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第四話 幕間にウズラの卵を 二

洛東巡邏隊は尚書省の直属である。

 尚書令たる左宰相公の御言葉は絶対だ。

 月牙は大急ぎで自ら内南門へ走って内宮妓官に取次を頼んだ。途端、雪衣ではなく内宮妓官の督の宋金蝉が自ら駆けつけてきた。


「月牙! 槙家の若当主が紅梅殿の判官を呼んでいるというのはまことか!」

「はい督よ、今しがた、先ぶれもなしに司令部(カルチエ)へいらせられ、そのようにお命じになられました」

「なんと無礼な! 後宮女官を何だと思っているのか! ご兄妹揃って全くもう、あのお(いえ)の躾はどうなっているのじゃ……!」

 老齢の内宮妓官は遠縁の大叔母さんみたいに憤った。

 何となく既視感のある憤り方だ。


 ――そういえば、(さき)紫薇殿(しびでん)さまは槙貴妃(しんきひ)さまだったな。


 ――同じ槙姓だからご一族とは思っていたけど、お妹君だったのか!


全然似ていない兄妹だなあ、と月牙は内心思った。


「前触れなしの来訪が当世の洛中槙家の御家風なのか!? あのお妹君にしてこのおん兄君あり、瓜二つのご兄妹じゃ!」金蝉の意見は月牙とは異なるようだった。「で、月牙よ、宰相公は判官どのに何の御用で?」

「それが、ただ呼べとだけ」

「何という傲慢! 何という無礼! そういう戯けた無礼者は外砦門で追い返してしまえ!」

「わたくしとしてもそうしたい限りなのですが、何といってもわたくしども、今は尚書省直属ですから――」

 月牙がしおしおとうなだれると、宮仕えの辛さを骨の髄まで知り尽くした妓官の督は態度を軟化させた。

「おぬしも辛い立場よのう。やむを得んから北院に取り次いではやるが――紅梅殿さまが行かせんとお泣きになったら説得はせんからな? あの方は泣くと長いのじゃ」

「そこを何とかひとつ、よろしくお願いいたします」

 月牙は直角に腰を折って頼んだ。



 やはり北院でもひと騒動あったのか、雪衣はなかなか現れなかった。

 王宮の漏刻所が午後第二刻の鐘を鳴らすと、一拍遅れてすぐ目の前の媽祖堂の鐘が鳴り始める。さらに数秒遅れて鳴るのは、洛東一の景勝地たる東崗の蘭渓道院のよく澄んだ鐘の音だ。

 三重の鐘が数秒ずつ遅れて鳴りやむころ、媽祖堂の裏手からようやくに見慣れた白と薄紅色の姿が現れた。

 雪衣である。

 この頃よく連れている部屋付き女儒の趙茜雪(ちょうせんせつ)も一緒だ――小蓮と同年代に見える聡明そうな少女は、雪衣の遠縁の姪にあたるらしい。

「柘榴庭、司令部(カルチエ)に左宰相公がおいでというのは本当なのか?!」

 人目のある場所だから雪衣の言葉遣いは固い。

 月牙も改まって答えた。

「ええ判官様、ご足労をおかけして申し訳ない」

「何の御用で?」

「全く分からないのです。ただ紅梅殿の判官を呼べとだけ」

「後宮北院主計所の判官がなんで尚書令に呼びつけられなきゃならないのさ? あの公らしい強引なやり方だね!」

 月牙に手を引かれて南大路をかけながら雪衣が心底忌々しそうに吐き捨てる。「いつかそのうち苛立った身内から背中を刺されるね。媽祖さまに賭けてもいい」

「やめてよ縁起でもない。あの方に薄い警備でフラフラさせるとこっちの肝が冷えていけない」


 司令部まで戻って木戸をくぐると、なぜか庭の真ん中で麗明と九龍が木刀で手合わせをしていた。


 これはなかなか見ごたえのある一対だった。

 月牙と同じくカジャール系ながら、母方がリュザンベール系だったらしいとこの頃判明した麗明は、黒髪黒目が主流の双樹下人のなかでは例外的に明るい栗色の髪と血の色を透かすような薄い色の膚を備えている。体つきもリュザンベールの血なのか肉感的だ。その体を平隊士と同じ襞の多い白いシャツとぴたりとした黒いズボン、緋色のサッシュと黒いジレに包んだ姿には、独特の倒錯的な魅力があるのだった。

