはお寂しゅうございますね」と、雪衣は儀礼的に応えた。「今からでも、奥向きに入れる官妓をお捜しになっては?」

「好みの美妓は品切れだ。捜すのに出遅れた」

「ご参考までに、お好みはどのような?」と、雪衣が商売熱心な御用聞きの口調で訊ねる。

「そうさのう――」

 宰相公は真剣に考えこんだ。

「背丈は高すぎんほうがいい。さりとてあまり低くても、儂の体格と見合わんだろう」

「すると中背ですね?」と、雪衣がなぜかがっかりしたように言う。

「うむ」

「お顔立ちは? 細面の怜悧な眉月のような美貌なんてのはどうです?」と、ちらっと月牙を見る。

 公はまた考え込んだ。

「いや、どちらかというと丸みを帯びた貌がいい」

「可愛らしいお顔ですね? そうなりますと、洛北の水月楼の双蝶の、片割れなんかいかがでしょう?」

「あれは(いとけな)すぎる。もうちっとこう大人びた感じで、眸が明るく睫が濃く、朱唇が豊かで頬の丸やかな――」

 宰相公は指折り数えて特徴をあげていたが、不意に真理に思い至ったかのようにポンと手を打った。

「おおなるほど、なるほどそういうことか」

「な、なんです?」

「つまりだ判官、そなたのような面立ちがいいのだ」


 ――ようっていうかほぼ雪じゃん、と月牙は内心で突っ込んだ。


 ――この公あれか、無自覚な恋心を自覚していない気の毒な三十代なのか?


 雪、なんかいってやりなよ! と激励を籠めてみやるなり、ゲッと声をあげそうになる。


 雪衣が耳まで真っ赤になっている。


「さ、左様でございますか」

 雪衣がうろたえ切った声で応える。

 槙炎卿が平然と頷く。

「然様。どうだ。引き受けてくれるか?」

 一瞬の沈黙のあとで、

「……そういうご事情でしたら、致し方ありませんね」

 雪衣が蚊の鳴くような声で言った。

「では?」

「――お引き受けいたしますよ! そう申しているんです!」

「そうか。引き受けてくれるか!」

 槙炎卿は心底嬉しげに白い歯を見せて笑った。


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