 一方の九龍はとはいえば、これは見るからに生粋のカジャール系の特徴―-長身痩躯と浅黒い膚、高い鼻梁とくぼんだ眼窩という月牙と共通する特徴を備えている。やせ型ではあるが骨格のたくましい苦み走った男前である。

 そういう目を惹く容貌の容姿の二人が、シャツの袖を捲って腕をあらわにし、後頭部で一つに束ねた髪をそれぞれ馬の尻尾のように弾ませながら刀を打ち合わせている。

 槙炎卿は、北側の一番手前の高床小屋の階に腰掛け、桂花が手にする縁の欠けた素焼きの丼から鶉の卵をつまみつつ、小蓮のかかげる盆の茶を時折取って飲みながら、のんびりとそのさまを見物しているのだった。


「うわあ、これ木戸銭とれますよ……」と、雪衣の後ろで女儒がうっとりと呟く。「九龍さま格好いい――」


 月牙はイラっとした。



 ――麗明も何やっているんだよ。こういうのは妓官の戦い方じゃないだろ……



 三〇〇年来、女ながらも後宮を守備してきた武芸妓官の戦い方は、基本的に集団戦だ。

 敵を取り囲み、頭領の号令で連携しながら戦い、殺害ではなくあくまでも捕縛を目的とする。

 一対一で男と対峙すれば大抵は力負けする女戦士たちが編み出してきた伝統的な戦法である。

 長身ではあるが鶴のような痩躯の月牙は、まさに妓官の精髄のような集団戦法が最も得意だ。

 しかし、麗明は元・外宮妓官のなかでは最も体格に秀でて筋力に恵まれているためか、男相手でもみじんの外連みもない正統派の剣を使う。

 九龍とは互角以上の勝負をしているように見えたが、じきに麗明の息が上がり始めた。

 ほつれ毛の張り付く額の真ん中に浮かんだ汗が鼻を伝って流れ、麗明の動きが鈍った瞬間、九龍が横から打ち込んで、力任せに木刀を叩き落した。


「――勝負あった!」


 槙炎卿がよく響く声で断じる。

「両名ともようやった。実によい試合であったぞ。そなた、名は?」

「恐れながら公よ、杜九龍と申します」

「そうか。覚えておこう」

途端、兵舎の入り口にたむろしていた隊士たちがわっとばかりに湧く。

 麗明が口惜しげに口元を歪めている。



 ――本当に何やっているんだよ、よりによって私の庭でさ!


 ――男と女が正面から筋力で勝負したら、十中八九女が負けるに決まっているじゃないか! 柘榴の妓官に柘榴庭で恥をかかせて、あの公は何がしたいんだよ!

 


 麗明が桂花と小蓮を使えさえしたら、九龍なんか一瞬で叩き伏せられるはずだ。

 だが、男どもはそれを卑怯だという。

 生まれついて力に恵まれているものが、生まれついて非力な人間に、正面から一対一で戦えと言うのだ。


 月牙は激しい苛立ちを感じたが、必死で押し殺して頭を低めた。


「宰相公、お求めの者を呼んでまいりました」

「おお、来たか判官」

 槙炎卿が立ち上がり、すたすたと近づいてくる。

「久しいのう。息災であったか?」

「宰相公には久々に御目にかかります。本日はどのようなご用件で?」

 雪衣がつけつけと訊ねる。

 槙炎卿はわずかに眉をあげると、ごく軽い口調で言った。

「そなた、儂のパルトゥネールとならんか?」


 沈黙が落ちた。

 柘榴の梢でヒタキが鳴いている。


 月牙はそのとき思った。


 ――この公、()ろう。


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